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『湯けむりの夜、くノ一たちと──未来の竜、養生す』

米沢の南、山あいにある名もなき湯治場──。


谷を抜け、風に揺れる木立をかきわけた先、白く煙るような湯けむりが目に入った。古びた茅葺き屋根。苔むした石畳。ひっそりとした空気の中に、ほんのりと温かな香りが混ざっていた。


「……おお……これが、湯というものか」


思わず、口から声が漏れてしまった。


心がわずかに浮き立っているのを、自分でも感じる。身体の疲れがあったのは確かだが、それ以上に……僕は、こういう“非日常”に弱い。しかも今、僕の傍には──


「さあさあ、梵天さま。湯の用意できてますよ〜♡」


「後ろでお湯、加減してますから〜!」


伊佐と小夜。色黒で陽気なくノ一ふたりが、ぱたぱたと湯浴み着姿で駆け寄ってくる。その肌はつやつやと濡れ、湯気の中でまるで輝いて見えた。


……あかん。ほんとにあかん。


彼女たちは“護衛”兼“世話係”であり、僕の秘密を知る者でもある。けれど……それでも、これは無防備すぎやしないか?


「そ、それで、湯はどこに……」


「こっちっすよ〜、梵天さま♪」


小夜が手を引いて、僕を小さな木桶に座らせる。伊佐は背後に回り、すでに泡立った香草の布を用意していた。


「ではでは、失礼して……お背中、流しますね〜♡」


「ま、待って! ちょっと待ってくれ!」


心の中では高校生──いわゆる“中身オッサン”の僕が、慌てふためいた。


だが声を上げたところで、くノ一ふたりの手つきは迷いなく、僕の背中に優しく触れてきた。ふわりと香る、柑橘と薬草の匂い。


「……ん、んぅ……」


情けない声が、喉の奥から洩れる。


「お〜、梵天さま、いい声出すっすね〜♡」


「くすぐったいところ、ありますか〜?」


「ある! いや、ちょっと待って、そこは……!」


僕は湯気の中で顔を真っ赤に染めて、何とか冷静を保とうとした。けれど……ふたりのやわらかい手が、僕の肩や背を丁寧に洗っていくたび、どんどん思考が蒸気のように抜けていく。


「ねえ伊佐、ちょっとだけ“あれ”混ぜてる?」


「うん♡ 例の“香の術”。ちょっと落ち着き癒されるけど、ちょっとだけドキドキするやつ〜」


「……どき……どき……?」


僕はぽかんとしたまま、伊佐の笑顔を見た。


「安心してくだされ♡ 効くの、女の子だけっすよ」


「でも効いてる顔してるっすよ〜?」


「やめろぉ……!」


もはや僕の尊厳は、湯気の彼方だった。



湯船に入ると、芯からぽかぽかと温もりが満ちてくる。伊佐も小夜も、喜多も、同じ湯に浸かっていた。


「ふぅ……」


恥ずかしさで火照っていた身体も、少しずつ落ち着いていく。横目で見ると、喜多が穏やかな顔で微笑んでいた。


「梵天さま、すっかり立派な“お殿さま”ですね」


「……立派じゃないよ。僕なんて、まだ子どもだし……」


「でも、土嚢の指示、的確でしたよ」


伊佐が隣から言う。


「うん、神童って言われても納得っす」


「そ、そういうの……照れるからやめてくれ」


僕はぷいと視線を逸らす。


「にゃ〜ん♡」


小夜が突然、肩まで湯に浸かった僕を見て、猫のように真似た。


「ちょっ、何するんだよ!」


「いや〜、だって可愛すぎて♡ ちっちゃいのに、ちゃんと湯の入り方も“お作法”守ってるし〜」


「お背中流された後に『ん……気持ちいい……』って言ってたし〜!」


「うわああああ……っ!」


顔から湯気より熱いものが吹き出す。僕は思わず手で顔を覆った。


──こうして、湯けむりの夜は過ぎていった。



夜。囲炉裏の間にて。


僕は喜多の膝に頭を預けて、湯冷めしないようにと、くノ一たちに囲まれてぬくぬくと過ごしていた。膝枕の温かさ、布団の香り。誰かが髪を撫でている感覚。


「あのさ……」


「はい?」


「……ありがとう」


その一言を告げて、僕はそのまま眠りに落ちた。



翌朝、片倉小十郎と鬼庭左衛門が湯小屋にやってきたとき、彼らが目にしたのは──


布団の中で、すやすやと眠る僕と、ぴったりと寄り添う三人の少女たちの姿だった。


「…………」


「……殿は、ご無事でございますな」


ふたりの護衛武士は互いに目を見合わせ、安堵の息をついた。


そして、再び湯治場に静かな朝が訪れた。



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