表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

104/194

『落つるは風の音』

 八月の空は、例年よりも青く、どこまでも高く感じた。稲穂はまだ青く、風はやや湿り気を帯びていたが、どこか乾いた夏の匂いが混ざっていた。


 早馬が駆け込んできたのは、昼餉の膳を前にしていたときだった。城の中はまだ静かで、遠くから聞こえる蝉の声すら、まるで報せを先読みしていたかのようだった。


「藤次郎様、早馬にございます!」


 侍女の声に、膳に箸を伸ばしかけていた手が止まる。周囲の者たちがすっと動き、道を開ける。小十郎がすぐ脇に控え、伊佐と小夜が背後を守るように立った。


「通せ」


 声が自然と低くなる。城内で聞くには不釣り合いな重さが乗った。廊下を踏みしめて入ってきたのは、泥にまみれ、汗と埃を纏った若き兵士。頬はこけていたが、その目は確かに何かを見届けた者のものだった。


「相馬家……滅び申した!」


 その言葉は、雷のように大広間を打ち抜いた。


 誰もが、固まった。


 箸の音も、足音も、誰かの息遣いさえも止まったように感じられた。私は、静かに息を吐いた。


「……詳しく話せ」


 膝をついた使者が語り始める。


 ――大内定綱殿の内応策、功を奏したる。


 ――相馬家中の要衝において次々と離反、寝返り、あるいは城門を開いた。


 ――相馬盛胤自ら出陣すれども兵は動かず、味方に裏切られ孤立。


 ――八月十日、館城開城。


 まるで、織物の糸が断たれていくような崩壊。私は、目を閉じて頭の中で相馬の地図を思い浮かべた。海に開いた要衝、福島の地に長く根を張った古き家。


 そのすべてが、今この瞬間、風の中に溶けていく。


「それが……戦の結末か」


 思わず漏れた言葉に、小十郎がじっとこちらを見ていた。私は首を振る。


「否、これは始まりに過ぎぬ」


 心の底から湧き上がるものがあった。


 勝ったのだ。策を弄し、情報を操り、裏をかき、そして相馬を屈したのだ。まだ六歳の身でありながら、私は一国を討ち滅ぼした。もちろん、私ひとりの力ではない。父上の決断、大内殿の覚悟、そして黒脛巾組、伊佐、小夜、小十郎、左衛門、喜多──皆の力があってこそだ。


 だが、それでも……確かに私は、この戦を導いた。


 「……伊達家、勝ちたり」


 その言葉は、口から出た瞬間、場に波紋のように広がった。小十郎が片膝をつき、深く頭を垂れた。


「藤次郎様、まこと、このたびのご策見事にござった」


 喜多が微笑み、伊佐と小夜が肩を叩き合うように笑った。


「ふふん、やっぱり藤次郎様の勝ち筋読みは天才的っすね」

「まあ、うちの若様ですから」


 私は思わず頬をかく。


 「……うぬぼれるなよ。勝ったのは、皆の力ゆえ」


 だが、胸の奥には熱があった。


 戦わずして、滅ぼす。


 それこそ、情報と心理を操るこの時代において、もっとも重要な武器。


 私は、机に戻り、次の文をしたためることにした。


 『相馬の地、すでに我らの手中にあり。されど、次の策を練る時来たる』


 ペンではなく筆を持ち、硯に向かうその手に、もはや迷いはなかった。


 これが終わりではない。勝利とは、次の戦の入り口なのだ。


 相馬が倒れた今、次に動くのは誰か。


 最上か、佐竹か、蘆名か、それとも……


 私は墨を含ませた筆先を紙に滑らせながら、思わず口角を上げた。


 「風は止まぬ。ならば、次も征く」


 そう、小さく呟いた。


 雪はもう溶け、夏は燃えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