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『山の幸、熊の香──そして俺は、ギャルに惚れた(かもしれぬ)』

春は風に色がある。そう思ったのは、たぶん今日がはじめてだった。

冬がようやく去ったばかりの米沢の山には、うっすらと若草色の息吹が芽吹きはじめていて、虎哉さまのひとことで、我らは山に入ることになったのだ。


「生き物とは、自然から学ぶべきことが多い。学問とは、紙の上だけではない」


そう言った虎哉さまは、今日の学びを“山菜採り”と定められた。

いや、たしかにそれは学びかもしれぬが──


「ねえ殿、こっちこっち〜っ♪ これゼンマイってやつ〜?」


前を歩く、あの黒ギャル……いや、くノ一の伊佐いさ殿が俺の魂を一瞬でさらっていったのは言うまでもない。


浅黒い肌に、山の空気を弾くような笑顔。

甲冑を着ぬその身は、軽装の忍び装束で、なぜか妙に裾が短い気がするのは気のせいではあるまい。

うっかりその膝を見つめていたら──


「若殿、鼻の下、伸びてるわよ?」


横から小夜殿がボソリと指摘してきた。こやつもまた黒脛巾組のくノ一。無口系なのに、こういうときだけ刺してくる。

しかも表情をまったく変えぬのが怖い。…いや、嫌いじゃないが。


「殿〜? この葉っぱ食べられるの?」


伊佐殿が屈んで差し出してくれた葉は、“アザミ”というやつだった。

俺は知ったかぶってうなずいた。


「うむ……たぶん、ゆでて味噌に和えると良い」


「へえ〜っ、物知りっ! さっすがウチの殿〜♡」


その瞬間、何かが俺の内で音を立てて崩れた。

いや違う、これは崩壊じゃない──発芽である。芽生えである。何かしらの、あらたなる感情。


が──


「……ゴォウッ……ッ!!」


空気が裂けるような、野太い唸りが、山の奥から響いてきた。


「っ!? な、なに今の……ッ」


「……熊」


と、小夜殿がぽつり。


そう、山の奥から姿を現したのは、冬眠から覚めたばかりと思われる巨大な熊だった。

俺の小さな脚がすくむのを感じる。背中がびしょりと汗で濡れ、口がきけぬ。

そんな中──伊佐殿が一歩、俺の前に出た。


「……若様は、下がってて」


にやりと、笑った。


刹那、伊佐殿の姿が消える。いや、ほんの一瞬で熊の懐へ潜り込んだのだ。

くるりと舞うように回ったかと思えば──彼女の足が、熊の後頭部に炸裂した。


「──くノ一、伊佐、参るっ!」


鋭い声とともに、手にした苦無が一閃。

熊の肩口を深く裂き、流れる血と共に──熊が、地響きを立てて崩れた。


「ひぃぃいぃっ!?」


俺は変な声を出した。正直に言おう、漏らしそうだった。

しかし……それ以上に、伊佐殿の戦う姿に、何かこう……熱いものが込み上げたのだった。


◆ ◆ ◆


「……で、これがその熊汁だと?」


「はいっ、若様。味噌仕立てにしてみましたっ!」


夜、寺に戻り、くノ一たちが仕込んでくれたのは──熊肉と山菜のたっぷり入った鍋だった。


伊佐殿が、器をよそって俺の前に差し出す。


「はい、殿のぶん♪ 伊佐特製〜っ♡」


「う、うむ……」


たまらず鼻を近づける。香ばしく煮込まれた肉の匂いに、山菜のほろ苦い香りが混ざり──俺はふと、昼間のあの一撃を思い出す。


「伊佐殿は、つよいのだな……」


「ふふ、そりゃあ〜、殿を守るのが仕事ですからっ!」


キラキラと笑うその瞳に、なぜかドキリとした。

いや、これはもう恋……なのか?


「……梵天丸。五歳にして女子に惑うとは、恐れ入ったわ」


背後から、虎哉宗乙さまの低い声と、パシンという扇子の音が響いた。


「うぎゃっ!? お、お師匠さまっ!?」


「今夜の教訓、“色香に惑わされるべからず”。覚えておくがよい」


俺は鼻を押さえながら、熊汁をすする。

だけど、たしかに……この味噌の奥に残る香りは、今日の“冒険”と、“ドキドキ”の味だった。


いつか、この匂いを忘れぬように──俺は、そっと器を抱きしめるのだった。

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