『静かなる疑念』
雪の残る米沢城。年賀の挨拶を終えた帰路、私は広間に残る冷たい空気の中、畠山義継の姿を思い返していた。
あの男――あまりに低姿勢で、あまりに礼を尽くし、あまりに疑念を誘った。
「なぜ、あそこまでへりくだる必要がある?」
平伏しきりに頭を下げる義継の姿に、私は背筋がじわりと汗ばむのを感じていた。
未来の知識が、私の心をざわつかせていた。彼はやがて、裏切り、謀り、血に塗れる男だ。
だが、今この時代の者にとって、彼はまだ「義理を重んじる二本松の当主」だ。
「……本当に、それだけだろうか」
私は一人、部屋の障子を閉め、帳の奥で声をひそめた。
「伊佐、小夜。出ておいで」
すぐに天井裏から小さな音がして、二人の黒衣のくノ一が現れる。
「御用でございますか、若」
「義継を、見てきてくれ。行動のすべてを追え。挨拶だけのためにあそこまで演じる者は、何かを隠している」
伊佐と小夜は一言も返さず、頷いた。そして次の瞬間には風のように姿を消した。
◇
夜、私は帳の中で火鉢に手をかざしながら、悩んでいた。
「……俺は、ただの疑心暗鬼に踊らされているのかもしれん」
義継が何かを企んでいる証拠など、今のところはない。だが、疑念を抱かせる「空気」を、確かに感じたのだ。
「お前はその目を持っておる」
そう言ったのは、いつか虎哉宗乙師匠だった。
見えぬものを見る目。それは未来の記憶から来る勘でもあり、理でもある。……だが、それは同時に、まだ何者でもない子供にとって、重い枷でもある。
「何かあってからでは遅い。でも……こちらから動けば、それは謀略になる」
私は悶々としながらも、いずれ来る報せを待った。
◇
数日後、伊佐と小夜が戻ってきた。
「若、やはり怪しい動きがありました」
二本松へ戻った義継は、すぐに重臣たちを集め、何らかの密談を繰り返しているという。
「……内容は?」
「それが……聞き出せておりません。ただ、他国への使者の往来が不審に増えています」
「使者……他国? 蘆名か、佐竹か……あるいは」
胸の奥に不穏な鼓動が湧き上がる。今この瞬間も、何かが、どこかで、動いている――そんな感覚が全身を包んだ。
私は立ち上がり、師のもとへ向かうことを決めた。
虎哉宗乙。
この煩悶を抱えたままでは、正しい判断ができない。
幼い体の中で、私は震える心を押さえつけながら歩き出す。
「討つべきか、討たざるべきか――それを、師に問うために」