ラウンド4: フリードリヒ・ニーチェ・ラウンド
(スタジオ:マルクス・ラウンドの激しい議論の興奮が冷めやらぬ中、あすかが最終ラウンドの開始を告げる。表情には期待と、少しの緊張感が浮かんでいる。)
あすか:「皆さん、息を整えてください!歴史バトルロワイヤル、いよいよ最終ラウンドです!
この番組のトリを飾っていただくのは…この方をおいて他にいないでしょう!19世紀ドイツが生んだ、あまりにも危険で、あまりにも魅力的、そしてあまりにも誤解された哲学者!フリードリヒ・ニーチェさんです!」
(ニーチェ、これまでの議論を睥睨するかのように、挑戦的な笑みを深くして頷く。他のゲストも、最終対決に臨むかのように、あるいはニーチェの言葉を警戒するように、彼に視線を集中させる。)
あすか:「ニーチェさん!あなたの言葉は、まさに『劇薬』ですよね。『神は死んだ』という言葉は、西洋思想の根幹を揺るがす一撃でしたし、『超人』『力への意志』『永劫回帰』…どれも一度聞いたら忘れられない、強烈なインパクトを持っています。
…が!その強烈さゆえに、あなたの思想は、おそらく今日のゲストの中で最も深刻で、最も悪質な誤解に晒されてきたと言っても過言ではないでしょう。」
(あすか、少し声を潜め、深刻なトーンで続ける。)
あすか:「まず『神は死んだ』。これは単なる無神論者の高笑い、あるいは絶望的なニヒリズムの表明だと受け取られがちです。
そして『超人』。これが最悪なことに、ナチス・ドイツによって歪曲され、アーリア民族こそが『超人』であり、他民族を支配する権利を持つ、といった優生思想や支配者の理論に利用されてしまいました。妹のエリーザベトさんが、あなたの遺稿を改竄してナチスに近づいたことも、そのイメージを決定的にしてしまった…。
『力への意志』も、単純な権力欲や、弱肉強食の暴力的な肯定だと解釈され、結果として、あなたは冷酷な非道徳主義者、ニヒリスト、狂気の哲学者、そしてナチズムの思想的な父…そんな、およそ哲学者に対するものとは思えないようなレッテルを貼られ続けてきました。
ニーチェさん、これらの誤解、特にナチズムとの関連という、最も不名誉な汚名について、今、全力で反論をお願いします!」
ニーチェ:「(静かに目を閉じ、一瞬の間を置いてから、ゆっくりと目を開き、燃えるような視線をカメラに向ける)…フン。ようやく、私の出番か。あすか君、君が並べ立てた俗説の数々…聞きながら、反吐が出そうになるのを、ようやくこらえたところだ。特に、あの蒙昧で、最も卑俗な国家社会主義…ナチズムなるものと、この私を結びつける愚劣さ!あれは、私の思想に対する、最も醜悪な冒涜であり、断じて許容できるものではない!」
ニーチェ:「(語気を強めつつ)あの者どもは、私の言葉の最も表層的な部分、特に『力』や『闘争』といった言葉だけを都合よくつまみ食いし、自らの卑しい排外主義と権力欲を正当化するために利用したに過ぎん!
私が説いた『力への意志』とは、そのような粗野で、外部に向けられる物理的な支配欲のことではない!それは、生命そのものに内在する、絶えず自己を乗り越え、より強く、より豊かになろうとする根源的な衝動だ!
芸術家が作品を創造する力、哲学者が新たな真理を求める力、そして何より、人間が自らの弱さや運命をも肯定し、自己自身を最高傑作として形成していく力!それこそが『力への意志』なのだ!あの者どもに、その高貴さが理解できたはずがない!」
あすか:「ナチスが利用したのは、全くの誤解であり、歪曲だった、ということですね。では、『超人』というのも、特定の民族や支配者のことではない?」
ニーチェ:「(断固として)無論だ!『超人』とは、人種や階級、国籍などとは全く関係がない!それは、人間という種が、自らに課せられた目標、乗り越えるべき理想の姿だ!
