『落葉の彼方、中村へ』
秋の終わりは、風の匂いが教えてくれる。
しんと冷えた朝の空気、金色の落葉が地を敷き詰めたような中庭。私――藤次郎は、その風景を見下ろす米沢城の廊下で、膝に乗せた風呂敷を指で弄んでいた。
今日が、旅立ちの日だ。
七歳になったばかりの私に与えられた城、中村城。
旧・相馬の要地にして、東へ海を望む松川浦を持つ、伊達家の新たな拠点。
私はそこへ向かう。
けれど、足取りは軽くなかった。
「母上、まいります」
声をかけたのは、ほんのわずかな希望をこめた呼びかけだった。
母――義姫様は、障子の向こうに座していた。
その背はまっすぐで、扇を膝に置き、まるで人形のように動かなかった。
やがて、その背が小さく震えた気がした。
けれど、振り向くことはなかった。
言葉も、なかった。
私は何も言えぬまま、頭を下げた。
幼子のふりをして、無垢な笑顔で手でも振ればよかったのかもしれない。
けれど、今の私には、それはもうできなかった。
米沢城の石畳を下ると、鬼庭左衛門、小十郎、そして喜多姉さまが並んで待っていた。
「藤次郎様、ご準備は」
「馬は控えております。道中、お気をつけて」
小十郎と左衛門の声が重なる。
「喜多は?」
「もちろんお供しますよ。あの城に藤次郎様を一人で行かせるなんて、誰が許すものですか」
そう言って私の手を取る姉のぬくもりに、思わず胸が締め付けられた。
ふと、背後に視線を戻す。
城の高台から、白い息を吐く人影が見えた気がした。
……義姫様。
その視線の先に、私はそっと小さく頭を下げた。
◇
中村への道のりは、秋の紅が終わりを告げる寂しさに満ちていた。
風は冷たく、木々はすでに葉を落とし、旅の影を長く引き延ばしていく。
「風が変わったな……」
そう呟いたのは、鬼庭左衛門。
彼は無口な男だが、季節や天候の変化には敏い。
「海が近づいてきてる証拠ですよ。ほら、匂いも」
伊佐が鼻をひくひくさせて言った。
くノ一の小夜は馬上であくびをかみ殺しながら、「海は寒いっすからね~」とぶつぶつ言っていた。
どこか緩い。だが、その緩さがありがたかった。
皆が気を遣って、気丈に振る舞う私をいつも通り扱ってくれる。
中村へ向かうその旅路は、心を整える時間となった。
◇
そして、ついに中村城へと到着する。
「これが……我が城」
元・相馬家の本拠、中村城。
海から吹きつける風の香りと、潮気を含んだ石垣。
ここから、新たな戦が始まる。
そう思うと、胸が熱くなった。
出迎えに現れたのは、遠藤基信殿。
この地の与力として城内の采配を任された老将だ。
「ご到着、感無量にございまする。藤次郎様」
そう深く頭を下げるその姿に、私はかつて見たことのないほどの敬意と忠誠を感じた。
「こちらこそ……参ります。これより、よろしくお願いします」
幼き身体ながら、私はゆっくりと中村城の門をくぐった。
この地を、伊達家の未来を、私の手で築いていくために。
そしていつか、あの母の沈黙が笑顔に変わる日が来ることを、どこかで願っていた。