『ともに学ぶ者たち──はじまりは、同じ巻物の前で』
朝、草の匂いが寺の土間を満たしていた。
米沢の城下を少し離れた山裾にある、小さな寺。
名は、円明寺という。
ここに来るようになって、もう十日あまり。
虎哉和尚のもと、俺はひたすら“問われる”日々を送っている。
仏とは何か。武とは何か。生きるとは、笑うとは、死ぬとは――。
だけど俺にとって、一番の謎は、和尚の出す朝飯が、妙にうまいことだった。
僧の癖に、山菜の味噌汁の出汁の取り方がやけに本格的である。
あれは絶対、味見してる。
そんなある朝、和尚が言った。
「今日から、そなたに弟子仲間が加わる。馴染みのある者の名もあるであろう」
「……弟子?」
俺は一瞬、身構えた。
誰かと一緒に学ぶことになるのか?
それってつまり、俺の失言とか、気を抜いた顔とかも、全部見られるわけで――
「入れ。名を名乗れ」
和尚の声に合わせて、襖がするりと開いた。
中から現れたのは、ふたりの少年だった。
ひとりは、くせっ毛をひとつに結った、勝気そうな目をした奴。
もうひとりは、無愛想な顔で、俺を睨むように見つめてきた奴。
「伊達家臣、白石の左衛門、参上仕る。殿の御側にて仕え候!」
「同じく、時宗丸。殿の刀になりとうござる!」
左衛門と、時宗丸。
――知ってる。ふたりとも、幼いころ一度だけ城で顔を合わせたことがある。
時宗丸は、年のわりに異様に元気で、目つきが獣みたいに鋭い。
左衛門は、口数が少ない代わりに、まるで人の心を測るような視線をしていた。
「……よう。よく来たな」
なんだか妙に照れくさくなって、俺は気まずそうに挨拶を返した。
「これより三人、同じ屋根の下で学ぶ。互いに切磋せよ」
虎哉和尚はそう言ってから、俺たちに巻物を三つ渡してきた。
最初の課題は、仏の五戒について書かれた巻物をそれぞれに読ませ、解釈を述べよとのことだった。
だが。
「……で、どう思う?」
早くも俺は詰まっていた。
「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」「不妄語」「不飲酒」――どれも簡単なようで難しい。
(酒は飲んだことないけど、嘘とか妄語って……どこからが嘘なんだ?)
考え込んでいたそのとき。
「嘘ってのは、“黙ってること”も含まれるんじゃねえかな」
と、ぽつりと時宗丸が言った。
「だってさ。殿が女子と喋ったときに顔真っ赤になったの、黙ってても全部バレてたっしょ?」
「それは黙っててもいいやつだ!!」
「いやいや、見抜かれてたってことは、結果的に嘘ついたみてぇなもんだ」
このガキ、ぜってえわざとだ。
でも、妙に的を射ている。
「……つまり、“伝えるべきことを伝えない”のも、妄語になるってことか」
俺がそう言うと、口を閉ざしていた左衛門が、ふと口を開いた。
「……争いもまた、沈黙から始まることがございます」
「え?」
「誤解も、怒りも、疑念も。“言わぬが花”は美しくあれど、“言わぬが病”にもなります」
……思ってたより、この左衛門、深い。
この人、無口なだけで、すげえ考えてる。
その日、俺たちは半日をかけて、巻物について語り合った。
正直、学びというより、探り合いだった。
でも、どこか面白かった。
俺は、虎哉和尚の目を盗んで、ふたりの顔をこっそり見た。
時宗丸は、まるで火のようにまっすぐで。
左衛門は、水の底のように静かで深かった。
(このふたりが、俺のそばにいるのか……)
心強い。けれど、なぜか少し、怖くもあった。
このふたりの前で、俺は“嘘”をつけない気がするから。
「さて、明日からは武芸と書を交互に行う。早く起きねばならぬぞ」
和尚の言葉に、ふたりは同時に「承知!」と声を揃えた。
……俺、ちょっとだけ負けた気がした。
だけど。
(これから、もっと強くなる)
そう思える時間だった。
そしてこの寺の日々が、やがて俺たち三人の――戦国の鬼と呼ばれる絆の、最初の章になるなんて、
このときはまだ、誰も知らなかった。
(つづく)