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ラウンド2:マキャヴェッリ・ラウンド

あすか:「さあ、白熱の議論が続きます、『歴史バトルロワイヤル』!

続いてのラウンドは、この方なくして政治は語れない!?ルネサンス期フィレンツェが生んだ稀代の政略家、ニッコロ・マキャヴェッリさんに、その『誤解』を解いていただきましょう!」


(マキャヴェッリ、相変わらず鋭い視線で正面を見据えている。他のゲストも注目する。)


あすか:「マキャヴェッリさん、あなたの名前は、現代ではもう『マキャヴェリズム』という言葉とほぼセットですよね。政治の世界はもちろん、ビジネス書なんかでも『マキャヴェッリに学ぶ交渉術!』みたいな感じで、なんだか『目的のためなら、嘘も裏切りも厭わない、冷徹で計算高いやり方』の代名詞みたいになっちゃってます。」


(あすか、少し困ったような顔で続ける。)


あすか:「正直、『あの人、マキャヴェリストだから気を付けて』なんて陰口叩かれたり…。まるで、あなたが積極的に『人を騙せ!』『非情になれ!』って教えてる悪徳教師みたいに思われてるわけですが…。

ご自身の名前がそんな風に使われている現状、率直にいかがですか?やはり、オープニングで仰っていたように『うんざり』ですか?」


マキャヴェッリ:「(深くため息をつき、苛立ちを隠さずに)…うんざりを通り越して、もはや滑稽ですらあるな。

あすか君、君が言うように、儂の名がそのような意味合いで使われていることは知っている。しかし、それは儂の著作、特に『君主論』の、あまりにも表層的で、意図的な曲解に過ぎん。儂はな、悪徳を推奨したことなど一度もない。ただ、政治というものが、清濁併せ呑まざるを得ない、非情な現実であることを直視し、それを記述したまでのことだ。」


あすか:「記述しただけ、ですか?でも、『君主論』を読むと、君主は『恐れられる方が愛されるより安全だ』とか、『時には非道な行いも必要だ』とか、かなり過激なことも書かれていますよね?」


マキャヴェッリ:「(冷静に、しかし力強く)それは、文脈を無視した解釈だ。

あの本は、当時のイタリアが、外国勢力の介入や内部の分裂によって、いかに悲惨な状況にあったかを踏まえて読まねば意味がない。小国が乱立し、傭兵隊長が裏切りを繰り返し、民衆は常に不安に怯えていた。そのような混乱の時代において、いかにして強力な指導者が秩序を回復し、国家を安定させ、外国の侮りから自国を守るか?そのための、いわば実践的な『政治技術論』として書いたのだ。理想論や綺麗ごとだけでは、国家も民衆も守れんという現実を、儂は嫌というほど見てきた。」


あすか:「なるほど…当時のイタリアの混乱が背景にあったんですね。」


マキャヴェッリ:「そうだ。そして、君主にとって最も重要な責務は何か?それは、国家の存続と安定だ。個人の道徳律と、為政者として国家に対して負うべき責任とは、次元が異なる。国家の存亡がかかった時、為政者は時に、世間一般で『非道徳』とされる決断を下さねばならん場面もある。それは『悪』を好むからではなく、より大きな『善』、すなわち国家の平和と秩序を守るための『必要悪』なのだ。例えば、疫病が蔓延するのを防ぐために、感染した一部の地域を封鎖するようなものだ。それは非情な決断かもしれんが、全体の破滅を防ぐためには避けられぬ措置だろう?」


あすか:「うーん、『必要悪』ですか…。でも、その判断って、すごく難しくないですか?誰が、何が『必要悪』かを決めるのか…。」


マキャヴェッリ:「だからこそ、君主には『ヴィルトゥ(Virtù)』が必要なのだ。それは単なる道徳的な『美徳』ではない。状況を的確に判断する知力、決断力、行動力、そして時には冷徹さをも含む、総合的な『力量』や『能力』のことだ。そして、移ろいやすい『フォルトゥナ(Fortuna)』、つまり運命の女神の気まぐれに翻弄されず、このヴィルトゥをもって、いかに国家の舵を取るか。それが為政者の腕の見せ所なのだ。

民衆に愛されるに越したことはないが、恐怖によって規律を保つ方が、不安定な愛情に頼るより、結果として秩序維持には確実だと述べたのも、そうした現実認識に基づいている。見せかけの美徳が、真の美徳よりも政治的に有効な場合すらあるのだ。」


(ここでエピクロスが、静かに、しかし強い口調で反論する。)


エピクロス:「マキャヴェッリ殿、あなたの言う政治の現実、国家維持の重要性は理解できなくもありません。

しかし、そのために嘘や裏切り、非情な手段を用いることを肯定するのは、いかがなものでしょうか?たとえ国家が安定したとしても、為政者自身が、そのような行いによって、自らの『心の平静アタラクシア』を永遠に失うことにはなりませんか?