『神は死んだ』後のニヒリズム…すなわち、全ての価値が失われ、目標が見出せなくなった時代において、もはや外部の権威…神や伝統などに頼ることなく、自らの力で大地に根ざし、新たな価値を創造し、この生成変化する世界と、己の運命を、その苦悩や矛盾も含めて、丸ごと肯定できる(アモール・ファティ!)、そのような未来の人間の可能性を指し示した言葉なのだ!それは、今ここにいる誰か、ではない。我々が目指すべき、遥かなる頂だ!」
あすか:「『神は死んだ』という言葉も、単なる無神論ではなかったんですね。」
ニーチェ:「(深く頷く)あれは、単なる事実認識、文化的診断だ。二千年もの間、ヨーロッパの価値観を支えてきたキリスト教的な神への信仰が、もはやその力を失い、信じられなくなった、という冷徹な事実を告げたに過ぎん。それは、祝杯をあげるような宣言ではない。むしろ、最高価値の崩壊によって、人間がこれから拠り所を失い、深い虚無に陥るであろうという、危機への警鐘だったのだ!そして同時に、その危機の中からこそ、人間が初めて、神に頼らず、自らの手で価値を創造する、偉大な可能性が開かれるのだと、私は告げたかったのだ!
私が戦ったのは、神そのものではなく、むしろ、生命を否定し、この地上を仮の宿と見なし、弱さや同情を『善』として称揚するような、卑俗な『奴隷道徳(キリスト教道徳)』の価値観だったのだ!」
(ニーチェの力強い弁明に、まずエピクロスが、困惑と批判の表情で口を開く。)
エピクロス:「ニーチェ君、君の言葉の激しさ、そして既存の価値への挑戦…そのエネルギーには圧倒される。しかし、君の哲学は、あまりにも…苦痛や闘争を賛美しすぎてはいませんか?運命を、その苦悩も含めて肯定する?なぜ、わざわざ苦しみを愛さねばならないのです?人間の自然な願いは、苦痛を避け、快楽…すなわち『心の平静』を求めることにあるはずです。君の言う『自己超克』や『力への意志』は、絶え間ない緊張と闘争を強いるものであり、それは、わたくしが最も避けようとした、心の平穏とは正反対の道ではありませんか?それは、幸福ではなく、むしろ永続的な苦悩への道にしか、わたくしには思えません。」
ニーチェ:「(エピクロスを憐れむような目で見ながら)エピクロス君、君はまだ、安楽と幸福を混同しているのだな。
苦悩を避けることだけが人生の目的ならば、人間は成長することも、創造することも、偉大になることもないだろう!苦悩こそが、人間を深くし、強くするのだ!高みを目指せば、嵐にも遭う!深淵を覗けば、目眩もする!それを恐れて、ただ無風状態の、浅瀬のような『平静』に安住しようというのは、あまりにも臆病であり、生命に対する冒涜ではないかね?
私は、苦悩も含めて、この生成流転する生を、丸ごと肯定するのだ!それこそが、最高の『力への意志』の表明であり、真の健康なのだ!君の言う『平静』は、病的な倦怠に過ぎん!」
(マキャヴェッリが、現実的な視点から疑問を呈する。)
マキャヴェッリ:「ニーチェ君、君の言う『価値の創造』や『超人』という理想は、実に壮大だ。しかし、そのような存在、あるいはそのような思想が、現実の政治や社会の中で、一体どのような役割を果たすというのかね?
既存の道徳や秩序を破壊し、新たな価値を打ち立てる…それは、言葉で言うほど簡単なことではない。下手をすれば、社会に大混乱を引き起こし、無政府状態を招くだけではないか?
