『磐城への道、影と陽の交差点』
「佐竹より、先に岩城を──か」
広間の片隅、窓から差し込む午後の光に照らされながら、私は茶碗を手にしてつぶやいた。口に含んだ茶のぬるさに、季節の変化と時の流れを感じる。黒脛巾組と定綱殿の影の動きは始まり、私は既に次の構想に入っていた。
だが、その思案を遮るように、控えていた遠藤基信が一歩進み出て、静かに口を開いた。
「若君……常陸の佐竹殿に目を向ける前に、磐城の岩城殿への備えをお忘れでは?」
その問いかけに、私は茶碗を膝に置き、静かにうなずいた。
「忘れていたわけではありません。基信殿、そして左月殿……」
私は名前を挙げながら、遠くを見るように天井を仰いだ。
「磐城の地は、殿が思う以上に要衝です。港があり、交易路があり、そして何より、常陸への道をつなぐ“陸の橋”となる」
「ではなぜ、岩城常隆を後回しに?」
基信殿の疑問は尤もだ。私は少しだけ微笑んで、指先で茶碗の縁をなぞった。
「我らが一挙に佐竹を挟撃するためには、背後を固めておかねばならぬ。それは当然のこと。しかし、岩城は“力”の者に預けねばならぬ地。策ではなく、威と義によって制すべきだと考えました」
「まさか……我らに」
「左月殿には兵を、基信殿には交渉を、それぞれお願いしたいのです」
そう言うと、基信殿はわずかに目を見開き、それから柔らかく笑った。
「なるほど。では、磐城は“影”ではなく“陽”の者が動く……ということですな」
「その通りです」
私の言葉に、今度は広間の外に控えていた鬼庭左月が、無遠慮に襖を開けて入ってきた。どうやら話を聞いていたらしい。
「ほう、わしが“陽”か。……それは面映ゆいのう」
「左月殿には、剛をもってその誠を示していただきたい。城を睨み、兵を配し、相手に選ばせるのです。従うか、あるいは──震えるか」
鬼庭左月は鼻を鳴らして笑った。
「面白い。わしの役回りとしては上等だ」
基信殿もまた、納得したようにうなずく。
「我らが脅威を見せつけつつも、敵に“自ら選ばせる”。それこそが若君のやり方か」
「ええ。選ばせるのです。……ただ、選ばせる道筋はこちらが作る」
その瞬間、三人の間に、確かな連携の気配が生まれた。
策を巡らす定綱殿。影を走る黒脛巾組。前線を担う左月殿。交渉の舵を取る基信殿。そして、私はその全てを束ねる立場にある。
「相馬を落とし、磐城を従え、常陸へ足を伸ばす。その先に見据えるのは、天下の構図です」
私の言葉に、左月殿がくつくつと笑った。
「まったく、七つ八つの童が言う言葉じゃねぇな」
「俺の中身は……いや、何でもありません」
──そう、七歳の童の姿でこの世界に立っていても、胸の奥には、遥かな未来への地図が描かれているのだから。
そして、私は静かに立ち上がった。
「定綱殿の策が動き出すのを待つ間に、磐城の道を、整えておいてください」
「心得た」
左月殿と基信殿が深く一礼し、部屋を後にする。
その背を見送りながら、私は深く息をついた。
──いよいよ、伊達が陸奥を越え、関東に手を伸ばす時が来たのだ。