『折られぬ絆のために──梵天丸、弟と鶴を折る』
米沢城の空気は、いつもより少しだけ乾いて感じた。
──義姫との再会は、正直、胃にくる。
あの人の前では、笑っても、油断しても、子どもらしく振る舞っても──
“こちらの意図”をすべて見透かされる気がして、いつもどこか体温が下がる。
「ただいま戻りました」
書院の奥、花のような香がただよう畳の間に、俺は正座し、挨拶をした。
母・義姫は、いつも通り、座敷の最奥。
お香を焚きながら文箱に筆を走らせ、面を上げぬまま返す。
「おかえりなさい、梵天丸」
その声は、何一つ感情を含まぬように聞こえて、逆に胸がざわめいた。
──が。
「おかあさま! 兄上様が、かえってきたよっ!」
小さな声が弾むようにして、奥から転がり出てきたのが、弟の竺丸だった。
まだ三つか四つの幼児。頬がまんまるで、目がつぶらで……何より、母の手にしがみつくように甘えている。
「兄上様、こないだのやくそく、まだしてないっ!」
「ああ、してなかったな。……ほら」
俺は袖から、小さな和紙を一枚、懐から抜き出した。
折り鶴。
白と金の細い格子が入った紙を、何度も折り目をつけて作った、俺なりの“誠意”だった。
「……鶴?」
「うん。飛んでいける鶴だ。願いを乗せて、空へ」
竺丸は、おずおずと手を伸ばし、俺の手から鶴を取る。
「ぼくの……?」
「そうだ。竺丸が、元気に育って、いっぱい遊んで、伊達の家を支えてくれるようにって願いをこめた」
すると──
「ふふっ、まあ。梵天丸、珍しく“弟思い”のそぶりをなさいますのね」
母の声が、今度はほんの少し柔らかくなった。
だが、俺はその言葉に笑わない。
──弟思い、ね。
ちがう。違うんだよ、母上。
これはただ、“争いたくない”だけだ。
俺は知っている。未来に何が起こるか。
弟・竺丸が長じてのち、父の死後、“お家騒動”が起こる。
母は弟を押し立て、伊達家は割れかけた。
……俺はそれを、止めたい。
だからこそ、今から布石を打つ。感情ではなく、理で。
竺丸の頭にそっと手を置きながら、俺はにこりと笑った。
「竺丸が、俺の誇りになるといいなって思ってるよ」
その言葉に、弟は顔をくしゃっとさせて、ぱぁっと笑った。
「うんっ!」
「はいはい、お竺、あまり騒ぎなさんな。ほら、着物が乱れておりますわ」
母は懐紙で口元を拭いながら、やや過保護気味に竺丸の着付けを整える。
その手つきはあまりに自然で、あまりに愛情深かった。
……わかってるさ。
母上は、俺をあまり好ましく思っていない。
竺丸を贔屓するのも、たぶん本心だ。俺には“政宗の器”が宿るからこそ、危険視してるのだろう。
でもな。
「母上。今宵、城下の商人衆より贈り物が届く手配をしております。弟に合う玩具も混ぜておきました」
「……まあ」
「ついでに、台所に言って竺丸用の“粥の味見”もしておきました。塩が少々強うございます。今夜は薄めるよう伝えております」
「…………」
母の手が、ふと止まる。
俺は、にこりともせずに言った。
「どうか、これからも竺丸をよくお守りくださいませ。あの子が、伊達家の“救い”となるように──」
「……ふふふ、ええ。では、そなたが“剣”となり、お竺が“癒し”になるのかしらね」
母の目に、ようやく少しだけ、俺を“子ども”として見る光が浮かんだ。
だが、それでいい。
母に好かれようとも、弟に懐かれようとも、俺の目指すものはただ一つ。
──伊達家の未来。
戦なき繁栄の、礎を築くことだ。
俺は深く頭を下げた。
「……失礼いたします」
襖を閉じ、静かに後ろ手で息をついたとき、ふいに聞こえた小さな声。
「……兄上様、つる……また折ってね……」
──ああ。
その声だけで、もう少し頑張ってみようと思えた。