第8話:届け、私たちの物語
出版社の応接室。
飛香は、自分の書いた歴史ノンフィクションの企画書と、第一章の原稿を胸に抱え、静かに息を整えていた。
――緊張しないって決めてたのに。
そう思っても、手は汗ばんでいた。
しかし、編集者はページをめくりながら、ふと目を上げて言った。
「……この切り口、面白いですね。“戦国時代を生き抜いた女性たちのリアル”。今までにない視点です。清原さん、これ、連載にしてみませんか?」
「……えっ……!? ほんとうに……ですか?」
夢が、ほんの少し形を帯びた瞬間だった。
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その夜、帰宅して原稿採用の話を伝えると、大翔は子どものように喜んでくれた。
「すごいよ飛香! いやマジでやばい! 君、デビュー作が連載なんて……!」
「まだ仮契約だし、これから編集さんと詰めていくんだけどね」
「でも夢の扉が開いたんだよ。君がずっと見てた、未来の景色が」
大翔はそのまま、両手で飛香の頬を包み、そっと額を合わせた。
「……やっぱり俺、君が誇りだ」
飛香の胸の奥が、ふわりと熱くなる。
こんなふうに真正面から愛を伝えてくれる人は、彼しかいない。
そして彼の存在が、いつも飛香を前へ進めてくれる。
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そして、大翔からもある「決意」が語られる。
「俺ね、来年いっぱいでアイドル活動を卒業することにしたよ」
「えっ……!」
「もちろん、芸能界は続けるよ。でもね、そろそろ本格的に“プロデュース側”にまわって、次の世代を育てたいんだ」
「……そっか。大翔くんなら、できると思う。たくさんの人を見て、支えて、導いてきたんだもん」
「ありがとう。……それにね、もっと家族との時間を大切にしたくなった。飛香と陽翔と、ずっと一緒にいたいから」
言葉にならなかった。
ただ、大翔の決断がどれほどの重みをもつものかを知っていたからこそ、飛香は心の底からその選択を尊敬できた。
「一緒に、未来をつくっていこうね」
「うん、今度は“裏方”として、君の本のCMつくったりもしてみたいな」
「それ最高!」
二人は笑い合った。
すれ違いながらも、手を離さずにここまで来た。
今、ようやく“同じ歩幅”で歩ける道を見つけたような気がしていた。
大学卒業から数か月が過ぎ、春の訪れとともに、飛香の人生にも新たな風が吹き始めていた。
彼女の夢だった「歴史に関する執筆活動」が、ついに連載として動き出したのだ。
出版社での仮契約が成立し、タイトルは――
『戦国の華たちへ 〜時代を駆けた女たちの真実〜』
女性の視点から戦国の世を描くという斬新な切り口に、編集部の期待も高まっていた。
そして飛香は、週に一度、都内の出版社へ原稿を届けに通う生活を始めた。
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◆家庭と夢、その両立の中で
家では1歳を迎えた息子・陽翔が、活発にハイハイを始めていた。
大翔が陽翔に絵本を読んでいる姿を見ると、飛香の心は自然と柔らかくなる。
「ひーくん、ぞーうさんだよ〜! ぱおーんって言うの。言ってみて?」
「ぱ……」
「おぉ! 天才だ!」
「まだ言ってないから(笑)」
幸せは、こんな何気ない日常の中にある。
そしてそれを支えてくれる存在が、今の自分には揃っている。
だが、夢を追うことは時に葛藤も生んだ。
連載の締め切りが近づくと、陽翔の寝かしつけと自分の作業時間が重なってしまう日もあった。
そんなとき、大翔は静かに声をかけてくれる。
「飛香、今夜は俺が陽翔の寝かしつけするよ。君は原稿に集中して」
「でも、大翔くんも朝早くロケでしょ……」
「それでも、支えたい。君がずっと僕を支えてくれたように」
その言葉に、飛香の目に涙がにじむ。
大学受験、結婚、出産。
ずっと走り続けてきた自分を、彼はいつも傍で受け止めてくれていた。
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◆仲間との再会
週末、飛香は久しぶりに親友の悠依とカフェで再会した。
「えっ!? 連載決まったの!? ちょっと待って、それ本当に!? えっ!? えっ!? すごすぎじゃない!? 飛香、もう尊敬しかない!!」
「ちょ、落ち着いて(笑)」
「落ち着けるか〜! もうさ、あのライブ行ったあの日から、すっごい年月経ってるけど……飛香、ちゃんと夢叶えてるじゃん。かっこいいよ」
悠依は飛香の夢の第一歩を、涙ぐみながら祝ってくれた。
彼女とは中学3年の夏休み、大翔のライブを一緒に観に行ったときからずっと親友だった。
「悠依こそ、ずっと私の背中押してくれてありがと。……私、ちゃんとこの夢、叶えるよ。次は書籍化を目指す」
「うん、応援してる。……あ、また陽翔くん見に行かせてね。ていうか、ひそかに大翔さんにも会いたい」
「そこは“ひそかに”って言わなくても(笑)」
二人は昔のように笑い合い、次の未来に向かってそれぞれ歩いていく決意を新たにした。
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◆未来の選択
ある夜、大翔は静かに口を開いた。
「飛香、俺、来年いっぱいでアイドル活動を卒業しようと思ってるんだ」
飛香は驚きつつも、彼の瞳の奥に決意を感じた。
「……芸能界から引退ってこと?」
「ううん。引退はしない。俳優業と、あとはプロデュースにまわるつもり。
後輩を育てて、今度は裏方から支える立場になりたいと思ってる」
「……それって、本当にすごい決断だね」
「飛香と陽翔のそばに、もっといられるようにしたいんだ。今みたいに、週の半分以上を地方のライブや撮影で空けるんじゃなくて、家族と、未来を一緒に見ていたい」
言葉の一つ一つが胸に響いた。
これまで支えられてきたと思っていたけれど、大翔もまた、家族の未来を本気で考えてくれていた。
「じゃあ、これからは……私の夢も、もっと応援してくれる?」
「当たり前じゃん。……そのうち、飛香の本、映画化してもらって、俺が主演やるよ?」
「え、それ夢じゃなくて現実にしようよ」
「まかせて、君のプロデューサー第一号になるから」
2人はそっと手を重ねた。
指先に伝わるぬくもりが、これから先も一緒に歩いていくと誓うように。
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◆そして始まる、新しい日々
数か月後、飛香の連載はSNSで話題になり、若い女性たちの間で静かなブームを呼んでいた。
「歴史に興味なかったけど、飛香さんの文章で好きになった」
そんな声が編集部に届き始めていた。
家では、大翔が作った簡易セットで、飛香のWebインタビュー用の動画撮影を手伝ってくれる。
育児をしながら、夫婦で創り上げていく未来。
それはまるで、青春の続きのようだった。
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「君の物語が、もっと多くの人に届きますように」
そう言って、大翔がそっと背中を押してくれる。
飛香は振り返り、微笑んだ。
「大丈夫。あなたがそばにいてくれる限り、私は、どこまででも行けるよ」