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『女手の湯、男の恥』

病の熱がようやく引いた。


 顔に浮かんでいた紅い斑点も、すこしずつ色を失い、

 義姫もようやく微笑みながら「これで一息つけるな」とつぶやいた。


 


 ──そして、いよいよ“湯”の許しが出たのだった。


 


 「殿、お身体が温もれば、きっと気力も戻りましょう。湯をご用意いたします」


 喜多が、湯殿の用意を整えてくれていた。


 


 「湯か……ずいぶん久しいな」


 


 病中は身体を拭いてもらうだけで、まともに風呂に入ることは叶わなかった。


 湯気の立ちのぼる桶を見るだけで、背中がうずうずした。


 


 ところが──。


 


 「では、わたくしが殿のお背を流しますね」


 


 「は?」


 


 さらりと、何事もない顔で喜多が言った。


 「わたくしが」ってなんだ。「誰か」じゃないのか。


 


 「い、いや……それはその、もうひとりで……できる……ぞ?」


 


 「いいえ、まだ右目が塞がれたままではございましょう?

  もし足を滑らせたら、また大騒ぎになりますよ?」


 


 確かに、いまは片目しか見えていない。


 風呂場で転倒すれば骨でも折りかねない。


 


 だが、だからといって──!


 


 「……じゃ、じゃあ小者でいい。男衆で……!」


 


 「殿」


 ぐっと詰め寄られた。


 「わたくしは、片倉の姉にございます。

  弟が右目を抉ったのなら、姉の手でお身体を癒すのは、せめてもの償いかと」


 


 そんな理屈、あるか……?


 


 ──逃げられなかった。


 結局、俺は湯の中で肩まで浸かりながら、

 湯桶を持って隣に座る喜多と、二人きりの時間を過ごしていた。


 


 「それでは、後ろから失礼いたします」


 


 ぴしゃっ、と音を立てて背中に湯がかかる。


 ──ああ、熱い。でも気持ちいい。


 


 背中をなぞる指先は、するすると滑らかで、

 掌のひらに含んだぬる湯が、まるで繭のようだった。


 


 「肩の節々が凝っておりますね。やはり寝込みが続いたせいかと……」


 


 ぐい、と肩甲骨のあたりを押される。

 痛い、けど、悪くない。


 


 「ふふ、力を抜いてくださいませ。殿はもっと、甘えてもよろしいのですから」


 


 「……そんなわけにはいかん」


 


 湯の温度よりも、頬の方が熱くなっていく。


 


 「では、次はお腹を──」


 


 「あ、いや、それは……っ!」


 


 言い終わる前に、もう布が腹に触れていた。

 おまけに、腰に巻いていたふんどしの端が──。


 


 「おぉおい、何を──!」


 


 「失礼いたしますね。蒸れておりますし、こちらもちゃんと洗っておかねばなりませんから」


 


 ずり、と音を立てて、ふんどしが外された。


 熱湯でもかぶったかのように、心臓が跳ねた。


 


 「──女の手で、尻の裏まで洗われる日が来ようとは……!」


 


 「はい? 何か仰いましたか?」


 


 「な、なんでもないッ!」


 


 湯が跳ねる音だけが、やけに大きく響く。


 


 くそ……これが武士の矜持というものか……?

 いや違う、これはただの、羞恥の極みである。


 


 「……殿は、肌が白うございますね」


 


 ぽつりと喜多がつぶやいた。


 「こうして湯に浮かぶと、まるで水晶のようです」


 


 褒められているのだろうが、いまは全裸である。


 しかもふんどしもない。


 


 「……もういいから、出る!」


 


 「まだ髪を洗っておりませんが」


 


 「十分じゃ!」


 


 湯殿に逃げ出すように立ち上がると、

 喜多が後ろからふんどしを持って追いかけてきた。


 


 ──これが戦か。


 いや、思春期の“心の戦”である。


 


 ふんどしひとつ巻くにも、勇がいる。

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