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ラウンド3: カール・マルクス・ラウンド

(前のラウンドのマキャヴェッリの現実主義的な議論の空気が残る中、あすかが少し表情を引き締めて進行する。)


あすか:「歴史バトルロワイヤル、後半戦に突入です!

ラウンド3は、近代社会に最も大きな影響を与えた思想家の一人と言っても過言ではないでしょう、カール・マルクスさんにご登場いただきます!」


(マルクス、待ってましたとばかりに背筋を伸ばし、強い意志を感じさせる目でカメラを見据える。他のゲストも、どこか緊張感を漂わせながらマルクスに注目する。)


あすか:「マルクスさん!オープニングでも、その熱い思いを語っていただきましたが…あなたの思想、特に『共産主義』という言葉には、本当に…重く、そして暗いイメージが、どうしても付きまとってしまっていますよね。」


(あすか、少し慎重に言葉を選びながら続ける。)


あすか:「正直に言って、多くの人は『マルクス』『共産主義』と聞くと、20世紀に現れたソ連や中国、あるいは東欧や北朝鮮のような国々…つまり、一党独裁、秘密警察、強制収容所グラグ、粛清、経済の破綻、そして自由のない社会…といったものを連想してしまうんです。あなたの思想が、結果的にそうした悲劇的な体制を生み出す原因になった、元凶だとさえ考えている人も少なくありません。

また、『暴力革命』を煽り、個人の財産を根こそぎ奪い取る…そんな過激で危険な思想家というイメージも根強いです。『宗教は阿片だ』という言葉も、信仰を持つ人々を単純に馬鹿にした言葉だと受け取られがちですし…。マルクスさん、こうした数々の『負のイメージ』、まとめて、今、どう反論されますか?」


マルクス:「(憤りを抑えきれない様子で、立ち上がりかけるのをこらえながら)…あすか君、よくぞ聞いてくれた。それは、まさに私が、この場で、断固として粉砕せねばならん、悪意に満ちた俗説、いや、歴史に対する冒涜だ!

まず第一に!20世紀に私の名をかたって現れた、いわゆる『社会主義国家』なるもの、特にスターリン体制下のソ連や、その他の国々で見られた官僚的独裁、テロル、そして個人崇拝…これらは断じて、私の理論の必然的な帰結などではない!むしろ、私の思想からの唾棄だきすべき逸脱であり、裏切りだ!」


あすか:「裏切り、ですか?でも、彼らはマルクス主義を掲げていましたよね?」


マルクス:「(語気を強めて)看板だけだ!私が分析したのは、資本主義というシステムが、いかに人間を『疎外』し、労働者からその労働が生み出す価値(剰余価値)を搾取しているか、という構造だ。そして、その内部矛盾が必然的に階級闘争を激化させ、最終的には労働者階級プロレタリアートが自らを解放し、生産手段を社会的に所有する、より高次の社会…すなわち『共産主義』へと移行する歴史的必然性を明らかにしたのだ。

私が思い描いた共産主義社会とは、国家権力そのものが不要となり(死滅し)、階級対立がなくなり、各人がその能力に応じて自由に働き、必要に応じて受け取ることができる、真の人間的自由が花開く共同体だ!

それがどうだ!現実には、私の理論は、未熟な資本主義段階にあった後進国において、一部のエリートが権力を握り、プロレタリアートの名において新たな支配階級(官僚)を形成するためのイデオロギーとして利用された!彼らは国家を死滅させるどころか、かつてないほど強大な国家を作り上げ、人民を抑圧したではないか!これは悲劇であり、茶番だ!」


あすか:「なるほど…。マルクスさんご自身の理想と、現実に起こったことの間には、大きな隔たりがあった、と。では、『暴力革命』や『私有財産の否定』についてはどうですか?」


マルクス:「革命の形態は、各国の歴史的条件によって異なりうると私は考えていた。イギリスやアメリカのような議会制民主主義が発達した国では、平和的な移行の可能性も示唆している。暴力は、旧支配階級が抵抗した場合に、やむを得ず必要となる『産婆役』に過ぎん。

そして『私有財産の否定』!これも悪質な誤解だ!私が廃止すべきだと主張したのは、工場や土地、機械といった『生産手段』の『私的』所有、つまり、それらを持つブルジョア階級が、持たざるプロレタリアートを搾取する根源となっている所有形態のことだ!個々人が生活に必要な衣服や家具、家といった個人的な所有物を否定したことなど一度もない!

