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『松川浦に風は吹く』

「中村に移って、何をしたいのだ?」


 それは、評定が終わった後、父・伊達輝宗様から投げかけられた問いだった。


 主だった家臣たちは退き、広間に残っていたのは、父と私――そして脇に控える片倉小十郎だけ。鬼庭左月様は義姉・喜多殿に腕を引かれ、「若の会話に割り込むでない」と追い出されていった。


 畳に正座した私は、父の問いにすぐには答えなかった。


 中村城というのは、旧・相馬家の本拠だ。今は我が家のものとなったその城を望む声も多かった。だが、七歳の若造――藤次郎に与えるには大きすぎるという声も同じくらいある。だから、父上は確かめたかったのだろう。私がどこまで考えているのかを。


 私は、唇を結び、そっと口を開いた。


 「……松川浦を、港として整備したいのです」


 父は目を細めた。驚きとも感心ともつかぬ視線を、私に向けていた。


 「松川浦、か」


 「はい。天然の良港です。南に開けており、相馬から常陸へ、あるいは房総半島へ。さらには江戸方面へも船で物資が流せます」


 「ほう……」


 父が肘をつき、顎をさすった。


 「それだけではありません」


 私は続けた。


 「中村城の背後には阿武隈川があり、そこを内陸輸送路として活用できれば、白石や柴田方面と繋がります。最終的には、奥州の物資をこの港で集め、太平洋へ――」


 ここで、息を吐く。


 「海運こそ、これからの世の鍵だと……そう、信じております」


 父は黙していたが、その目には明らかに感情の波があった。


 私が話しているのは、七歳の子の言葉ではない。前世で都市開発と経済地理を趣味としていた高校生男子、つまり中身おっさんな私の分析だった。地形図と潮流を熟知し、貿易の未来を夢想していたオタク魂が、いまここで花開く――まさか戦国時代で。


 「ふむ……」


 父は、腕を組んだ。


 「やはり海運か。儂も、瀬戸内に栄える毛利を見れば思わぬでもなかったが……」


 その言葉に、私は深く頷いた。


 「松川浦を押さえれば、陸の道だけでなく、海の道も制すことができます。今はまだ小さな入り江でも、工夫次第で船溜まりにも、荷揚げ場にもなります」


 「……藤次郎」


 初めて、父が私を名で呼んだ。


 梵天丸から藤次郎へ。幼名から、名を得た。まだ元服すらしていない七歳の私にとって、それは父が「一人の男」として扱い始めたという証でもある。


 「そちの考え、わかった。儂は、最上・蘆名に睨みを利かせる。相馬郡の発展に努めよ」


 「はっ、ありがたきお言葉」


 「ただし――」


 父の目が鋭くなった。


 「おぬしの中身がいくら老練でも、身体はまだ七歳の童よ。戦の最中に無理はせぬこと。指示を飛ばし、策を練るのは良いが、前線に出る真似はさせぬ」


 「……心得ております」


 本当は前線に出たくてウズウズしていたが、父の懸念ももっともだ。今の私は、馬に乗っても落ちるし、まだ刀を満足に振ることもできない。


 そのとき、父の表情がふっと緩んだ。


 「ところで――その『松川浦』の名をよく知っておったな?」


 「えっ」


 ……やば。


 口が滑ったかもしれない。現代日本の地図を知っているからポンと出た名前だったが、戦国時代ではそこまで有名でもないはずだ。


 「ええと……ほ、ほら、あれです。お不動様の夢枕で、『ここを見よ』と」


 「……不動明王様、万能すぎぬか?」


 父が笑いながら呆れていた。よかった。ギャグの空気でごまかせた。


 でも……そのあとに、少し沈黙が落ちた。


 「まつりごとというのは、面白いの」


 ぽつりと、父が呟いた。


 「武をもって奪い、知をもって守り、智をもって築く。人とは、かくも欲深いものよ。そちはまだ七歳にして、それを実行しようとしておるのだな」


 「……はい。できれば、戦のない地を」


 「――無理じゃな」


 父が、笑った。優しく、寂しく。


 「この世に、争いのない世などあるものか。ただ……戦ってでも、護るものがあるのならば」


 私は頷いた。


 「ならば、港を築いてでも、護ります」


 この戦国の世を、生き抜くために。


 私――藤次郎の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

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