『雪正月の恭順』
正月の城は、いつもより静かだ。喪に服しているから、門松も注連もない。餅だけは炊かせたが、白餅の白がやけに冷たく見える。鐘の音も、いつものように高くは響かず、雪の雲に吸い込まれていった。
年賀の挨拶は控える旨を家中へ回していたが、それでも客は来る。しかも、今日の客は年賀の言葉を持たぬ代わりに、年の初めの進退を持ってきた。
「二階堂盛義殿、石川昭光殿の使者、御前へ」
喜多の声が柔らかく通る。襖が開いて、雪を背に二人の使者が座った。裃は濡れ、裾には細い氷がついている。寒気が大広間の畳に薄く流れ込んで、喪の白がいっそう白くなる。
「お初に御目文字仕る。白河方・二階堂盛義公御使者……」「郡山方・石川昭光公御使者……」二人は深く頭を垂れ、言葉を揃えた。「政宗様の御威名、磐城の統治、白水阿弥陀堂の復興、田村家との縁組、いずれも承り及び候。われら南の山通りを預かる身、伊達家に恭順し、傘下に入ること、願い上げ候」
畳に落ちる彼らの影が震えないのを見て、この覚悟は恐れだけではないと悟る。恐れと、打算と、寒さと、そして少しばかりの期待。人の決断は、たいてい四つ五つの色が混ざっている。
片倉小十郎が脇で静かに控え、大内定綱はさらに奥の柱影で目を細めている。小夜は白布を薄く巻いた頬で来客の出入りを見、伊佐は屋外の備えを指揮しながら、時折こちらの間合いを振り返る。喪の場でも、戦は戦だ。香と間と目線で、刃の行き来を量る。
「まず、よく参った。この寒中に、言葉より重いものを持ってきたな」
俺がそう言うと、使者の肩がわずかに落ち、張りつめていた息が一つ溶けた。
「承り候。……恐れながら、我らがこの申し出をした真意、隠すものにござらぬ。磐城を落とされ、白水に灯をともされ、田村とご縁組。次に滅ぶは我らかと、国中さざめいておりまする」
正直さは、時に剣より強い。俺は頷き、言葉を足す。
「滅ぼすより、使うが家の益。戦は、なるべく避ける。血は雪より温いが、冷えたあとが厄介だ。……恭順の意、受けよう。領地は安堵する。今まで通り治めよ。だが、いくつかの約定が要る」
小十郎が筆をとり、定綱が半歩前に出る。二人の呼吸が揃うのは、いつ見ても気持ちがいい。
「まず一。白水阿弥陀堂にて起請文をしたため、虎哉和尚の前で誓え。僧の前で交わした誓いは、武の前で交わすより重い」
使者はうなずく。「承知」
「二。勿来・夜ノ森・平城の狼煙に連なる見張りを、それぞれの山通りにも置け。狼煙が上がれば、人を出す。雪でも、夜でも」
「承知」
「三。兵糧と材木、松川浦へ月ごとに出す。量は今の半ばでよい。足りなければ改める」
「承知」
「四。人質は取らぬ。その代わり、年に一度、そちらの嫡に我が前で弓を引かせる。矢が的を外れても構わぬ。弓を引ける体であることを見たい」
二人は少し顔を上げ、互いに目を見交わした。人質より軽いが、逃げ道もある約束。こちらの覚悟の出し方を量っている。
定綱が、柔らかい声で継ぐ。「領地安堵状は本日中に。印判は二つ、政宗様と、伊達輝宗様のお印。二階堂・石川の封印もここであわせて押されるがよろしいか」
「よろしゅうございまする」
小十郎が紙を繰り、日付を改める。喪中ゆえ年賀はないが、書付の文は新しい年へ進む。白い餅のように、言葉の腰を柔らかく、しかし伸びすぎぬように。
「それから――」俺は少しだけ間を置き、二人の顔を見渡す。「平城へ一度寄れ。城代・鬼庭右衛門に挨拶し、砦の縄張りを見よ。南の守りは、我らの喉。喉の太さを、共に太くするのだ」
