『港に夢を、陽の剣を』
鬼庭左月と遠藤基信の背が広間から消えてゆくのを見送ったあと、私はひとり湯飲みに口をつけた。冷めた茶の味が妙に苦く、けれど、その渋みにどこか覚悟のような味を感じた。
──港を、整えよう。
松川浦は荒れていた。漁民たちは戦と重税で姿を消し、浜には打ち捨てられた船がひっくり返っている。海から吹きつける風の中に、かつての賑わいの名残などどこにもなかった。
それでも、あそこには可能性がある。
太平洋に面する天然の良港。風浪を防ぐ入り江の地形。海産資源も豊かで、さらに言えば──海の向こうとつながる力を秘めている。
今は寂れているが、整備さえすれば水運の拠点となり得る。
中村城を本拠に据えると決めたのも、松川浦の存在あってこそ。
「海を制する者が、時を制す」
そう言っていたのは、前世で歴史オタク仲間の一人だった。彼は信長よりも早くポルトガルとの交易を行っていた大内氏を推していた。いまなら、彼の言っていた意味がよくわかる。
港があれば、物流が動く。物流が動けば、富が集まり、情報も人も流れてくる。
──港は、力だ。
「……にしても、面倒だな」
私は帳面をぱらぱらとめくる。鬼庭左衛門と小十郎に出した復興計画は、まだ工程の半ば。漁民の帰還、船の修復、堤の補強に、水揚げ場の整備。更には、海賊まがいの流れ者が出没するという報もあり、警護も万全とはいえない。
「小夜、伊佐」
屏風の影から、黒ギャル風くノ一たちがぬるりと現れた。
「はっ、なんでしょうご主人様♡」
「その呼び方、やめろと何度──いや、いい。松川浦の周辺、特に沿岸の裏道や隠し浜の調査を急いでくれ。妙な連中が潜んでいたら即座に報告を」
「了解っすー」
「舟に細工してくるような輩がいたら?」
「……そのときは、始末してよい」
二人は目を輝かせた。
「おっけー☆」
軽すぎる返事に一抹の不安を感じながらも、彼女たちの実力は確かだ。
部屋に静寂が戻ったあと、私は改めて地図に目を落とした。佐竹、畠山、蘆名、そして最上。周囲は敵だらけだ。その中で生き残り、先を取るには、伊達は変わらねばならない。
それは武の力でも、智の策でもなく──経済と情報で勝つ戦だ。
「……あとは、定綱殿だな」
彼は今、佐竹と畠山に策を巡らせているはずだ。相馬を滅ぼしたときのように、家中に“揺さぶり”をかけてくるに違いない。裏切りと寝返り、そこに情報と金を流し込み、腐らせていく。
その間に、私は足場を築いておく。
港を整え、陸路を繋ぎ、商人を呼び込む。
──それが、七歳の領主・藤次郎の戦いだ。
部屋の外では、鬼庭左衛門と小十郎の声が聞こえる。
「船大工は、隣村の庄屋に声をかけてある。あとは木材だ」
「予算は、若君の指示通りですか?」
「多分、あれじゃ赤字だ。だが……若君は“赤字を恐れるな、港は未来への投資”と言っておられた」
私は苦笑する。
「……前世の株オタクの知恵が、ようやく役立ったか」
秋風が障子の隙間から吹き込み、紙が一枚、ふわりと舞い上がった。私はそれを拾い上げて──筆を取った。
“未来は、船の先端にある”
そう書き記し、巻物に封じた。
そして私は、次なる手を打つべく、再び思考を走らせる。