表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/194

『冬篭り──雪舞う寺より、城へ帰る日』

白いものが、落ちてきた。

 最初は灰かと思った。だが、指に乗せたそれは、すぐに水になって消えた。


 雪だった。


 十一月、まだ暦の上では霜月の中ほど。だが、奥州の山は早い。ここ松林寺も例外ではなく、朝夕の寒気はもう骨にまで届いてくる。


 雪を見ると、決まって身体が震える。寒さにではない。

 その“記憶”に、だ。


(ああ、そうだった。俺は……死んだんだったな)


 前世、俺は高校生だった。伊達政宗のことが好きで、戦国時代のことを毎日調べて……挙げ句の果てに、冬山の慰霊登山で遭難し、そのまま──気づけばこの時代に転生していた。


 名前は梵天丸。伊達家嫡男。


 六歳の体に、高校生の精神。

 そんな不自然な存在であることにも、だいぶ慣れてきた。


 俺は、ひとつ吐息をこぼす。

 それが、白くなって空に昇っていった。


 静かだった。

 風もなく、鳥も鳴かず、境内の木立も動かない。ただ、冷たい空気のなか、雪の舞いだけが小さく世界を刻んでいる。


「梵天丸。そこにいたか」


 低く、響く声。虎哉宗乙師だ。


 俺は振り返った。


「はい。……雪が、舞い始めました」


「冬が来たな。……おぬしの咳、昨夜はひどかったようだな」


 ギクリとした。確かに昨夜、布団のなかで何度も咳が出て、あまり眠れなかった。でも、それを悟られないよう必死に隠したはずだった。


「……少しだけです。寒暖差に喉を取られたようで」


 言い訳をする口調になってしまったことが、自分でも情けない。


「ならば、今年の冬の修行は取り止めとする。そろそろ戻る頃でもある。城へ帰れ」


 はっきりと告げられた。


「えっ……でも俺は、もっと……」


「風邪で寝込んでは、修行どころではない。己を知ることもまた修行のうち。無理を通して身を壊すことは、武士の道ではない」


 諭すような、だが厳しさのある声音だった。


 俺は、拳を握った。

 けれど、その言葉が正しいことは、前世の俺だって分かっていた。高校時代、無理を重ねて倒れた先輩を見ているから。あの人も、周囲の期待に応えようとして──


「……御意。では、支度を整えて下山いたします」


 俺は深く、頭を下げた。


 出立は翌朝。空気はより冷え込み、朝露は氷のようになって草を固めていた。


「はい、お薬湯。忘れずに飲んでくださいね」


 侍女の鈴が、そっと湯呑みを渡してくれる。ほんのりと柚の香りがするそれを啜ると、喉が少しだけ軽くなる気がした。


 もう一人の侍女、喜多がすでに書状を用意していて、城には馬を遣わせていたという。俺の健康状態も細かく伝えてあるらしい。おかげで、城からは快く迎えの使いが来ることになっていた。


 小夜と伊佐のくノ一たちが、雪道の警戒にあたりながら荷物を運んでくれていた。


 俺は、彼女たちの姿を後ろから見て、ふと考える。


(……ああ、俺、すごい護衛に囲まれてるな。小学生サイズのくせに……いや、中身は高校生だけど)


 変な優越感が、ほんの少しだけあった。


 門前で、虎哉宗乙師に最後の挨拶をする。


 この寺で過ごした日々は、きっと一生の糧になる。


「師匠。俺、まだ弱いままです。でも──少しだけ、寒さにも、心にも、耐える術を知った気がします」


 俺の言葉に、師匠は静かに頷いた。


「強くあろうとするな。まず、正しく在れ。伊達の名を継ぐ者として」


「……はい」


 雪道を、ゆっくりと下っていく。


 木々の間から見えた空は、冬の匂いがした。少し晴れていて、山影がすこしだけ伸びていた。


「殿、風よけにどうぞ」


 鈴が、自分の肩掛けを俺に差し出す。


「いや、鈴が風邪引いたら意味ないだろ……って、ああもう」


 無理やり受け取る羽目になったが、鈴のぬくもりが残ったその布は、ちょっとドキッとするくらい、暖かかった。


(……俺、顔、赤くなってないよな?)


 そう思ってる時点で、絶対赤い。分かってる。でも、言わないでくれ。


 城下に入るころには、俺の足取りも軽くなっていた。


「お城の空気って、あったかいんですよね」


 喜多がぽつりと呟いた。


 たぶん、比喩なんだと思う。


 でも俺は言った。


「うん。たしかに“あったかい”ってのは、身体よりも……心の話だな」


 その言葉に、鈴が小さく笑う。


「殿、そういうことを言えるようになったのですね」


「……前世でね、恋に敗れてたぶん、成長したんだよ」


「えっ……?」


「なんでもない!」


 そうやって、ちょっと恥ずかしい気持ちを引きずりながら、俺は伊達家の門をくぐった。


 冬が、始まった。

 でもきっと、何かが終わったわけじゃない。始まるものが、ある。


(さて、こたつ──いや、囲炉裏が恋しい季節だな)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