「ははっ」
返事の音が大広間の梁にきれいに響いた。その瞬間、障子の向こうでごく小さな咳払いが聞こえ、続いて水を飲む音がした。伊佐だ。餅を喉につかえさせたのだろう。喜多の低い叱声が続き、黒脛巾の若いのが慌てて背を叩く気配。喪の場にそぐわぬ騒ぎは、三拍で治まった。小十郎が目を閉じ、定綱が咳払いで帳尻を合わせる。俺は視線を落として息を整え、何事もなかった顔で香の煙を追った。
「最後に、ひとつ。白水の鐘は、今朝も鳴った。あの鐘は、我らのためだけに鳴るものではない。雪の中を行く者、飢えに耐える者、迷う者、恥を忍ぶ者。皆に等しく届く。……我らは、その鐘の側に立つ家でありたい」
二人の使者は深々と頭を垂れた。言葉は届いた。届かせたのではない。鐘に背を預け、同じ音を聞いた、という顔だ。
「では、印判を」
小十郎が印箱を開け、朱肉が西日の色を帯びる。俺は筆をとり、安堵状に名を入れ、判を押した。輝宗の印は父の手元で押され、二つの朱が並んだ。二階堂・石川の封印が重なり、四つの朱が白紙の上で静かに結ばれる。
「これにて、二階堂・石川の領地安堵、伊達家家臣として加わること、許す」
言い終えたとき、外の雪が少し細くなった。庭の黒松が、白をこぼしながら枝をわずかに上げる。雪は重く、しかし落ち続けることはない。落ちたぶん、枝は強くなる。
使者は退出し、廊の向こうで足音が遠ざかっていった。俺はその背を見送り、小十郎と定綱に目をやる。
「よくつながったな」
「繋いだのは殿の言葉にございます。僧前の誓い、人質より軽く、人質より重い。あれは、相手の顔を立てながら、逃げ道を塞ぐ綱です」
「逃げ道を塞ぐ、と言いながら、冬道を敷いてやるのが肝でございますな」と定綱。「狼煙、兵糧、白水、三つの道。いずれが詰まっても、残り二つが息をする」
小夜が一歩進み、頬に巻いた白布を指で押さえた。「平城へ使いを走らせます。『新たに二階堂・石川、挨拶に寄る』と」
「頼む」
「伊佐は餅の禁令を」と小十郎が真顔で言い、喜多が即座に「湯に溶かす形にいたします」と返し、伊佐が「殿、餅も戦も形次第で」と妙なことを言って、また喜多に耳をつままれた。喪の大広間に、笑いは小さく、温かく、それでいてすぐ消える。これくらいでよい。過ぎれば品が崩れる。足りねば心が凍る。
書院に戻ると、地図の上に新しい線が増えて見えた。白河から郡山へ、細い糸が二本。勿来の縄と結び、夜ノ森、平城、松川浦へ。陸の糸と海の糸が、やがて太い綱になる。綱は引けば締まり、緩めればほどける。俺が握る手は、まだ小さいかもしれない。だが、握り続けることはできる。
筆をとり、白水へ飛脚の文をしたためた。虎哉和尚へ――二階堂・石川の起請、立ち会いを願う。鐘の音をもう一度。あの鐘の響きは、血を流さぬ戦の太鼓だ。
雪正月。喪の白と、餅の白と、文の白。その上に重ねた朱の印。色の少ない日ほど、ものの形はくっきりする。俺はその輪郭を確かめるように、文机の角を指先で押し、ゆっくりと息を吐いた。
――焦るな。結びは固く、ほどく道も備えよ。祖父の言葉、和尚の教え、父の無茶ぶり。すべてを胸の炉で温め直し、次の一歩の足袋に熱を移す。
戸口の外で、黒脛巾の若いのが「狼煙台へ行ってきます」と走っていく。雪を蹴る音が、やけに軽く聞こえた。いい兆しだ。軽い足音の背で、重い約束が働き始めている。そんな冬の午後だった。