控室トーク:歴史の味、未来の一杯
(場面:先ほどの『幕間』と同じ、不思議な調和を見せる控室。しかし今度は、中央のテーブルだけでなく、それぞれの哲学者の席の近くにも、小さなテーブルが用意され、個別の飲食物が置かれている。部屋には、やり遂げた後の安堵感と、穏やかな空気が流れている。哲学者たちは、もうすっかりリラックスした様子だ。)
エピクロス:「(自分の前のシンプルな食事を見て、満足げに頷きながら)ふぅ…終わりましたな。しかし、あの『あすか』と名乗る案内人、なかなか鋭い質問を投げかけてきましたな。おかげで、少々疲れましたぞ。
(自分のパンをちぎり、オリーブを一つ口に運びながら)
…おや、これはこれは。なかなか気の利いたものを用意してくれたようですな。皆さんも、どうぞ。わたくし好みではありますが、自然の恵みそのままの、素朴な味わいですぞ。特にこのオリーブとイチジクは、アテナイの陽光を思い出させてくれる。」
マキャヴェッリ:「(自分の前のワインをグラスに注ぎながら)フン、確かにあの小娘、ただ者ではなかったな。…エピクロス先生、あなたのその質素な食事も、確かに心には良さそうだ。だが、儂には少々物足りんかな。
(自分の席の生ハムを指し示し)
やはり、こういうものがないとな。フィレンツェの職人が手間暇かけた生ハムと、トスカーナの太陽を浴びた力強いワイン…これが現実の闘争を生き抜く活力を与えてくれるのだ。マルクス君、君もどうだね?たまにはこういう贅沢も、労働の対価としては悪くあるまい?」
マルクス:「(自分のビールを一口飲み、ソーセージをナイフで切り分け、マキャヴェッリに苦笑しつつ)贅沢、ですか。まあ、否定はしませんがね、マキャヴェッリ君。
しかし、この美味そうなソーセージとビール!これこそ、我がドイツの労働者たちが、一日の終わりに疲れを癒す、ささやかな、しかし確かな喜びだ!エピクロス先生の言う『必要にして自然な』快楽と言えるかもしれんな!皆さんも、どうぞ。このザワークラウトも、なかなか良い出来だ。」
ニーチェ:「(コーヒーの香りを楽しみながら、マルクスのソーセージと自分のソーセージを見比べ)ほう、マルクス君もソーセージかね。だが、質は、こちらの方が上等かもしれんぞ?(と、悪戯っぽく笑う)
この山のチーズもそうだ。スイスの山々…あの孤高の空気を思い出す。力強い精神には、やはり力強い食物が必要なのだ。…エピクロス君、君のその果物は、確かに健康的だろうが、少々…力が湧いてこない気がするな。」
エピクロス:「(穏やかに笑って)ニーチェ君、力は、必ずしも腹を満たすことからだけ生まれるものではありませんぞ。心の平静こそが、最大の力となりうるのです。…しかし、皆さんのその土地土地の味、興味深いですな。少しずつ、味見させていただいても?」
マルクス:「もちろんだとも!さあさあ、遠慮なく!」
マキャヴェッリ:「うむ、儂のワインも試してみるかね?君には少々強いかもしれんが。」
ニーチェ:「フン、私のコーヒーでも飲むかね?君の言う『平静』とは対極かもしれんがな。」
(しばし、哲学者たちは互いの飲食物を勧め合い、少しずつ味見をする。)
エピクロス:「(マルクスのビールを少し口にして)…ほう、これは…なかなかに活力が湧く飲み物ですな。少々苦いが、喉越しが良い。
(ニーチェのチーズを少し食べて)…うむ、濃厚で、滋味深い。確かに、力強さを感じますな。」
マキャヴェッリ:「(エピクロスのオリーブを一つ食べ)…ふむ、シンプルだが、悪くない。ワインが進むな。
(マルクスのザワークラウトをつまみ)…酸味が効いていて、口直しには良いかもしれん。」
マルクス:「(マキャヴェッリの生ハムを一切れもらい)…むぅ、これは…確かに美味い。だが、これを作るのに、どれだけの労働が…いや、今日はやめておこう。(苦笑)
(ニーチェのコーヒーを少し飲み)…!これは…目が覚めるな!君の哲学のように、強烈だ。」
ニーチェ:「(エピクロスのイチジクを一つ口に入れ)…甘美だな。だが、どこか儚い。
(マキャヴェッリのワインを少量テイスティングし)…ふむ、血と土の味がする。君らしいな。」
(和やかな雰囲気の中、食事が進む。)
マキャヴェッリ:「しかし、奇妙な体験だったな。未来の者たちと、あのような形で対話するとは。我々の言葉が、未だに読み継がれ、議論されていること自体、驚きでもあるが。」
マルクス:「うむ。そして、いかに我々の真意が歪められて伝わっているか…それを改めて痛感させられた。あの『あすか』という案内人がいなければ、我々は未来永劫、誤解されたままだったかもしれん。」
ニーチェ:「フン、だが、誤解されるのも、また一興かもしれんぞ?我々の言葉が、それだけ力を持っている証拠でもあるのだからな。…もっとも、あのナチズムのような低俗な利用は、断じて許せんが。」
エピクロス:「確かに。誤解の中からでも、何か新しい思考が生まれる可能性はあるかもしれませんな。…しかし、やはり、できることなら正しく理解してほしい、というのが本音ではありますな。」
マキャヴェッリ:「まあ、今日のこれで、少しは未来の者たちの蒙も啓かれたかもしれん。…だと良いのだがな。」
マルクス:「ああ。我々の言葉が、単なる過去の遺物ではなく、未来をより良くするための糧となることを願うばかりだ。」
ニーチェ:「未来か…フン、それは、君たち自身が創り出すものだ。我々は、ただ道を示すことしかできん。」
エピクロス:「(穏やかに頷き)そうですな。結局は、今を生きる人々が、いかに考え、いかに行動するかにかかっている。…さて、わたくしは、そろそろ『園』の友人たちが待っているので、失礼するとしましょうか。皆さんとこうして語り合えたこと、思いがけず、有意義な時間でしたぞ。」
マキャヴェッリ:「うむ、儂も、そろそろフィレンツェの政務に戻らねばならん。…いやはや、哲学者との議論は骨が折れるわい。」
マルクス:「私も、大英博物館での研究がまだ途中なのでな。…しかし、たまには、こうして違う時代、違う思想の者たちと語り合うのも、悪くない刺激になった。」
ニーチェ:「(立ち上がりながら)フン、私も、シルス・マリアの湖畔での散策が待っている。…さらばだ、諸君。また、いずれ、時の流れのどこかで会うこともあるかもしれんな。」
(哲学者たちは、互いに頷き合い、あるいは軽く別れの挨拶を交わし、それぞれの時代の空気の中へと、ゆっくりと姿を消していくかのように、控室を後にしていく。テーブルの上には、食べかけの料理や飲みかけのカップが残され、先ほどまでの熱い議論と、その後の穏やかな交流の余韻だけが、静かに漂っている。)