『豊作祈願、踊りは田を揺らす──それでも俺は鼻の下を伸ばしていた』
米沢の春は、やさしい風に包まれていた。
山の雪解け水が小川を満たし、遠くの峰にはまだ白い名残が見える。
けれど、里にはたしかな“芽吹き”の香りがある。土が目を覚まし、田の水面に空が映り、命が育とうとしていた。
その日は、米沢の農民たちが行う“田の神迎え”の祭り。
春祭りの一幕として、娘たちが「豊作祈願の舞」を舞うというので、俺たちも虎哉宗乙さまに引き連れられ、田の傍の広場へ赴いた。
「ほう……これが村の“豊作祈願の舞”か」
虎哉さまが腕を組み、やや眉を吊り上げながらも、眼差しは真剣だった。
俺のほうは──というと、すでに視線が釘づけである。
娘たちが、薄桃色の布をひらめかせながら土の上を舞っていた。
顔は日に焼け、腕や脚には働き者の逞しさがある。けれど、その一つ一つが、なんというか……こう、素朴にして豊かで……
「……っふふ……ふひ……ふひひ……」
気がつけば、俺の口元は緩み、鼻の下は三寸伸びていた。
「殿。……その顔は、もはや兵法にも勝てぬな」
時宗丸がぼそりと呟き、肘で俺を小突いてきた。
「はっ、はっは……いや、これはな、その……神事ゆえ、神妙な気持ちで──」
「その鼻の下の伸びっぷりでは、神も呆れるであろう」
虎哉宗乙さまが背後から扇子で俺の額をぴしゃり。
びくっとなった俺は、とっさに叫んだ。
「ま、待たれい! これは……もぐら避けじゃ!!」
「……なに?」
全員の視線が集中する。
俺は顔を真っ赤にしながら、田んぼを見て言った。
「も、もぐらは地面の振動を嫌うと申す! だから、こうして舞い踊ることで、もぐらを田から追い出す効果があるのじゃ!」
「…………」
虎哉宗乙さまの目が、細くなった。
「なるほど。農の理をもって色を誤魔化すか。お主、なかなかの言い訳の達人よの」
「ち、違います! 本当に! 見惚れていたのは……その、踊りの脚の、いや、その……振動の!」
「それも脚ではないか……」
時宗丸がため息をついた。
だが、そのとき虎哉宗乙さまがふいに呟いた。
「……だが、確かにもぐらの害は田にとって大敵。踏みしめ、地を揺らすことで除ける──理に適っておる」
俺は、えっ? と顔を上げる。
「民の知恵、馬鹿にしてはならぬ。むしろ、お主のように興味を持ち観察する者こそ、治世者には必要なのかもしれん」
「と、虎哉さま……!」
「もっとも、鼻の下が伸びていなければな」
ぴしゃり。
今度は、ためらいなく扇子が俺の額を打った。
ぐえぇ……。
その横で、娘たちの舞は続いていた。
鈴の音が風に乗り、土の香と混ざって揺れる。
田の水面は、ゆらりと陽を映して光っていた。
振り返れば、米沢城の城下が小さく見える。
そこに息づく人々の声、暮らし、祈り──そのすべてを、この“踊り”が映している気がした。
「……でも、やっぱり脚はきれいだったよなあ」
「また伸びてるぞ、鼻の下」
今度こそ、時宗丸に頭を叩かれた。
──でも、それも含めて、なんだか春だった。