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『鬼が、牙を剥くとき』

北国の冬は、空気までが凍るように澄んでいた。凛とした朝の光が城下町の屋根を静かに照らし、煙がまばらに立ち上る中、俺は重ねた文書の山を前に腕を組んでいた。


その中の一通、見慣れた黒い紐で結ばれた密書は、黒脛巾組からの報告だ。


「……岩城常隆、佐竹家と盟を結んだ、か」


俺は声に出すように呟きながら、文の一節を指でなぞった。


磐城の地を治める岩城常隆。大内定綱と黒脛巾組の連携により、その家中には徐々に亀裂が入り始めていた。重臣の中には我らに内通する者も現れ、ここまではうまく進んでいたはずだった。だが、そこへ突然現れたのが、常陸の大勢力・佐竹家との密約――。


「想定以上に、動きが早いな」


報告を読み進めれば、佐竹義重自らが常隆のもとに使者を送り、軍事同盟の締結を急がせたという。そして、その陰には間違いなく、上杉家と蘆名家の影がちらついている。南東からじわじわと包囲する気配……あからさまな“圧”が広がり始めていた。


そのとき、俺は決断した。


「小高城の左月を動かすか……」


すぐさま使者を呼び出し、指示をしたためた。


「小高城主・鬼庭左月に命ず。富岡の地に出城を築き、岩城勢・佐竹勢の南進に備えるべし」


出城を築くというのは、“戦を仕掛けない”という明確な意志表示でもある。睨みを利かせつつ、こちらが仕掛ける気はないと示す。これは牽制だ。だからこそ、この策は鬼庭左月のような男には、少しばかり退屈かもしれないとは思ったのだが――。


予感は、案の定的中する。


俺の命が届いたその夜、小高城から早馬が到着した。


文面は簡潔、しかしまるで叫ぶような筆圧でこう記されていた。


『守りより攻めじゃ! 岩城など、左月が討ち果たしてくれようぞ! 出陣いたす!』


「……はぁ……」


俺は手紙を読み終えると、こめかみに手を当てて天を仰いだ。障子越しに差し込む朝陽の柔らかさが、逆に苛立ちを加速させる。


「俺は“出城を築け”としか言っていないのだがな……」


鬼庭左月。豪胆、豪腕、豪快。何事も『正面から殴る』しか戦の方法を知らぬような、まさに“鬼の名”にふさわしい将。だが、彼の突進力は決して嫌いではない――いや、むしろ頼りにしているのは事実だ。


問題は、その暴れ馬に“手綱”をつける者がいないことだ。


「誰か、左月に“我慢”という言葉を教えてやってくれ……」


そうぼやきつつも、もう止めるには遅すぎる。小高の兵がすでに動き出しているのなら、いまこちらから制止すれば、逆に混乱を招く。


すぐさま片倉小十郎を呼び出し、対応策を練る。


「小十郎、左月が勝手に出陣した」


「はっ……あの御仁が、また……」


小十郎は深々とため息をつくと、苦々しい笑みを浮かべた。


「止めようとした者はおりますが、逆に『なら貴様が討ってこい!』と、鎧のまま庭に飛び出していったとのことです」


「……うん、左月だな」


俺は額を押さえながらも、すでに進んでしまった駒をどう動かすかを冷静に考え始めていた。


「やるからには、中途半端にせぬこと。小十郎、おぬしも備えをしておけ。もし左月が討ち漏らせば、今度はこちらが狙われる」


「心得ております。いっそこちらも出陣し、左月の背を固めましょうか?」


「否、まだ動くな。いま動けば、“伊達家が侵攻の意志を固めた”と見なされかねぬ。情報が拡散される前に、左月の戦が『あくまで暴発であった』ように見せねばならぬ」


「……なるほど、誤算を装うおつもりですな」


「誤算であり、演技でもある。だが――その“演技”の中で、本当に岩城を落とせてしまえば、もっと面白くなる」


それができるのが、鬼庭左月という男だ。


どうせ止まらぬのなら、勝ってこい。俺は密かにそう願いながら、戦の報告を待つことにした。


冬の空は青く晴れ、冷たい北風が中村城の垣根を鳴らしている。


その風の向こう、南方の地では――鬼が、牙を剥いていた。

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