君の『超人』は、一体、どのようにして他者と共存し、社会を運営していくというのかね?それは、結局、新たな専制君主を生み出すか、あるいは社会から孤立した狂人に終わるかの、どちらかではないのか?君の哲学は、あまりにも危険で、非現実的な響きを儂には感じさせるのだが。」
ニーチェ:「(マキャヴェッリを鋭く見据え)マキャヴェッリ君、君はやはり、既存の秩序を守ることしか頭にないのだな。安定?共存?それらは確かに、凡俗な大衆にとっては必要なものかもしれん。だが、偉大な魂は、そのような枠組みに安住することはできんのだ!混乱を恐れるな!破壊を恐れるな!古い価値の瓦礫の中からしか、新しい神殿は築かれんのだ!私が語るのは、政治の技術ではない。人間の、そして文化の、より根源的な変革の可能性だ!新たな価値を創造する者は、常に孤独であり、誤解され、時には危険視されるものだ。だが、それでいいのだ!彼らは、未来の種を蒔く者なのだからな!君のような現実主義者には、到底理解できまい!」
(最後に、マルクスが、階級闘争の視点から痛烈な批判を加える。)
マルクス:「(怒りを込めて)ニーチェ君!君の言うことは、徹頭徹尾、反動的なブルジョア・イデオロギーの極致だ!『超人』だの『価値創造』だの、聞こえの良い言葉を並べているが、それは結局、大多数の労働者階級の苦しみを無視し、一部の特権的なエリート、君の言う『強者』の支配を正当化するための哲学ではないか!
君が軽蔑する『奴隷道徳』の中には、抑圧された者たちの連帯や、平等への希求といった、人間的な価値も含まれているのだ!君はそれを『ルサンチマン』と切り捨てるが、それは支配者の傲慢さに他ならない!
君の『力への意志』は、結局、資本家が労働者を搾取する『力』をも肯定することになるのではないか?君の哲学は、歴史を動かす物質的な力、すなわち経済構造と階級闘争の現実から完全に目を背けている!浮世離れした観念論であり、抑圧された人民の敵だ!」
ニーチェ:「(マルクスを冷たく見下ろし)マルクス君、君はまだ『群れ(ヘーアデ)』の視点から抜け出せないのだな。平等?連帯?それらは、弱者が自らの弱さを慰め合い、優れた個人の台頭を妬み、引きずり下ろすための口実に過ぎん!
君の言う『人民』とやらが、歴史を創造したことが一度でもあったかね?歴史を動かすのは、常に、孤独な、創造的な、危険を冒す個人なのだ!経済構造だと?フン、それもまた、人間の意志と認識が生み出した一つの解釈に過ぎん!君は人間を、単なる経済的な歯車、あるいは階級という抽象的な概念に矮小化している!人間の精神の持つ、無限の可能性を、君は全く理解していない!君の唯物論こそ、人間を最も侮辱する思想だ!」
あすか:「(両手を広げて、激しい応酬を制止する)お、おぉ…!まさに最終ラウンドにふさわしい、思想と魂のぶつかり合い!ニーチェさんのラディカルな思想に、皆さん、真っ向から異議申し立て!これはもう、バトルロワイヤル!言葉の格闘技です!」
(あすか、息を整え、ニーチェに向き直る。)
あすか:「ニーチェさん、エピクロスさんの『幸福』、マキャヴェッリさんの『現実』、そしてマルクスさんの『社会』…それぞれの視点からの厳しい問いかけがありましたが、最後に、これまでの議論全体を通して、そして未来に向けて、伝えたいことは何でしょうか?」
ニーチェ:「(静かに、しかし力強く、未来を見据えるように)…我が言葉が、多くの誤解と危険を孕んでいることは、私自身が一番よく知っている。我が哲学は、万人のための安楽な処方箋ではない。むしろ、険しい山頂を目指す者への、道標であり、呼びかけだ。
諸君!凡庸な安逸に甘んじるな!既成の価値に盲従するな!深淵を恐れるな!君たち自身の中に眠る『力への意志』を呼び覚まし、自らの人生を、あたかも芸術作品を創るように、形成せよ!永劫回帰、そう、たとえ、何度同じ人生を繰り返すことになろうとも、それを喜んで受け入れられるように!
そうだ、汝の運命を愛せ!アモール・ファティ!そして、常に、自己自身であれ!自己自身を超えてゆけ!それが、私が君たちに投げかける、永遠の問いだ!」
あすか:「(深く息をのみ、感銘を受けたように)汝の運命を愛せ…自己自身を超えてゆけ…。ニーチェさん、ありがとうございました。最後の最後まで、私たちを挑発し、考えさせる、力強いメッセージでした。」
(あすか、ゲスト全員を見渡し、満足げに頷く。)
あすか:「さあ、全4ラウンド、偉大な哲学者たちの、誤解に対する魂の弁明と、時空を超えた白熱の議論が繰り広げられました!」