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『落葉の彼方、中村へ』

秋の終わりは、風の匂いが教えてくれる。


 しんと冷えた朝の空気、金色の落葉が地を敷き詰めたような中庭。私――藤次郎は、その風景を見下ろす米沢城の廊下で、膝に乗せた風呂敷を指で弄んでいた。


 今日が、旅立ちの日だ。


 七歳になったばかりの私に与えられた城、中村城。

 旧・相馬の要地にして、東へ海を望む松川浦を持つ、伊達家の新たな拠点。

 私はそこへ向かう。


 けれど、足取りは軽くなかった。


 「母上、まいります」


 声をかけたのは、ほんのわずかな希望をこめた呼びかけだった。


 母――義姫様は、障子の向こうに座していた。

 その背はまっすぐで、扇を膝に置き、まるで人形のように動かなかった。


 やがて、その背が小さく震えた気がした。


 けれど、振り向くことはなかった。

 言葉も、なかった。


 私は何も言えぬまま、頭を下げた。

 幼子のふりをして、無垢な笑顔で手でも振ればよかったのかもしれない。

 けれど、今の私には、それはもうできなかった。


 米沢城の石畳を下ると、鬼庭左衛門、小十郎、そして喜多姉さまが並んで待っていた。


 「藤次郎様、ご準備は」

 「馬は控えております。道中、お気をつけて」


 小十郎と左衛門の声が重なる。


 「喜多は?」

 「もちろんお供しますよ。あの城に藤次郎様を一人で行かせるなんて、誰が許すものですか」


 そう言って私の手を取る姉のぬくもりに、思わず胸が締め付けられた。


 ふと、背後に視線を戻す。

 城の高台から、白い息を吐く人影が見えた気がした。


 ……義姫様。


 その視線の先に、私はそっと小さく頭を下げた。



 中村への道のりは、秋の紅が終わりを告げる寂しさに満ちていた。

 風は冷たく、木々はすでに葉を落とし、旅の影を長く引き延ばしていく。


 「風が変わったな……」


 そう呟いたのは、鬼庭左衛門。

 彼は無口な男だが、季節や天候の変化には敏い。


 「海が近づいてきてる証拠ですよ。ほら、匂いも」

 伊佐が鼻をひくひくさせて言った。

 くノ一の小夜は馬上であくびをかみ殺しながら、「海は寒いっすからね~」とぶつぶつ言っていた。


 どこか緩い。だが、その緩さがありがたかった。


 皆が気を遣って、気丈に振る舞う私をいつも通り扱ってくれる。


 中村へ向かうその旅路は、心を整える時間となった。



 そして、ついに中村城へと到着する。


 「これが……我が城」


 元・相馬家の本拠、中村城。

 海から吹きつける風の香りと、潮気を含んだ石垣。

 ここから、新たな戦が始まる。

 そう思うと、胸が熱くなった。


 出迎えに現れたのは、遠藤基信殿。

 この地の与力として城内の采配を任された老将だ。


 「ご到着、感無量にございまする。藤次郎様」


 そう深く頭を下げるその姿に、私はかつて見たことのないほどの敬意と忠誠を感じた。


 「こちらこそ……参ります。これより、よろしくお願いします」


 幼き身体ながら、私はゆっくりと中村城の門をくぐった。

 この地を、伊達家の未来を、私の手で築いていくために。


 そしていつか、あの母の沈黙が笑顔に変わる日が来ることを、どこかで願っていた。



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