表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/194

『湯煙の邂逅──鈴、背中を流します』

秋の夜、寺の湯殿では薪が静かに弾け、白い湯気が立ち昇っていた。


一日の農作業の疲れを癒すため、俺はいつものように、寺の裏手にある湯屋へと足を運んでいた。喜多の取り計らいで、最近は湯も熱すぎずぬるすぎず、心地よい加減に調整されている。


肩まで湯に浸かると、ほうっと息が漏れた。


(秋の稲刈りもようやく終わったな……)


今年は不作だったとはいえ、土に向き合う日々は確かに俺を鍛えてくれた。前世にはなかった筋肉痛も、今ではもう馴染み深い。


と、そのとき――。


「失礼いたします」


戸が静かに開く音とともに、誰かの声がした。反射的に振り返ると、湯気の中から現れたのは……薄桃色の浴衣姿の鈴だった。


「す、鈴さん!?」


「ご無礼を承知で参りました……。その……お背中を、お流しできればと……」


そう言って、鈴は膝をついてたらいと手拭いをそっと置く。たどたどしくも、その姿勢は真剣だった。


浴衣は薄手の木綿で、湯気に濡れて肌に張りつき、その下の線があまりにも……。


(ちょ、ちょっと待て……これはさすがに……)


「いや、そんなつもりで来たわけじゃ……! 喜多様に、風呂場の使い方も覚えるようにと……でも、あまりに疲れたお顔をされていたから……つい……っ」


「い、いや、気にしないで。俺が驚いただけだから……」


(だめだ、目が泳ぐ……前世でもこんなシチュエーション、ラノベでしか見たことないぞ!?)


鈴は頬を少し染めながら、手拭いを手に取り、そっと俺の背へと触れた。


「……ぬくもりが、残ってますね。秋なのに、背中は熱い……」


「そ、それは……日中ずっと外にいたから、日差しのせいで……」


ぬるめのお湯に絞った手拭いが、静かに背中を滑っていく。そこに鈴の細い指が触れるたびに、どこかくすぐったく、心臓がやけに主張してきた。


「ふふ……。お背中、広いんですね。たくさん働かれた証、ですね」


鈴の声が耳に近づいた気がして、俺は思わず前かがみに姿勢を変えた。


「す、すずさん! あんまり近くに……っ」


「きゃっ!? す、すみません……!」


バランスを崩した鈴が俺の背に軽く体を預けてしまう。湯船の水面が小さく跳ねた。


(ちょっと待て、これ……本格的にラッキースケベってやつじゃないか!?)


「ご、ご無礼を……! すぐに出ますっ」


「い、いや、そんなに気にしないで……! 落ち着いて……!」


「あっ……着物が……濡れて、透けて……っ」


(あああああああ! 目を閉じろ俺! 閉じないと宗乙師匠の正拳突きが脳裏に飛ぶぞ!!)


やがて鈴は湯屋をそそくさと出ていき、その場には俺一人が残された。


湯気に包まれた湯殿の中、俺はゆっくりと肩まで湯に沈み、ひとつ息を吐いた。


「……虎哉宗乙師匠……心を無にするのって、難しいですね……」


――秋の夜。背中を流すという、なんでもない出来事のはずが、俺の胸をざわつかせていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