『冬篭り──雪舞う寺より、城へ帰る日』
白いものが、落ちてきた。
最初は灰かと思った。だが、指に乗せたそれは、すぐに水になって消えた。
雪だった。
十一月、まだ暦の上では霜月の中ほど。だが、奥州の山は早い。ここ松林寺も例外ではなく、朝夕の寒気はもう骨にまで届いてくる。
雪を見ると、決まって身体が震える。寒さにではない。
その“記憶”に、だ。
(ああ、そうだった。俺は……死んだんだったな)
前世、俺は高校生だった。伊達政宗のことが好きで、戦国時代のことを毎日調べて……挙げ句の果てに、冬山の慰霊登山で遭難し、そのまま──気づけばこの時代に転生していた。
名前は梵天丸。伊達家嫡男。
六歳の体に、高校生の精神。
そんな不自然な存在であることにも、だいぶ慣れてきた。
俺は、ひとつ吐息をこぼす。
それが、白くなって空に昇っていった。
静かだった。
風もなく、鳥も鳴かず、境内の木立も動かない。ただ、冷たい空気のなか、雪の舞いだけが小さく世界を刻んでいる。
「梵天丸。そこにいたか」
低く、響く声。虎哉宗乙師だ。
俺は振り返った。
「はい。……雪が、舞い始めました」
「冬が来たな。……おぬしの咳、昨夜はひどかったようだな」
ギクリとした。確かに昨夜、布団のなかで何度も咳が出て、あまり眠れなかった。でも、それを悟られないよう必死に隠したはずだった。
「……少しだけです。寒暖差に喉を取られたようで」
言い訳をする口調になってしまったことが、自分でも情けない。
「ならば、今年の冬の修行は取り止めとする。そろそろ戻る頃でもある。城へ帰れ」
はっきりと告げられた。
「えっ……でも俺は、もっと……」
「風邪で寝込んでは、修行どころではない。己を知ることもまた修行のうち。無理を通して身を壊すことは、武士の道ではない」
諭すような、だが厳しさのある声音だった。
俺は、拳を握った。
けれど、その言葉が正しいことは、前世の俺だって分かっていた。高校時代、無理を重ねて倒れた先輩を見ているから。あの人も、周囲の期待に応えようとして──
「……御意。では、支度を整えて下山いたします」
俺は深く、頭を下げた。
出立は翌朝。空気はより冷え込み、朝露は氷のようになって草を固めていた。
「はい、お薬湯。忘れずに飲んでくださいね」
侍女の鈴が、そっと湯呑みを渡してくれる。ほんのりと柚の香りがするそれを啜ると、喉が少しだけ軽くなる気がした。
もう一人の侍女、喜多がすでに書状を用意していて、城には馬を遣わせていたという。俺の健康状態も細かく伝えてあるらしい。おかげで、城からは快く迎えの使いが来ることになっていた。
小夜と伊佐のくノ一たちが、雪道の警戒にあたりながら荷物を運んでくれていた。
俺は、彼女たちの姿を後ろから見て、ふと考える。
(……ああ、俺、すごい護衛に囲まれてるな。小学生サイズのくせに……いや、中身は高校生だけど)
変な優越感が、ほんの少しだけあった。
門前で、虎哉宗乙師に最後の挨拶をする。
この寺で過ごした日々は、きっと一生の糧になる。
「師匠。俺、まだ弱いままです。でも──少しだけ、寒さにも、心にも、耐える術を知った気がします」
俺の言葉に、師匠は静かに頷いた。
「強くあろうとするな。まず、正しく在れ。伊達の名を継ぐ者として」
「……はい」
雪道を、ゆっくりと下っていく。
木々の間から見えた空は、冬の匂いがした。少し晴れていて、山影がすこしだけ伸びていた。
「殿、風よけにどうぞ」
鈴が、自分の肩掛けを俺に差し出す。
「いや、鈴が風邪引いたら意味ないだろ……って、ああもう」
無理やり受け取る羽目になったが、鈴のぬくもりが残ったその布は、ちょっとドキッとするくらい、暖かかった。
(……俺、顔、赤くなってないよな?)
そう思ってる時点で、絶対赤い。分かってる。でも、言わないでくれ。
城下に入るころには、俺の足取りも軽くなっていた。
「お城の空気って、あったかいんですよね」
喜多がぽつりと呟いた。
たぶん、比喩なんだと思う。
でも俺は言った。
「うん。たしかに“あったかい”ってのは、身体よりも……心の話だな」
その言葉に、鈴が小さく笑う。
「殿、そういうことを言えるようになったのですね」
「……前世でね、恋に敗れてたぶん、成長したんだよ」
「えっ……?」
「なんでもない!」
そうやって、ちょっと恥ずかしい気持ちを引きずりながら、俺は伊達家の門をくぐった。
冬が、始まった。
でもきっと、何かが終わったわけじゃない。始まるものが、ある。
(さて、こたつ──いや、囲炉裏が恋しい季節だな)