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『銃声はまだ鳴らぬ──前田慶次、風とともに来たる』

米沢の空に春の気がほのかに混じり始めたある日、俺は畑にいた。稲ではなくかぶの苗の様子を見ていたのだ。虎哉宗乙老師の方針で、春植えの菜作りまで課せられるとは思ってもみなかったが……まあ、それなりに面白い。


「兄さま、土が固すぎじゃ……」


隣で時宗丸が鍬を構えたまま、心底困った顔をしている。鬼庭左衛門も額に汗を浮かべながらも黙々と鍬を振るい続けていた。もう、武士の修行なのか百姓の修行なのか、よくわからない。


そんな時だった。


「ひゅうぅぅ、ここは……まさしく奥州の空気よなあ!」


突如、畑の向こうから妙に陽気な声が響いた。振り向くと、色鮮やかな直垂に身を包み、頭に派手な小紋を巻いた男が馬に跨がっていた。


背には、荷駄では到底ない長物の包み。腰には、あろうことか瓢箪をぶら下げている。──いや、酒瓶だな、あれは。


「……誰だ、あれ」


「馬から下りた……って、あれ、御使者殿では」


近くにいた下忍の一人がそう呟いた瞬間、その男が片手を高々と掲げた。


「おおおおう、拙者、前田慶次郎利益なり! 織田家家臣・前田又左衛門利家に連なる者なり! 米沢にて、伊達家嫡男殿に鷹を贈られし恩義、忘れぬぞ!」


──前田慶次。


噂では聞いていた。織田家に仕えるとはいえ、気ままに諸国を渡り歩く、あの“かぶき者”が、何故この米沢まで……?


慌てて駆け寄った俺を、慶次はおおらかな笑顔で迎えた。


「やあやあ、これは伊達の梵天丸殿! そなたの父上より、礼状を預かっておる。まずは、これを受け取ってくだされ」


そう言って差し出された書状には、確かに父・輝宗の筆があった。


──梵天丸へ。


鷹の礼、感謝す。しかも信玄の動静を知らせるとは──よく見ておる。

余が思う以上に、そなたは既に“将”としての目を養い始めておるようだ。


此度、織田家からの贈り物として、五丁の火縄銃が届けられた。

そのうちの一丁を、そなたに預ける。

道を誤るな。力とは、ただ撃つためにあるにあらず。


──輝宗拝


「火縄銃……?」


慶次が背負っていた包をほどくと、黒漆塗りの箱の中から、銃床に織田家の桔梗紋と伊達家の九曜紋を並べて刻まれた、見事な火縄銃が現れた。火口の銅は真新しく、火皿のふちにまで細かい彫金が施されている。


「これが、京にて職人に作らせた火縄銃よ。そなたへの一本は、殿の御意により、彫り物を少し変えてあるぞ」


「……これが、俺の……」


手に取った瞬間、金属の冷たさが掌に染みた。だが、それ以上に重かったのは、父からの信頼だった。


「これからの世、ただ刀を振るうだけでは戦はできぬ。火と煙の戦いとなろう。だが……その火が、ただ人を焼くためにあると考えてはならぬぞ、梵天丸殿」


「それは……父上の言葉か?」


「いや、俺の独断と偏見だな」


そう言って慶次は豪快に笑い、酒瓶の栓を抜いた。


「とりあえず、渡すべき物は渡した。俺はもう少しこの米沢を見て回るとする! なんせ、この地は山も水も美しいからな。田畑も、なかなかよい土しておる。なにより──」


慶次は、近くの畑で踊っていた農村の娘たちを見て、にやりと笑った。


「──娘の肌も、陽に焼けて輝いとる。いい土地じゃ」


「……やっぱり、あんたもか」


あきれる俺の横で、時宗丸が小声で吐き捨てた。


だが、俺は銃を見つめたまま、心の奥に浮かぶものがあった。


──戦は、いずれ訪れる。そのとき、俺はこれを「何のために」使うのか。


その問いを忘れてはならぬ。



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― 新着の感想 ―
もう、この時点で実の父親を手にかける可能性を考えているとは、本当に難儀ですね。 出来ればそれに至る事無くなれば良いのですが…
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