『宗教は阿片だ』という言葉もそうだ。あれは、宗教が、この世の苦しみに対する嘆きであると同時に、その苦しみを麻痺させ、現実変革へのエネルギーを削ぐという、社会的な機能を指摘したものだ。信仰そのものを頭ごなしに否定したわけではない。むしろ、なぜ人々が宗教という『阿片』を必要とするのか、その社会的根源(つまり搾取と抑圧)こそを問題にしたのだ!」


(マルクスの熱弁に、エピクロスが静かに口を開く。)


エピクロス:「マルクス君、君の憤り、そして理想は理解できたつもりだ。君が批判する資本主義社会の弊害、特に人々が過剰な富を求めて心をすり減らしている現状は、わたくしも憂慮している。

しかし…君が提唱する『階級闘争』や『革命』という道は、あまりにも多くの苦痛と憎しみ、そして混乱を生み出すのではないかね?たとえその先に理想の社会があるとしても、そこに至る過程で、数えきれない人々の『心の平静アタラクシア』が踏みにじられ、おびただしい血が流されることを、君は是とするのか?目的が正しければ、そのための手段は問わないと?それでは、君が批判する圧政と、どこが違うというのかね?」


マルクス:「(エピクロスに向き直り)エピクロス先生、あなたの危惧はもっともです。しかし、現状維持もまた、静かなる暴力、すなわち構造的な搾取による苦痛を永続させることになりませんか?

階級対立が現に存在し、多くの人々が人間らしい生活から『疎外』されている現実がある以上、それを変革しようとする闘争は避けられない。もちろん、無用な流血は避けるべきだが、歴史は、支配階級が自らの特権をやすやすと手放した例を知らない。時には、陣痛の苦しみを経なければ、新しい生命は誕生しないのです!

我々が目指すのは、一部の特権階級だけでなく、万人が真に人間らしく、自由に生きられる社会の実現なのだ!そのためには、一時的な混乱や苦痛も、歴史的必然として受け入れねばならない局面もある!」


(今度はマキャヴェッリが、冷徹な分析を加える。)


マキャヴェッリ:「マルクス君、君の歴史分析、特に権力と経済の関係性についての洞察は、実に興味深い。しかし、君の描く未来像…国家も階級もない共産主義社会とやらは、失礼ながら、あまりにもユートピア的、空想的に過ぎるのではないかな?

人間というものは、君が考えるほど理性的でもなければ、利他的でもない。権力欲、支配欲、怠惰…そうしたものは、社会制度を変えたところで、形を変えて必ず現れる。

君の言う『プロレタリアート独裁』なる過渡期が、結局、新たな支配者を生み出し、恒久的な独裁体制に陥る危険性は、初めから明らかだったのではないかね?国家なき社会など、それこそ狼の群れの中に羊を放つようなもので、たちまち無秩序と暴力が支配するだろう。君は、人間の本性というものを見誤ってはいないか?」


マルクス:「(マキャヴェッリを睨みつけ)人間の本性だと?マキャヴェッリ君、君こそ、特定の時代、特定の社会関係(つまり君主制や初期資本主義)における人間の姿を、普遍的な『本性』と勘違いしているのではないか?

人間の意識や行動様式は、その時代の社会経済構造によって大きく規定されるのだ!搾取や競争が前提の社会では、人々が利己的になるのもある意味当然だ。しかし、生産手段が共有され、誰もが生存の不安から解放され、協力し合うことが当たり前の社会になれば、人間の『本性』もまた、より協調的で、創造的なものへと変貌していく可能性を、なぜ君は信じようとしないのか!可能性を信じずして、どうしてより良い社会を築けるというのだ!」


(ニーチェが、待ってましたとばかりに、嘲笑を込めて口を開く。)


ニーチェ:「(軽蔑するように)信じるだと?フン…マルクス君、君の言葉は、まるで新しい宗教ではないか!搾取されている『弱者プロレタリアート』を善とし、搾取している『強者ブルジョアジー』を悪とする…それは、私が批判したキリスト教的『奴隷道徳』の焼き直しに過ぎん!

