『落つるは風の音』
八月の空は、例年よりも青く、どこまでも高く感じた。稲穂はまだ青く、風はやや湿り気を帯びていたが、どこか乾いた夏の匂いが混ざっていた。
早馬が駆け込んできたのは、昼餉の膳を前にしていたときだった。城の中はまだ静かで、遠くから聞こえる蝉の声すら、まるで報せを先読みしていたかのようだった。
「藤次郎様、早馬にございます!」
侍女の声に、膳に箸を伸ばしかけていた手が止まる。周囲の者たちがすっと動き、道を開ける。小十郎がすぐ脇に控え、伊佐と小夜が背後を守るように立った。
「通せ」
声が自然と低くなる。城内で聞くには不釣り合いな重さが乗った。廊下を踏みしめて入ってきたのは、泥にまみれ、汗と埃を纏った若き兵士。頬はこけていたが、その目は確かに何かを見届けた者のものだった。
「相馬家……滅び申した!」
その言葉は、雷のように大広間を打ち抜いた。
誰もが、固まった。
箸の音も、足音も、誰かの息遣いさえも止まったように感じられた。私は、静かに息を吐いた。
「……詳しく話せ」
膝をついた使者が語り始める。
――大内定綱殿の内応策、功を奏したる。
――相馬家中の要衝において次々と離反、寝返り、あるいは城門を開いた。
――相馬盛胤自ら出陣すれども兵は動かず、味方に裏切られ孤立。
――八月十日、館城開城。
まるで、織物の糸が断たれていくような崩壊。私は、目を閉じて頭の中で相馬の地図を思い浮かべた。海に開いた要衝、福島の地に長く根を張った古き家。
そのすべてが、今この瞬間、風の中に溶けていく。
「それが……戦の結末か」
思わず漏れた言葉に、小十郎がじっとこちらを見ていた。私は首を振る。
「否、これは始まりに過ぎぬ」
心の底から湧き上がるものがあった。
勝ったのだ。策を弄し、情報を操り、裏をかき、そして相馬を屈したのだ。まだ六歳の身でありながら、私は一国を討ち滅ぼした。もちろん、私ひとりの力ではない。父上の決断、大内殿の覚悟、そして黒脛巾組、伊佐、小夜、小十郎、左衛門、喜多──皆の力があってこそだ。
だが、それでも……確かに私は、この戦を導いた。
「……伊達家、勝ちたり」
その言葉は、口から出た瞬間、場に波紋のように広がった。小十郎が片膝をつき、深く頭を垂れた。
「藤次郎様、まこと、このたびのご策見事にござった」
喜多が微笑み、伊佐と小夜が肩を叩き合うように笑った。
「ふふん、やっぱり藤次郎様の勝ち筋読みは天才的っすね」
「まあ、うちの若様ですから」
私は思わず頬をかく。
「……うぬぼれるなよ。勝ったのは、皆の力ゆえ」
だが、胸の奥には熱があった。
戦わずして、滅ぼす。
それこそ、情報と心理を操るこの時代において、もっとも重要な武器。
私は、机に戻り、次の文をしたためることにした。
『相馬の地、すでに我らの手中にあり。されど、次の策を練る時来たる』
ペンではなく筆を持ち、硯に向かうその手に、もはや迷いはなかった。
これが終わりではない。勝利とは、次の戦の入り口なのだ。
相馬が倒れた今、次に動くのは誰か。
最上か、佐竹か、蘆名か、それとも……
私は墨を含ませた筆先を紙に滑らせながら、思わず口角を上げた。
「風は止まぬ。ならば、次も征く」
そう、小さく呟いた。
雪はもう溶け、夏は燃えていた。