『初めての波、次なる大船へ』
松川浦からの使者が中村城に駆け込んできたのは、朝餉を終えた直後だった。
「若殿、小早船がついに完成いたしました!」
その声に、思わず箸を置いた。待ち望んでいた報せだ。織田から派遣された船大工の指導を受け、松川浦で進めていた造船――ついに形となったのだ。
「すぐに行く」
そう告げて立ち上がると、喜多が「まだ湯治帰りのお体ですから……」と口を挟もうとしたが、俺は笑ってかわした。
「船造りに湯加減は要らぬ」
松川浦へ着くと、潮の匂いが鼻をくすぐり、港の向こうでざわめく声が風に乗って届いた。
岸辺には、家臣や村人たちが集まり、造船場の周りは熱気に包まれている。白く削られた木の肌に、まだ新しい松脂の匂いが漂う。そこに、一艘の船が堂々と姿を現していた。
船体は軽やかで、波を切る形に削り出され、船底は海の青を映して輝いている。船大工たちが手際よく縄をほどき、船を海へ送り出す準備をしていた。
「若殿!」
片倉小十郎が駆け寄り、満面の笑みを浮かべる。
「いよいよ初めて海に入れます。ぜひご覧ください」
岸辺に立ち、俺は息を呑んだ。大工たちの掛け声と共に、船はゆっくりと滑り出し、波へと身を委ねる。最初の瞬間、木が水に触れる音がして、そのまま小早船はふわりと浮かび上がった。
「おおっ!」
その場にいた全員が歓声を上げた。老いた漁師も、子供も、兵も、笑顔で手を叩く。波に揺れる船は、まるで新しい命を得たかのように海を泳ぎ始めた。
「若殿、見てください! あの安定感」
小十郎の声に頷きながら、俺は船の揺れを目で追った。確かに、波が寄せても船は大きく傾かず、滑らかに進んでいく。
その時、織田から派遣された船大工の棟梁が、海を背景にゆっくりと歩み寄ってきた。日焼けした顔には深い皺が刻まれているが、その眼は鋭く若々しい。
「若殿様、これしきのものは当然にございます」
「……当然、か」
「はい。小早船はあくまで技を覚えるための稽古舟。次は安宅船を造って、ご覧に入れましょう」
言葉は淡々としているが、その響きは確かな自信に満ちていた。
「安宅船……」
口にした瞬間、脳裏に描いたのは、堅牢な船体と高くそびえる楼閣、そして何十人もの兵を乗せて波を突き進む姿だった。これが松川浦にあれば、南へも西へも自由に道を開ける。
「棟梁、その約束、必ず果たしてもらう」
「お任せくだされ。織田様からのご厚情もありますが、それ以上に――この港の人々の笑顔、あれがあれば、船は勝手に育ちます」
彼の視線は、岸辺で手を振る村人たちに向いていた。漁師たちは早くも「あの船で沖に出たら大漁間違いなしだ」とはしゃぎ、子供たちは波打ち際で船の形を真似て遊んでいる。
海辺を離れる前、俺は小十郎と並んで船を見つめた。
「若殿、これでまずは漁も輸送も改善されます。物資を松川浦に集めれば、熱田や小田原への海路も近づきます」
「そうだな……だが、これで満足してはならん。これは始まりだ」
「はい。次は安宅船ですね」
小十郎の声に、俺は笑った。
「ああ。あの波の向こう、西国の空へ――この港から漕ぎ出す日を必ず作る」
潮風が頬を撫で、遠くで小早船の帆が音を立てた。
それは、伊達家の海の時代の幕開けを告げる音のように思えた。