『勝王帰城、不満の御族』
夏の終わりの風が、ほんの少しだけ涼しさを含むようになった。
それでも、米沢城の天守から見下ろす城下は、まだ蝉の声に満ちている。季節は確かに巡っているのだ。
父、伊達輝宗様が戦から戻られるその日──私は、弟・竺丸と並び、母君・義姫の後ろに控えていた。
竺丸はまだ五歳。父上が無事に帰ってくると知って、幼い身体を震わせながら笑っていた。私はその横顔を見つめながら、なんとも言えぬ思いで胸を締めつけられていた。
父上は勝者として帰ってくる。
相馬を滅ぼし、伊達家は新たな領地を手に入れた。その裏に、私の地図、私の策、私の裏工作があった。だが、それを誇りには思わなかった。
戦は、命を削る行いだ。勝利の陰に、いくつの涙があったか──私は、それを知っている。
やがて、馬蹄の音が城門の前に響いた。
「お戻りでございます」
門兵の声とともに、城門が開かれる。
その中を、堂々たる姿で進む父。甲冑を脱いだばかりのような軽装でありながら、その目には確かな威風があった。
「輝宗様、おかえりなさいませ」
母が頭を下げる。
「うむ。留守を頼んだな、義姫」
父の声は、戦場を駆け抜けたとは思えぬほど穏やかだった。
そして、その視線はすぐに私へと向けられる。
「藤次郎──」
「はい」
私は姿勢を正した。義姫の目線を背に感じつつ、父へ一歩進み出る。
父はにこりと笑みを浮かべた。
「よくやった。お主の地図、策、いずれも見事であった。特に、三春の動きと伏兵の布陣は圧巻であった。大内も遠藤も、皆、舌を巻いておったぞ」
「ありがたきお言葉にございます」
胸の奥に熱いものが広がる。だが、私は表情を変えず、ただ深く頭を下げた。
それは、誇らしさなどではなかった。自分の中で湧きあがる「戦の本質」を、噛み締めていたからだ。
──人の命を盤上の駒のように使ってしまった。
戦略の妙。それは誇らしい。だが、私はそれだけで喜ぶことはできなかった。
ふと、背後で衣擦れの音がした。
義姫が、ゆっくりと顔を背ける。
その横顔には、明らかな不機嫌さが滲んでいた。
「……」
私の胸に、氷のようなものが突き刺さる。
──母上は、喜んでおられぬ。
弟・竺丸をそっと抱き寄せるようにして、義姫は何も言わず、静かに城内へと歩を進めていった。
父は気づいていたのかいないのか、竺丸の頭を軽く撫でてから、私の肩に手を置いた。
「藤次郎、しばし共に歩こう」
「はっ」
歩みながら、父は言った。
「義姫は、お前の才を喜んでおらぬ。……それは、母として当然の感情であろう。お主は、もう“子”ではなくなりつつあるからな」
「……はい」
私は足元に目を落とした。
「されど、それでも、お主は我が子だ。戦に関わる責め苦を、背負うこともあるだろう。だが、何があろうとも、我が子を誇らしく思う気持ちは変わらぬ」
「……父上」
その言葉は、冷えきっていた心の奥に、ぽつりと灯を点した。
母の愛を求めている自分と、戦で名を上げてしまった自分。その相反する存在が、胸の中でぶつかり合っていた。
その矛盾に、泣きたいような気持ちが込み上げる。だが、涙は落とさなかった。
「ありがとうございます」
その一言で、私はすべてを封じた。
この道を進むと決めたのは、他でもない、自分だ。
例え母に嫌われようと、弟に嫉妬されようと──伊達家のために進むと、誓ったのだから。