『父、城を訪ねて』
桜の花が散った後、中村の地は風と光の色を変えた。
四月の初旬、まだ朝晩は冷えるものの、昼下がりになると馬場の脇に生える草木が春の息吹を宿し、空を翔ける鷹の鳴き声すらもやわらかに響くようになっていた。
そんな日、城門の前に騎馬の一団が現れた。
城兵が駆けてきて、俺に告げる。
「ご注進。米沢より、伊達輝宗様御一行、中村城へ御入城とのことにございます」
手にしていた筆を置き、俺は思わず立ち上がった。
父が来る──。
この数年、表立っての往来は手紙と使者のみ。中村に移ってからというもの、父とは政務の報告と相談を文にてやりとりするばかりであった。
だが今日は違う。
「……巡察の名目、だろうな」
独りごちる。
表向きは中村城の内政や兵備、また領民の様子を確認するという名目での巡察。それは分かっている。
だが、父が自ら来るというのは珍しいことだ。中村を任された当初は口には出さずとも警戒されていた。だがいま、春風と共にこの城に父が訪れる意味は、ただの監察ではあるまい。
俺は裃を着け、迎えの支度を整える。
やがて城門が開かれ、伊達輝宗の駿馬が中庭に入った。陽光の下、灰色の鎧に深い藍の紋が映えている。常のごとく無駄な装飾はないが、どこか威厳と静けさを纏っていた。
馬を降りた父は、俺と目を合わせた。
ほんの一瞬。
だが、そこにあったのは剣のような鋭さではなく──静かな、何かを確かめるような眼差しだった。
「よく守ってくれているようだな、中村の地」
「はっ、父上のおかげにございます」
頭を下げた俺に、父は小さくうなずいた。
その日は午前中、軍備の確認と町並みの視察があった。城下の百姓たちは緊張しながらも、ぬかりなく整えた道や畑を父に披露していた。
だが父は、細かな点には目を光らせつつも、いずれも大きな咎めはしなかった。
それよりも──俺の側に立って、ただ静かに、共に見ていた。
昼下がり、城内の客間に父を招いた。
広間ではなく、あえて静かな南側の一室。窓から庭の若葉が見える、俺のお気に入りの一角だ。
濃茶が運ばれると、父はそれをひと口飲み、口を開いた。
「お前の政は、よく成っている。……周囲にも、評判は悪くない。とくに、大内定綱と田村清顕とを巧く使ったな」
「恐縮です」
目の奥が、じんと熱くなる。
けっして褒め言葉の多い人ではない。だがいまのその言葉は、かつて子として、跡継ぎとして、どれほど欲していたものだったか。
父は言葉を継ぐ。
「だが……一つ、聞きたいことがある。お前が、畠山義継を“討とう”とした件だ」
呼吸が止まりかけた。
そのことは、書状には一切記していなかったはずだ。だが、父は知っていた。
伊佐や小夜の動きか。あるいは、定綱経由で情報が漏れたのか。どちらにしても、父の情報網を侮っていた。
「……敵意を見せた者に、備えたまでにございます」
「備えと討つこととは、違う」
父の声音は柔らかい。だが、瞳は曇りなく俺を射る。
「お前は……“未来から来た”と、かつて申したな。──ならばこそ、問いたい。畠山義継を討つことは、未来にとって、利となるのか?」
俺は答えられなかった。
正直に言えば、“討つべき”だ。あの男は、いずれ父を──伊達輝宗を害する。
だが、だからこそ葛藤していた。もしこの手でその運命を先に断ち切ってしまえば、それは未来を変えるということだ。いま、ここにいる“父”そのものが変わってしまうかもしれない。
そして……俺は、自分の行動が「正しい」と思えていなかった。
「……私はまだ、決めかねております」
正直な思いを口にした。
父は静かにうなずき、目を細めた。
「よい。人を討つに正義などない。あるのは、“覚悟”と、“報い”だけだ」
そう言って、茶をもうひと口すする。
しばしの沈黙のあと、父はふと、庭に目をやった。
「桜の葉が風に流れておる。春の嵐は、すべてをさらっていく。……だが、根は地にある。散ったように見えても、消えはせぬ」
それが何を意味するのか、すぐには分からなかった。
だがその言葉は、まるで“未来”に向けての何かを託すようで──俺は、茶碗を手にしたまま、ただ黙ってうなずくことしかできなかった。