君の言う『階級闘争』とは、結局、持たざる者の、持てる者に対する『ルサンチマン(怨恨)』を原動力にした復讐劇ではないのかね?そして、その行き着く先が『平等』な社会だと?馬鹿馬鹿しい!人間は、そもそも平等ではない!優れた者、劣った者、創造する者、追随する者…それが現実だ!

君の理想とする社会は、結局、全ての人間を『平均化』し、突出した個性を圧殺し、誰もが高みを目指そうとしない、凡庸で退屈な『家畜の群れ』を作り出すだけではないのかね!?私が求めるのは、そのような平等(Gleichheit)ではなく、各人が自らの『力への意志』に従って自己を超克していくことだ!君の唯物史観とやらは、人間の精神、意志、創造性の力を、あまりにも軽視している!」


マルクス:「(怒りに顔を赤くして)ニーチェ君!君こそ、選ばれた者だけが価値を持つという、傲慢なエリート主義の権化ごんげだ!

君の言う『超人』とやらは、結局、その他大勢の犠牲の上に成り立つ特権的存在ではないか!我々が目指すのは、一部の天才や強者のためだけの社会ではない!万人が、その持てる能力を自由に開花させ、労働が苦役ではなく、自己実現の喜びに転化する社会だ!それを『家畜の群れ』と呼ぶならば、君は、人間の持つ無限の可能性に対する、絶望的な不信者と言わざるを得ない!君の哲学こそ、現実の苦しみから目を背けた、観念の遊戯に過ぎん!」


あすか:「(割って入り、場を収めようとする)ストーップ!ストーップ!マルクスさん、ニーチェさん、ヒートアップしすぎです!ああもう、時空が歪むどころか、スタジオが爆発しちゃいそう!

…でも、すごい!まさに思想のガチンコ対決!マルクスさんの社会変革の理論に対して、人間の内面、政治の現実、そして個人の意志と価値…それぞれの立場からの、これ以上ないほど本質的な批判がぶつかり合いました!」


(あすか、マルクスに向き直る。)


あすか:「マルクスさん、皆さんからの厳しいご意見、真正面から受け止めていただきましたが、最後に、これだけは言っておきたい、ということはありますか?」


マルクス:「(息を整え、決意を込めて)…我が理論が、後の世でいかに歪曲され、利用されたとしても、そして、その実現がいかに困難であるとしても、私が提起した資本主義システムそのものへの根本的な問いかけ、すなわち、利潤追求が最優先され、人間が単なる労働力として扱われ、本来持っているはずの創造性や共同性から『疎外』されているという現実…この批判の有効性は、今日においても、いや、ますます重要になっていると確信する!

諸君!目を開け!君たちが生きているこの社会の仕組みを、当たり前だと思うな!問い続けよ!より人間的な社会は可能であると、信じ続けよ!それが、私が未来の世代に託す、唯一のメッセージだ!」


あすか:「(力強く頷き)問い続けよ…!マルクスさん、魂の叫び、確かに届きました。ありがとうございました!

いやはや、ラウンド3、予想通りの、いや、予想以上の大激論でしたね!」


(あすか、次のラウンドへの期待を込めて締めくくる。)


あすか:「さあ、残すは最終ラウンド!トリを飾るのは、あの『神は死んだ』の言葉で世界を震撼させた、哲学界の異端児、フリードリヒ・ニーチェさんです!これまでの議論を踏まえ、ニーチェさんは一体何を語るのか!?まさにクライマックス!絶対にお見逃しなく!」

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― 新着の感想 ―
 なるほどマルクスの掲げる『共産主義』はその国民全てが運命共同体となるといった思想と想われます。  故に特定個人が突出した権利者や財産を持つのではなく、また特定個人が虐げられることを許さないそんなある…
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