『秋の夜の邂逅と、侍女の始まり』
秋――。
山の色が紅へと変わり始め、風に乗って乾いた落ち葉の音が耳に届くようになった頃、寺のある里でも、年に一度の収穫祭の季節がやってきた。
俺たちが育てた稲の収穫は不作だったとはいえ、里全体としての実りはまずまずのようで、村人たちは笑顔を交わしながら準備に奔走していた。
この寺に身を寄せてからというもの、季節の節目ごとに里の行事に招かれることはあったが、収穫祭の規模は別格だった。寺の門前の広場には、すでに仮設の屋台や舞台が組まれ、若者たちの歌声や太鼓の音が夕暮れの空に響いていた。
「梵天様も、今日はよろしければお出かけくださいませな。皆、梵天様のことを“福の子”として噂しておりますゆえ」
そう言って、喜多が俺に用意してくれたのは、紺地に銀糸の刺繍が施された一張羅だった。
「……目立ちすぎるのは苦手なんだけどな」
「目立ってこその御曹司でございましょう」
小さく溜息をつきながらも、俺は衣を整え、くノ一の伊佐と小夜に護衛として付き従ってもらう形で、寺から里の収穫祭へと向かった。
夜の帳が下りるころには、祭りの熱気が広場を包み、提灯の明かりがまるで星のように空を映していた。どこからともなく漂う甘酒と焼き団子の香りが、鼻をくすぐる。
その時だった。
人混みの外れで、小さな声が聞こえた。
「やめてください……っ!」
振り返ると、屋台裏の物陰で、村娘が数人の男に絡まれていた。
「折角の祭りなんだからさ、ちょっとくらい付き合えって」
「なに怖がってんだよ、顔に似合わず可愛い声出して」
どうやら、どさくさに紛れて言い寄っているようだった。村の若者か、よそ者かまでは分からなかったが、どちらにしても見過ごすわけにはいかなかった。
俺は周囲の気配をさっと確認し、伊佐と小夜に目配せする。
「ここは俺が行く。姿は見せないでくれ」
「主君、それは……」
「大丈夫、手加減はする」
そう言って、俺は静かに影の中へと踏み込んだ。前世で身につけた合気道の動きを思い出しながら。
男たちの背後から近づき、一人の腕を取り、その体重を利用して軽く崩す。
「ぐっ……!?」
「なんだお前っ」
もう一人が俺に飛びかかってきたが、その力の流れを感じ取りながら、肩を軽く押し流すようにして崩す。
転生して小柄な子どもにすぎなかった俺の体も、今年の野良仕事ですっかり鍛えられていた。鎌を振るい、土を耕し、水を汲み続けて得た筋力が、ここで生きた。
「……動きが思った以上に滑らかだったな。虎哉宗乙師匠に感謝しないと」
倒れた男たちは、何が起きたのかも分からぬ様子で、地面に転がって呻いていた。
「お、お侍様……?」
怯えたような声で、村娘が俺を見上げていた。年は俺より少し上だろうか。白い頬、麦色の髪、どこか儚げな瞳をしていた。
「怪我はないか?」
「……はい。助けていただいて、ありがとうございます」
丁寧に礼を述べる彼女を見て、俺はふと胸の奥がざわついた。何か、思い出のような……いや、これは初めての感覚だ。
そこへ、後方で様子を見ていた喜多が近づいてきた。
「梵天様……お見事でした。して、そちらの娘は?」
「男たちに絡まれていた。里の者のようだが……」
「ふむ……」
喜多は村娘に名を尋ねた。
「はい、わたし、稲田の鈴と申します。父と弟たちと、畑を耕して……でも、最近は食べる口が多くて、いずれどこかに奉公に出なければと思っていたところで……」
「それならば――」
喜多はすぐに笑みを浮かべた。
「寺に仕える侍女として来てもらうのはどうでしょう。梵天様も、日々お忙しくなっておりますし、身の回りを整える者が必要です。くノ一の役目とはまた異なる立場の、心の通った侍女が」
「そ、そんな……わたしで、務まるのでしょうか……?」
「大丈夫だよ、鈴さん。君は、ちゃんとしてる」
俺は、はっきりと言った。
その言葉に、鈴は目を潤ませた。
「……よろしくお願いいたします、梵天様」
こうして――
秋の収穫祭の夜に出会った小さな縁が、俺のもとに新たな絆をもたらした。
翌日、俺は鈴の案内で、稲田家を訪ねた。
小高い丘を下った先にある素朴な農家。
茅葺きの屋根と、土間に薪の香が漂うあたたかな家だった。
父親は、腰の曲がりかけた優しげな農夫で、母親は痩せてはいたが芯の強さを感じさせる女性だった。弟たちは俺を見るなり緊張した面持ちで背筋を伸ばした。
「伊達の若様が……うちの鈴を……?」
「はい。鈴さんは器量よし。つきましては、寺に侍女として来ていただきたく」
俺の言葉に、父母は驚き、互いに顔を見合わせた後、深く頭を下げた。
「ありがたいことでございます。うちは……貧しく、鈴にもいずれ奉公をと考えておりました。ですが、まさか御領主様の……」
「ご無理なきよう。寺では教育も施します。鈴さんの身の安全は、私が責任を持ちます」
母親の目に、涙が滲んだ。
「どうか……どうか、よろしくお願いいたします」
俺は深く頭を下げ、鈴とともに再び寺へと戻った。
寺へと戻った鈴は、喜多や伊佐、小夜のもとで礼儀作法を学びながら、俺の側仕えとして日々を送ることになった。
秋の風はもう冷たくなりはじめていたが、俺の胸の内には、あたたかい何かが灯っていた。
そしてその灯は、やがて大きな炎となって、未来を照らすのかもしれない――そう思えた。




