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天然痘から始まる伊達政宗転生の天下統一~ 独眼竜と呼ばれても中身はただの美少女好き戦国オタクです~  作者: 常陸之介寛浩★OVL5金賞受賞☆本能寺から始める信長との天下統一
第三章(第3巻分目)『独眼竜、でも中身はただのオタク高校生です』

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『氷と火の母』

 雪の気配が城の瓦に薄く張りついた朝、見張り番が「女禍めかど通用、北の口より御迎え」と合図した。女の行列――母・義が来るということだ。病がようやく下がり、額の汗が水に変わったばかり。看病奉行を自称する愛姫に「今日は八分の座」と釘を刺され、湯気の立つ粥を半分ほど胃に落としたところだった。


 襖が開き、香の筋がすっと走る。母は黒の小袖に白い羽織、雪を払った袖口の動きまで研ぎ澄まされている。従う侍女と、国分政重の使番が距離をとって控えた。母は座する前に一瞥で部屋を掃き、口角を少しだけ上げる。褒める前触れと見せかけて、刃を抜く目つきだ。


 「……藤次郎。いや、政宗」


 「御機嫌よう、母上。雪にも負けぬお美しさで」


 「お世辞がうまくなったこと」


 母はため息とともに扇を払った。扇の風は冷たいが、内側には微かな火を含んでいる。いつものことだ、と喉の奥で苦笑しながら背筋を正す。


 「病だと聞いた。年賀の直後に倒れるとは、見栄えがよくないね」


 「見栄えは悪うございますが、腹の内は温かく」


 「温かい腹は、伊達の座では甘さだよ」


 切っ先が近い。言い返す言葉はいくつも浮かぶが、ひとつも軽々しく乗せてはならない。母の言は、表の刃であり、奥の秤でもある。秤にのせるのは俺の息だ。乱せば、軽い。


 「体の弱い藤次郎には、やはり当主の重責は重いのではないかね」


 ゆっくり、はっきり。廊下にまで届くように。母はわざとだ。城中に「新当主は病」と刻ませ、同時に「新当主は母に問われる場面でどう答えるか」を見せたいのだ。毒にも薬にもなる言葉を、母はいつも最も効果のある刻に置く。


 「重うございます」


 俺は正面から受けた。母の眉がわずかに動く。


 「けれど、軽い重責はございません。重いから、皆で持つと決めました。病の間は、片倉が印を割り、遠藤が番を替え、大内が噂を薄く流し、鬼庭は槍を磨く。愛は――看病奉行を名乗り、殿の機嫌まで討ち取ります」


 襖の陰で愛姫が小さくむせる音がした。母の視線がそちらへほんの少しだけ滑り、すぐ戻る。口元に薄笑い。


 「甘えるのが早い」


 「頼るのが早い、に言い換えてくだされば」


 「言い換えは自分でするものだよ」


 母は扇をとじ、膝の上で指を組む。指の節までが美しい。若い頃から世の視線を浴びてきた指だ。俺はその指が、かつて熱に浮かされた幼い俺の額に置かれた温度を思い出す。氷のように冷たく、火のように確かだった。


 「藤次郎、お前は昔から熱を出すと、先のことばかり喋った」


 「……覚えがございません」


 「覚えなくていい。覚えているのは親の役だよ。先を言う子は、今に躓きやすい。躓けば家が転ぶ。転ばぬために、親は石を見る。子は空を見る。空だけ見て歩けば、溝にはまる」


 説教は始まった。だが、今日は刃を抜きっぱなしにはしないはずだ。母は扇を膝で二度たたき、俺の顔の色を確かめる。


 「上杉はどうだい」


 「衰えます。家の中が雪に負けます」


 「北条は」


 「盟は守ります。兵糧は出し、兵は顔だけ。顔は寒さに強い」


 「蘆名は」


 「身構えます。こちらは腹を鳴らさず、柵をきつく」


 「佐竹は」


 「利に手を伸ばし、手を引くのが早い。手首を見ておきます」


 母の口角が、わずかに上がった。問いは次から次へと飛ぶ。俺はそれを拾い、短く返す。病後の頭は遅いが、遅いからこそ長くは喋らない。やがて母は問うのをやめ、静かに告げた。


