表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/194

『ともに学ぶ者たち──はじまりは、同じ巻物の前で』

朝、草の匂いが寺の土間を満たしていた。


米沢の城下を少し離れた山裾にある、小さな寺。

名は、円明寺という。


ここに来るようになって、もう十日あまり。

虎哉和尚のもと、俺はひたすら“問われる”日々を送っている。

仏とは何か。武とは何か。生きるとは、笑うとは、死ぬとは――。


だけど俺にとって、一番の謎は、和尚の出す朝飯が、妙にうまいことだった。

僧の癖に、山菜の味噌汁の出汁の取り方がやけに本格的である。

あれは絶対、味見してる。


そんなある朝、和尚が言った。


「今日から、そなたに弟子仲間が加わる。馴染みのある者の名もあるであろう」


「……弟子?」


俺は一瞬、身構えた。

誰かと一緒に学ぶことになるのか?

それってつまり、俺の失言とか、気を抜いた顔とかも、全部見られるわけで――


「入れ。名を名乗れ」


和尚の声に合わせて、襖がするりと開いた。

中から現れたのは、ふたりの少年だった。


ひとりは、くせっ毛をひとつに結った、勝気そうな目をした奴。

もうひとりは、無愛想な顔で、俺を睨むように見つめてきた奴。


「伊達家臣、白石の左衛門、参上仕る。殿の御側にて仕え候!」


「同じく、時宗丸。殿の刀になりとうござる!」


左衛門と、時宗丸。

――知ってる。ふたりとも、幼いころ一度だけ城で顔を合わせたことがある。


時宗丸は、年のわりに異様に元気で、目つきが獣みたいに鋭い。

左衛門は、口数が少ない代わりに、まるで人の心を測るような視線をしていた。


「……よう。よく来たな」


なんだか妙に照れくさくなって、俺は気まずそうに挨拶を返した。


「これより三人、同じ屋根の下で学ぶ。互いに切磋せよ」


虎哉和尚はそう言ってから、俺たちに巻物を三つ渡してきた。

最初の課題は、仏の五戒について書かれた巻物をそれぞれに読ませ、解釈を述べよとのことだった。


だが。


「……で、どう思う?」


早くも俺は詰まっていた。

「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」「不妄語」「不飲酒」――どれも簡単なようで難しい。


(酒は飲んだことないけど、嘘とか妄語って……どこからが嘘なんだ?)


考え込んでいたそのとき。


「嘘ってのは、“黙ってること”も含まれるんじゃねえかな」


と、ぽつりと時宗丸が言った。


「だってさ。殿が女子と喋ったときに顔真っ赤になったの、黙ってても全部バレてたっしょ?」


「それは黙っててもいいやつだ!!」


「いやいや、見抜かれてたってことは、結果的に嘘ついたみてぇなもんだ」


このガキ、ぜってえわざとだ。

でも、妙に的を射ている。


「……つまり、“伝えるべきことを伝えない”のも、妄語になるってことか」


俺がそう言うと、口を閉ざしていた左衛門が、ふと口を開いた。


「……争いもまた、沈黙から始まることがございます」


「え?」


「誤解も、怒りも、疑念も。“言わぬが花”は美しくあれど、“言わぬが病”にもなります」


……思ってたより、この左衛門、深い。

この人、無口なだけで、すげえ考えてる。


その日、俺たちは半日をかけて、巻物について語り合った。

正直、学びというより、探り合いだった。

でも、どこか面白かった。


俺は、虎哉和尚の目を盗んで、ふたりの顔をこっそり見た。

時宗丸は、まるで火のようにまっすぐで。

左衛門は、水の底のように静かで深かった。


(このふたりが、俺のそばにいるのか……)


心強い。けれど、なぜか少し、怖くもあった。

このふたりの前で、俺は“嘘”をつけない気がするから。


「さて、明日からは武芸と書を交互に行う。早く起きねばならぬぞ」


和尚の言葉に、ふたりは同時に「承知!」と声を揃えた。


……俺、ちょっとだけ負けた気がした。


だけど。


(これから、もっと強くなる)


そう思える時間だった。


そしてこの寺の日々が、やがて俺たち三人の――戦国の鬼と呼ばれる絆の、最初の章になるなんて、

このときはまだ、誰も知らなかった。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