『討つべきか否か──師との対話』
冬の朝は、すべてが鈍く、重たく感じる。
寒気は石垣の隙間から忍び寄り、城の廊下の板を冷やし、体の芯までしんと凍み込んでくる。そんな朝だった。
私――藤次郎は、座敷で湯気立つ茶を前にしていた。
昨夜から眠れぬまま、朝を迎えたのだ。頭の中で何度も思考を巡らせた。
畠山義継――。
米沢城の大広間で頭を垂れ、礼儀正しく振る舞っていたが、その仕草のひとつひとつが妙に整いすぎていた。あまりに作られた“忠誠”は、かえって私の警鐘を鳴らした。
あれは……本心ではない。
だからこそ、私は伊佐と小夜に命じたのだ。
「義継の動向を探ってこい。決して接触はせず、影となって、ただ事実だけを持ち帰れ」と。
今朝方、ふたりが帰ってきた。
小夜は眉間にしわを寄せ、伊佐もいつになく口数が少なかった。
「……藤次郎様、義継は二本松に戻るなり、一部の家臣と密かに集まりました。内容は……明確ではありませぬが、兵の移動、火薬の保管場所の確認、そして“御屋形様を迎える算段”との言葉が聞こえました」
御屋形様。
それが輝宗様を指すのか、はたまた――私か。
もし後者なら、これは……明確な謀反の兆し。
私は茶碗を持った手を、そっと膝に置いた。
静かに立ち上がり、廊下を歩く。
向かう先は、虎哉宗乙師の居間。
静かな庭を抜け、門をくぐると、襖の奥から静かな読経の声が聞こえてくる。すぐにその声は止み、しばらくして師が現れた。
「藤次郎か。顔色が悪いな。……湯でも沸かそう」
「いえ、師。すぐに、相談がございます」
私は襖の前で正座した。
虎哉宗乙は、私の前にどっしりと座り、ひとつ息をつく。
「申してみよ」
「畠山義継のことです。師もご存じの通り、昨日の年賀の場で、我が父上に礼を尽くして帰りました。しかし、あの男……本心を隠しております」
「ほう、そう見えたか」
「はい。そして……黒脛巾組の報告によれば、すでに動き出している可能性がございます。密談、兵の再配置、火薬の管理確認……それらは、明らかに備えです」
虎哉宗乙は黙って私の言葉を聞いていた。
私は、続けた。
「……私は、討つべきでしょうか。討たねば、我が命のみならず、父上、そして家中の者たちを危うくするやもしれぬ。
ですが……まだ義継は“動いていない”。確かな証拠は、無いに等しいのです」
虎哉宗乙はしばらく黙していた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「藤次郎。戦は理と情の間で揺れねばならぬ。理のみで討てば、獣と変わらず。情のみで赦せば、家を滅ぼす」
私は目を伏せた。
「だが、それを誰に託すかと問われれば、わしは藤次郎、お前に託す。そなたは、未だ七つの齢にして、理と情の天秤を知る者よ」
「……では、討たず、見極めよということでしょうか?」
「そうではない。討つか否か、その決断を、そなた自身が定めよ。信じるに足る情報、確信、そして覚悟を持って、討つのだ。
そうでなければ、討ったその日から、そなたは夜毎、義継の幻影に苛まれることとなろう」
私は、胸の奥が苦しくなるのを感じた。
まだ私は、誰かを斬るということの意味を、心の底から分かってはいないのかもしれない。
だが、それでも。
「……見極めます。義継が我らを討つ意思を抱いているのならば、躊躇なく対処します。その時こそ、師の言葉を胸に」
虎哉宗乙はゆっくりと頷いた。
「よい覚悟だ。……藤次郎、そなたは、もうすでに、戦のただ中におる。心して歩め」
私は、師に深く頭を下げた。
冷たい空気が、私の背筋を撫でる。
けれども、今の私は迷っていない。
討つか、赦すか。
それを決めるのは、他の誰でもない。
私だ。
この命に、預けられた一族の未来があるのなら。
私は、前へ進むしかないのだ。