『影に歩む道──忍びの里へ、秘密を護る旅(後編)』
山道をさらに踏み分けるように歩いた。小夜と伊佐の背は黒い風のように、風景に紛れては先をうかがい、また戻ってくる。俺はなるべく足音を立てぬよう歩いていたが、二人の歩みとは次元が違う。黒脛巾──伊達家の影。そう呼ばれる者たちの里が、もうすぐだ。
「……着いたのじゃ、梵天様」
小夜の声は、風の奥で囁くように響いた。
谷に抱かれるようにして隠されたその里は、外界の風とはまるで違う温度を持っていた。焚き火の煙は地を這い、見張りの気配が四方から押し寄せる。
待つことしばし──
「参られよ。頭領がお待ちだ」
声がした。齢五十ほどだろうか、痩せた男が一歩、火の中から出てきた。
「拙者が黒脛巾組頭領、鬼頭仁右衛門にございます」
冷たいが丁寧な口ぶり。だが目は笑っていなかった。
俺は黙って一歩踏み出す。伊佐と小夜は、俺より半歩後ろに控える。
「このたびは、密かなる頼みがあっての来訪。無礼を承知で、こうして足を運ばせていただいた」
頭を下げた。六歳児の姿ではあるが、礼は忘れぬ。俺の背後で、木の葉が一枚落ちる音がした。
「ほう……六つの童が、己の意志で来たと申すか」
仁右衛門は、俺の目を見た。試すように。値踏みするように。
「主君の命で来たのではない。俺自身の意志だ。俺は伊達輝宗の嫡子、梵天丸。だが俺の野心は伊達家の枠に収まるつもりはない。影の力もまた、この命の一部として捉えている」
一瞬、周囲の空気が張り詰めた。忍びたちが木々の間で静かに身じろぎするのが分かる。
「言葉だけは大人だな、梵天丸様……。では一つ、問おう」
仁右衛門の目が鋭くなる。
「我ら忍びは、主の命によって人を殺し、影を駆ける存在。裏切れば地獄、忠節に報いられずとも陰に生きる。それでもなお、そなたは我らを“使う”つもりか?」
問いかけというより、試し打ちだった。
俺は一拍置いた後、真っ直ぐに言った。
「使う、という言葉は使わん。だが、共に歩んでくれるなら、俺は命を懸けてその覚悟に報いる。戦は遠からず来る。伊達家の未来も、この国の形すら変わっていく。その中で、“光”が前を照らすなら、“影”もまた必要となるはずだ」
沈黙が落ちた。夜の闇よりも深く、重く。
やがて仁右衛門は低く笑った。
「……その覚悟、嘘ではなさそうだな。見た目は童、だが芯には何かがある。なにより、伊佐も小夜もそなたに心服しておる。わしが口を挟むこともなかろう」
そして、背をぴたりと正して頭を垂れた。
「聞け、黒脛巾の者ども!」
「はっ!」
木々の陰から現れた数十の影が、一斉に姿を見せる。皆、黒衣に身を包んだ異形の者たち。その全員が、俺にひれ伏した。
「この日より我ら黒脛巾組は、伊達家の家臣にあらず。梵天丸様、あなた様こそが我らの主。好きなようにご命じくだされ」
鼓動が高鳴るのを感じた。だが、顔には出さない。
「うむ。俺は、命を預ける者には全力で報いる。これより先、幾度もの嵐が来よう。だが、お前たちがいてくれるなら、必ず──伊達の未来は切り開ける」
そう宣言する俺の声に、忍びたちが再び頭を垂れる。
そして、夜風がざわりと吹き、木々の葉が舞い散った。
俺の心には、確かな手応えと、新たな“武器”を得た実感が残った。
──伊達政宗という名を背負い、俺は影をも従え、前へ進む。