馬と仏と、叱られ口論日和
──あれは、草刈りと田の手入れが一段落した翌朝だった。
「梵天丸様ァーっ!」
朝の読経が終わり、僕が庭掃きをしていると、少し離れた寺の門の方から人の声がした。
「どうかここにおられると聞きました。いやはや、ようやく会えましたぞ!」
鼻を鳴らすような馬のいななきとともに現れたのは、見慣れた顔──伊達家重臣、鬼庭左月斎だった。
左月斎は、年のころなら父・輝宗よりも上。だけど、見た目は妙に若く見える。そしてその背には、丈の低い栗毛の馬を引いていた。
「ちょうど手ごろな仔馬が手に入りましてな。いずれ戦場を駆けるお方にございますゆえ、そろそろ“馬”にも慣れておいていただきとう存じます」
僕はまだ五歳。いや、正確には生まれ変わって五年目の現世小僧。
馬なんて乗ったこともないのに、左月斎は「まずは跨るだけでもよい」と張り切っていた。
すると──。
「──お待ちなされ」
その時、寺の奥から静かに現れたのは、虎哉宗乙和尚だった。
艶の消えた法衣を翻し、目を細めて、声は静かなのに空気がぴしりと凍るようだった。
「ここは寺、仏の御前。いかに主君の御子とはいえ、蹄をもって仏地を踏むことは──不敬にあたります」
左月斎はその言葉にぴたりと立ち止まり、笑みを引っ込めた。
「左様ではございましょうが、虎哉殿。我ら武家の子にございます。日々農に学ぶのも結構にございますが、戦に備えるもまた道ではございませぬか?」
「道を説く前に、まず心を鍛えるのが修行である」
「心ばかり鍛えても、馬上で震えては国を守れませぬぞ」
やり取りが熱を帯びていくのを、僕は縁側で正座しながら眺めていた。
横では喜多がぽかんと口を開けて、伊佐と小夜は呆れたようにため息をついている。
「また始まりましたね……」
「毎回、どちらかが引かぬから」
「……これ、いつまで続くのでしょうか」
そのとき、馬がくん、と頭を下げた。
僕はそっと立ち上がって、鬼庭左月に向かって頭を下げた。
「左月斎、ありがとう。だけど……いまは、僕の修行場が先です」
「……はっ」
左月はにこりと微笑み、馬を引いて踵を返した。
「さすがは我らが梵天丸様。いずれ馬も弓も、お手に合う時が来ましょう」
そして、虎哉宗乙に軽く一礼し、寺を去っていった。
──風がまた、静かに通り過ぎた。
「……お前もよう学んできたのう」
振り返れば、虎哉宗乙が僕をじっと見つめていた。
「武士が馬に乗るのは当然。されど、馬を恐れぬ心を得るには、仏の道もまた不可欠。忘れるでないぞ、梵天丸」
「はい、和尚さま」
僕は静かに頭を下げた。
──きっとまた、馬には乗る日が来る。けれど今はまだ、僕は修行の身。
そう思いながら、掃き掃除に戻った。