『生きるとは何か──鼻の下と、真理の深さ』
「時宗丸、問うてみよう。そなたにとって、生とはなにか」
和尚――虎哉宗乙がそう言って、ふいに筆を置いた。
朝の座学が終わったばかりだったが、気が抜けるどころか、空気がぴんと張り詰めた。
俺と左衛門は、思わず時宗丸の方を見た。
時宗丸は、畳に正座したまま、眉間にしわを寄せていた。
あの、動けば獣のように跳ねる男が、まるで止まった石像のように静まりかえっている。
――それだけ、この問いは重いのだ。
「……生きる、とは……」
ぽつり、と時宗丸が声を出した。
「飯を食うこと、でござるか……いや……」
首をかしげて、うーんと唸りながら畳に額をつけんばかりに俯く。
何かを考えているというより、何かと格闘している顔だった。
虎哉宗乙は、じっとその様子を見守っている。
俺の方はといえば、うんうん考えているうちに、畳の向こうで座っている“彼女たち”の姿が目に入ってしまった。
──黒脛巾くノ一の、例のふたり。
あの黒く焼けた肌、きりっとした目元、ちょっとくわえた木の葉。
しかも今日は、妙に薄い裾の袴で、腿がちらちら見えて……。
(あああああ、ありがたや……)
気づけば俺は、鼻の下が勝手にのびていた。
時宗丸の悩む横で、俺は“答え”を得ていたのだ。
「和尚、それがし、悟りました!」
「ふむ、申してみよ、梵天丸」
俺は、両手を膝について、朗々と宣言した。
「生きるとは、欲を満たすことでございます!」
「……」
「食の欲、知の欲、そして……女子の脚の裏の匂い!」
ぴしゃん!
俺の額に、扇子が突き刺さった。
虎哉宗乙は、穏やかな顔のまま、だが全身から鬼の気配をにじませていた。
「欲を語るなとは申さぬ。だがな、梵天丸」
「は、はい……」
「欲に支配された者を“生きておる”とは申せぬ。生きておるとは、己で己を律することと知れ」
「う……」
(いてぇ……でも、見てたんだな和尚……)
隣で時宗丸が、小さく笑った。
「なんだ、拙者より先に“答え”を出したと見えて、それがそれか」
「うるさい! だったら、お前はどうなんだよ、“生”とは!」
と、俺が突っ込むと、時宗丸は少しだけ黙ったあと、まっすぐに和尚の方を見た。
「……わからぬ、でござる」
「ほう」
「食うことでも、戦うことでもない。……ただ、今、殿の隣におれることが、なんとも“熱い”でござる」
それは――言葉にしてしまえば拙いけれど。
その場にいた誰もが、はっとするものだった。
虎哉宗乙は、何も言わず、黙ってうなずいた。
そして、俺の方をちらりと見たあと、ひとこと。
「答えとは、問うた本人が一番遠くにあるものじゃ」
「……は、はあ」
その日の学びは、それで終わった。
夕方、寺の裏手で井戸の水をかぶりながら、俺はぼそりと呟いた。
「……やっぱ、女の子の膝小僧は最高だと思う」
すると、木の陰からまたぴしゃりと扇子が飛んできた。
(くっ……和尚、どこに潜んでた!?)
どうやら、“生”の問いに答えるのは、まだまだ先になりそうだ――。
(つづく)