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『静勝の後の野』

春の風が、まだ冷たさを残したまま中村城を吹き抜けていく。


雪が溶け、城下の小川に水音が戻るこの時節――だが、私の胸のうちには澱のような気が晴れぬままに居座っていた。


「藤次郎様、田村家からの早馬が参っております」


控えの間で政務にあたっていた私のもとへ、小十郎が静かに入ってくる。その表情は、朗報を伝えに来た者のそれだ。


「読め、小十郎」


「はっ」


彼が手にした文を解くと、そこにはこう綴られていた――


『畠山義継、すでに黒川の蘆名家を頼り落ち延びたり。二本松城、無血にて明け渡さる』


……やはり、そうきたか。


傍らの小十郎、そして控えていた左衛門、定綱らもそれぞれに頷く。


「戦なき勝利、お見事にございますな」


定綱が柔らかく言うが、私はそれにうなずけず、黙して机の上の地図を見つめたままだった。


戦は避けられた。城は落ちた。しかし――


私は、納得していなかった。



畠山義継。伊達の年賀に参じ、殊勝な態度を取りながら、その実、裏で謀略の動きを見せた男。


黒脛巾組が掴んだ動静からしても、その二枚舌は明白だった。


私は一度、使者を送り義継を中村に招いた。表向きは懇談。だがそれが真意に届かぬはずはない。


その返答はなかった。いや、返答どころか、使者すら戻らぬ始末。これを挑発と受け取るなという方が無理な話である。


結果、定綱に命じて田村家と共に軍を動かし、包囲の姿勢を見せた――それだけで義継は逃げた。蘆名の懐へ。


戦わずして、勝った。そう言われればそれまでだ。


だが……。


「若……どうなされました?」


小夜の声。背後に控えていた伊佐とともに、気遣うようなまなざしをこちらに注いでいる。


「……腑に落ちぬ」


「はい」


「……討ち取ったならば、完全に清算できた。だが、逃がしたのだ。しかも、より厄介な蘆名のもとへ」


義継という男の気配は、いまだに私の背に張りついている。蛇のような冷たい目が、どこかからこちらを窺っている気がするのだ。


「黒脛巾に命じよ。義継の動向、決して目を離すな」


「御意」


伊佐と小夜が静かにうなずき、音もなくその場を辞した。



その夜、私はひとり書斎で燈火を頼りに筆をとっていた。墨の香が染み入る。


――戦なき勝利。それをよしとする声もあろう。


だが私は知っている。こうした無血の勝利は、次の敵意を育てる温床にもなるのだ。


義継は必ずまた牙を剥く。


そのとき、我らが備えなければならぬ。


「戦いは、終わってなどいない」


私は小さく呟き、手元の地図にまたひとつ、新たな赤線を引いた。

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