伊達輝宗宛て/梵天丸書状
この春の空は、ことのほか青い。遠くに白く光る吾妻嶺の雪が、まるで過ぎ去った厳冬を惜しむように輝いておる。
杉目の座敷にて、わしは膝を崩しておらなんだ。囲炉裏にはまだ炭が残り、白き煙が細く揺れておる。
「……輝宗様、梵天丸様から、書状が届いておりまする」
そう言って、書状を持参したのは、留守政景の使い番であった。縁側に腰掛けていた鬼庭左月と遠藤基信が顔を見合わせ、わしの顔を覗き込んだ。
「なんと、あのお方が……?」
「まだ五つの童子じゃろ。筆など握れるものか」
ふたりはそう言うが、わしは小さく笑う。あの子には、なにか――妙な気配があるのだ。思慮深いのか、悟っているのか、時に、年老いた法師のように言葉を発する。
「開けてみよ」
政景が畳の上に膝を立て、慎重に封を解く。中から現れた紙は、幼い筆跡ではあるが、驚くほど整っておった。
読み上げる。
拝啓
春暖の候、父上におかれましては益々ご壮健にてあらせられること、日々神仏に祈っております。愚息、米沢郊外の地にて虎哉宗乙老師のもと、学問と稲作修行に勤しんでおります。
さて先般、田畑にて村の者より「川の氾濫に幾たびも苦しめられてきた」との話を聞きました。米沢を流れる松川・成島川筋にて、度重なる出水により田畑を失う者も多く、民草の心にはいつも水の不安があるようにございます。
愚息、以前より甲斐の信玄公が治水に力を入れておられると聞き及んでおり、興味を抱いておりました。よって、密かに甲斐に遣わしていた忍びの一人を、信玄堤の調査に当たらせましたところ、下記の報告を得ました。
【一】信玄堤に関する報告:
・甲府近郊、釜無川・御勅使川の合流地に築かれた堤は、ただの土盛りに非ず。
・扇状地を活かした“流路分散”の術が施されており、氾濫を“避ける”のではなく“受け流す”構造となっております。
・伏越、分水堰、水抜き等の仕組みが重ねられ、まるで水が自然に迷い込む迷路のようであり、これにより村落はほとんど水禍を被っておりません。
・年に一度、領主自らが民とともに「川浚え」に参加し、水の流れを点検するとの由。
この構造は、我らが奥州にも取り入れる価値があり、将来の国づくりの礎ともなるものと存じます。御下知あらば、模型を作り奉ります。
【二】信玄公の上洛に関する報:
・忍びの目よりの報によれば、信玄公はすでに出陣の準備を整え、三河・遠江方面への兵糧運搬を開始済み。
・三方ヶ原の合戦に備え、野営地・兵站線を整えつつあり、旧今川領の要所に兵を配している模様。
・また、甲府では「信玄西上」の軍旗が既に立ち、領内の諸将に上洛支度の下知が下されたと確認されております。
・武田軍の動きは、織田信長・徳川家康を狙ったものにて、尾張・三河・美濃の行方いかんによっては奥州の潮流も大きく変わる恐れがございます。
以上、稚拙ながら得られた情報の一端を記し、父上の御下問をお待ちいたします。
春は雨多くして、苗代の水張りもまた始まるころ。風邪など召されぬよう、母上共々ご自愛くださいますように。
草々不一
米沢郊外御小屋にて
梵天丸 拝
読み終えた後の座敷には、妙な沈黙が落ちた。小鳥の囀りすら、まるで声を潜めたかのようだった。
最初に吹き出したのは、鬼庭左月であった。
「……ふっ。幼子の癖に、忍びの使い方をよう知っておる。こやつ、まさか腹に二匹や三匹、蛇を飼っておるのではあるまいな?」
「伊達のご子息にしては出来過ぎておるわ……」
基信が眉をひそめて唸る。だがその唸りは、賞賛を含んでいた。
「治水、か」
わしは静かに呟いた。信玄堤のことは風聞で聞いたことがあるが、まさか五歳の童がそれに目をつけ、しかも報告させるとは。
「……信玄、動くかの」
政景が口を開いた。
「動きましょう。いや、すでに……この報せが正しければ、尾張・三河は武田の風に晒されましょう」
左月が腕を組んでうなる。
「だが、信玄公の寿命が長くないことも知られておる。織田・徳川が耐え切れば、奥羽に回ってくる潮流も変わりましょうな」
わしは火鉢の炭をひとつ突いて、爆ぜた火の粉を見つめた。
「……あやつには、なにかがある。天命か、宿縁か。何者があの子を選び、今の時代に落としたのか――いや、我が子にそんなことを申すのも妙な話じゃがな」
ふと、梵天丸がまだ赤子であった頃の姿が脳裏に浮かぶ。よく泣く、丸々とした子であった。
その子がいま、信玄堤に感銘を受け、伊達家の未来を案じて筆を執っておる。
「……左月、基信、政景。あの子を、守ってやってくれ。もはやただの童ではあるまい。伊達の柱となる日も、遠くはなかろう」
三人が、同時に頷いた。
やがて、障子越しに春風が吹き抜け、桜の花びらをひとひら、書状の上に落とした。
わしはそれをそっと払いながら、笑った。
「ふっ……まったく、目が離せぬわ。あやつは、いずれ政を変える器かもしれぬぞ」