 「……言葉は増えたが、骨は細くない」


 誉め言葉だ。母の辞書で、最大級の。俺は頭を下げかけ、愛姫に脇腹をつつかれたのが分かった。「まだ八分の座」と袖口が訴えている。咳に化けそうな笑いを堪える。


 母はふいに顔をそむけ、障子越しの庭を見た。霜の上を、雀が三度跳ねた。


 「病は、弱さではない。弱さに逃げるのが、弱さだ」


 「はい」


 「お前は逃げていない」


 「はい」


 「だが、逃げない顔ばかり見せると、皆が頼るのをやめる。頼らせなさい。家は、一人の肩に置けば折れる。何人もの指で支えれば、しなって戻る」


 「……心得ます」


 母はようやく座を楽にし、帯の前をほんの少し指で整える。その仕草は、俺の帯を自分で締め直しているようにも見えた。言葉は厳しく、手はいつも細やかだ。


 「それにしても」


 母は今度こそ毒をひと匙。


 「病み上がりの顔のまま座すのは、見栄えが悪いね。台所に鏡はないのかい」


 「ございません。愛の目が鏡で」


 「曇りやすそうな鏡だこと」


 襖の陰で、看病奉行が真っ赤になっている気配がする。殺気と照れの匂いが混ざって、湯気みたいに甘い。母は鼻で笑い、扇で軽く空を払った。


 「それから、あの国分の倅。政重に“いちいち口を挟むな”と伝えなさい。挟むなら、味になる塩を持って来い、とね」


 「承りました」


 「最上へ嫁を寄越せと言う話も、しばらくは無視でよい。愛の器量は見た。竹の紋は、竹の女に持たせなさい」


 母の言は矛盾して見えて、一本の糸でつながっている。家を太らせる糸だ。俺は腹の奥の熱が、病の名残ではない温かさに置き換わるのを感じた。


 「……母上」


 「何だい」


 「来てくださり、かたじけのう」


 「当主の母が、子の病に来るのは当たり前だよ。来たくて来たとでも思うのかい」


 言うが早いか、母は懐から小さな包みを取り出した。白い布に包まれ、紐で結ばれている。結び目は、小さく、目立たず、ほどけない。


 「白湯さゆに溶いて飲みなさい。山の根生姜と、陸奥の蜂蜜。甘くしてある。苦い顔をするなよ。まつりごとは苦い。薬まで苦いと、舌がねる」


 包みを受け取る掌が、ほんの少し汗ばむ。俺は深く頭を垂れた。顔を上げる前に、母は立ち上がっていた。


 「長居はせぬ。病人の枕辺に長居するのは、よい振る舞いではない。――それとも、“弱い当主は母に縋る”と吹聴させたいのか」


 「その必要はございません。母上が来れば、皆が察します」


 「そうさ」


 母は踵を返し、二歩進んでから、ふと思い出したように振り返った。


 「正月の鍋、評判よ。あんこうは、政の味だね」


 「骨が多く、捨てるところがなく、肝が要。……母上に教わりました」


 「生意気な子だよ」


 最後の一刺しは柔らかかった。母はさっと去る。廊下の足音が遠ざかるにつれ、部屋の空気がわずかに緩む。愛姫が襖を少しだけ開け、安堵の息を吐いた。


 「殿、よく受け止められました」


 「受け止めたふりだ。……内臓で受け止めている」


 「では、薬で内臓を温めましょう」


 包みを開けると、指先に生姜の匂いがつく。蜂蜜の色が柔らかい。盃の白湯に溶き、すすぐ。甘さの向こうで、舌がきりりと目覚める。


 「甘いな」


 「甘いのが良いでしょう。今日は叱られましたから」


 「叱られて、甘やかされた」


 「それが母、というものかもしれません」


 愛姫の声が少し震い、すぐに固まる。彼女の目は強い。看病奉行は湯気のなかで帳面を開き、次の段取りを挟み込んでくる。


 「殿。本日の御用、三つのみ。ひとつ、白河より『戸車、凍り付かず』。ふたつ、栃尾より『米、二度目、無事到来』。みっつ、城下の子ら、『結び、ほどけず』」


 「ほどけないのが、良い」


 「はい。ほどけない結びを、わたしたちは増やします」


 頷いて、盃を置く。母の残した匂いがまだ薄く漂う。香の筋と、生姜の筋と、炭の筋。三つの筋が一本の線になって、胸の奥へ流れ込む。俺は軍扇の骨を軽く撫で、印判の冷たさで額の熱を試した。熱は引いている。代わりに、別の熱がある。母の言で火がついた熱だ。


 「……小十郎」


 名を呼ぶと、襖の向こうから即座に返事。彼は音もなく入って、膝をつく。


 「母上の御前での言、廊下で聞いた者は」


 「数えるほど。皆、耳に綿を詰めておりました」


 「綿は寒風を防ぐ。だが、噂は薄く流せ。“母、来たり、去る。新当主、揺らがず”――それで十分だ」


 「承知」


 「遠藤」


 「ここに」


 「番を一筋増やせ。病明けの城は、外から見て弱い。弱いと見せず、強がらず、息を揃える」


 「心得ました」


 「定綱」


 「おり申す」


 「市に生姜を増やせ。蜂蜜は量を見て。城下の喉を先に守る」


 「かしこまりました」


 「鬼庭」


 廊下で「おう」と低い声。槍の金具がひとつ鳴る。


 「穂先は今は寝かせろ。雪の上で跳ねる時に、まっすぐ立つように」


 「承った」


 短い命をいくつか出すと、体の中の熱が静かに均された。愛姫が盃を片付け、火鉢に炭を足す。ゆらぐ火の色が、母の扇の裏に似て見えた。


 夜、机に向かい、今日のことを短く記す。母来る。刃と秤。氷と火。病は弱さに非ず。逃げねば弱くない。頼らせよ。――最後に一行、誰にも見せない文を置く。


 ――母上。わたしは“まっすぐ”でいる。けれど、皆で“しなる”。折れぬために。


 墨を置くと、胸の奥の結び目が確かに締まった。小夜が残した結び目と、伊佐が結び直した結び目と、母がそっと置いていった結び目。そのどれもが、小さく、目立たず、ほどけない。

 俺は軍扇をたたみ、印判を掌にのせ、灯をひとつ落とした。雪はまだ降らない。降ってもよい。降らなくてもよい。どちらでも、城を温める。母の小言は痛い。だが、痛みがあるうちは、俺は鈍らない。

 ――伊達の座は重い。だからこそ、皆で持つ。俺の肩は、もう逃げない。

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