表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/194

『くノ一訓練始動──物陰の影、笑う者あり』

冬の風が、まだ少しだけ肌を刺す。

 けれど、縁側に座る俺の頬は、じわりと熱を帯びていた。


 それも無理はない。

 目の前で、黒装束のくノ一たちが、舞うように剣を振っていたのだから。


「いち、に、さーんっ!」


 かけ声も軽やかに跳ねるのは、黒脛巾組から新たに配されたふたりのくノ一――つばきと黒羽くろはだ。

 俺の護衛兼、訓練相手……という建前の、眼福の舞台である。


 つばきは明るく快活で、声も仕草も陽だまりのよう。

 黒羽は小柄で無口だが、ちらちらと俺を見る目に“何か”を含んでいる。

 言葉には出さないが、「あの目」は年上の雌獣の視線だ。いや、俺はまだ五歳なのだが。


(ちくしょう……前世の知識がなければ、これの意味すら分からなかったぞ……!)


「はいっ、次いきますっ。笑顔でかわし斬り、参りますっ!」


「……くノ一の訓練って、こんなに……こう、和やかなもんだったのか……」


 俺はぽつりとつぶやきながら、視線を逸らすふりをして、しっかり見ていた。

 つばきが扇子を開き、くるりと一回転。黒羽がその背後から一閃の構え。

 だがつばきは半歩引いて受け流す。


「ほら、敵の視線を引いて、力ませずに封じる。柔よく剛を制す、なのですっ」


 いや、それ「笑顔で誘惑してから斬る」じゃないのか? と思いながらも、俺の頬は緩みっぱなしだった。


 黒装束であるにもかかわらず、布の薄さが絶妙なのは、武具の設計上の都合か?

 いいや、そうあってほしいと願う俺の祈りか。


「では、次は“間合いの詰め方”訓練、梵天丸さまもどうぞ~♪」


「ひゃ、つば、あはっ……く、くすぐったいっ!」


 いきなり背後から抱きつかれ、俺は笑い声を漏らしてしまった。

 しかし、そんな油断も即座に戒められることとなる。


「……楽しゅうございますか?」


 背後から、氷柱のような声音。

 喜多が蜜柑の籠を手に現れた。


 その視線は、果実より冷たく、鋭い。


「梵天丸さま。護衛の訓練とは、戯れでございましょうか?」


「い、いや……これは……その……」


「ええと……これは“緊急時にも笑顔を忘れない”という大事な訓練でして……」


「黙れ、つばき」


 珍しく黒羽が口を挟んだ。俺は吹き出しそうになりながら、目線をずらした。


 けれど、そのときだった。


 庭先から、微かな気配が――吹いた。


 風とは違う。視線だ。

 俺は、ぞくりと背筋に粟立つ感覚を覚えた。


 黒羽がすっと前に出て、扇を開いた。

 つばきは即座に俺を背後へ庇うように移動する。


「……気配が、ございます」


 黒羽の声は、低く、張り詰めていた。


 庭の石灯籠、竹垣の裏、土塀の陰……誰かが見ている。


 目には見えない。

 だが、そこに“何か”がいる。


 屋根瓦が、一枚、ころりと転がった。

 風は吹いていない。となれば、動いたのは“誰か”だ。


「中へ──!」


 黒羽が俺を抱き上げる。

 つばきが振り返りざま、何かを投げた。光を反射する小さな手裏剣が、空を裂く。


 そのとき。


「遅れを取りました、申し訳ありません」


 低い声が背後から届く。

 俺が振り返ると、そこには片倉小十郎がいた。影のように、音もなく。


「梵天丸さまの護衛中、気配に遅れました」


「……いいよ、小十郎。俺も、ちょっと、浮かれてた」


 それよりも――と俺は口を閉ざし、そして小声で告げた。


「影は、“笑ってた”。声じゃない。だけど、鼻歌のような、くすくすと……そんな気配があったんだ」


 小十郎が目を細める。

 喜多もまた、籠を置いてじっと空気を見ていた。


 くすくす。


 風の音にまぎれて、ほんのわずかに、聞こえた気がした。


 笑っている。


 見えぬ敵か。

 それとも、俺の中の“何か”を知る者か。


 けれど俺は、もう迷わない。


 この力は、ただの幸運ではない。

 生き残ったあの日から、俺は“見えぬ何か”に目を付けられている。


 それを見抜き、討つ。


 それが、政宗の名を背負う俺の役目だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