また、恐怖によって支配される民衆も、真の幸福からは程遠いのではないでしょうか?国家の安定という『結果』のために、人間としての最も大切なものを犠牲にしても良いと?」


マキャヴェッリ:「(エピクロスに向き直り)エピクロス先生、あなたの言う『心の平静』は、確かに個人の理想としては尊いものでしょう。しかし、それは、ある程度安定した社会という土台があって初めて享受できるものではないかな?飢えた狼の群れがいつ襲ってくるか分からないような状況で、『心の平静』など保てますかな?

為政者の責務は、まずその狼を撃退し、柵を築き、民が安心して暮らせる環境を整えることにある。その過程で、手が汚れることもあるやもしれん。しかし、それによって大多数の民の平穏が守られるならば、為政者個人の心の傷など、些末な問題とは言えぬかな?民衆の幸福のためならば、儂は喜んで地獄に落ちる覚悟もある。」


(マキャヴェッリの言葉に、今度はマルクスが厳しい表情で問いかける。)


マルクス:「マキャヴェッリ君、君の分析の鋭さ、現実を見る目の確かさには敬意を表しよう。君主が時に非情な手段を用いるという指摘も、歴史が証明している。

しかし!君の議論は、その『国家』や『君主』が、一体誰のために存在しているのか、という根本的な問いを見落としているのではないか?君が守ろうとしている『国家の安定』とは、結局のところ、支配階級、つまり君主や貴族、あるいはブルジョアジーの利益を守るための安定に過ぎないのではないか?君の言う『政治技術』は、支配階級が労働者階級を搾取し、その支配を維持するための巧妙な道具立てとして機能している側面はないかね?」


マキャヴェッリ:「(マルクスを睨みつけ)マルクス君、君の言う『階級』とやらは、少々単純化しすぎではないかな?儂が見てきたのは、君主も貴族も、そして民衆も、皆が等しく外国勢力に蹂躙され、あるいは内紛によって疲弊していく現実だ。

その中で、まず強力な指導者が現れ、国を統一し、法と秩序を確立しなければ、どの階級の者も幸福にはなれん。支配の道具?そうかもしれん。しかし、その道具がなければ、社会全体が崩壊するのだ。君の言うような理想的な共同体が、現実の歴史の中で、混乱と流血なしに実現したことが、一度でもあったかね?」


(マルクスは反論しようとするが、ニーチェが割って入る)


ニーチェ:「(面白そうに二人を見比べながら)ほう…なかなか興味深い議論だ。

マキャヴェッリ君、君が既存の道徳や偽善を剥ぎ取り、権力の現実を直視しようとする姿勢、そこには共感できる部分もある。君の言う『ヴィルトゥ』には、私の言う『力への意志』の萌芽のようなものも感じられなくもない。

だがな…君の目的は、結局のところ、あまりにも矮小ではないか?国家の安定?秩序の維持?それはそれで重要かもしれんが、人間は、ただ生き延び、安定した社会の中で飼いならされるために存在するのではない!もっと高みを目指すべきではないのか?新たな価値を創造し、自己を超克していく…そう、『超人』へ!君の理想とする君主は、結局、既存の枠組みの中で立ち回る、抜け目のない管理者に過ぎんのではないかね?もっと破壊的で、創造的な精神は、君の哲学には欠けているように見えるが?」


マキャヴェッリ:「(ニーチェに向き直り、冷ややかに)ニーチェ君、君の言う『超人』とやらが、一体どのようなものか儂には想像もつかんが…そもそも、そのような存在が、現実の政治の中で何ができるというのかね?

高邁な理想を掲げるのは結構だが、それが国家を分裂させ、民衆を混乱に陥れるならば、それは単なる自己満足か、危険な狂気に過ぎん。

儂はな、夢想家ではない。現実主義者だ。足元を見据え、今そこにある危機にいかに対処するか、それだけを考えてきた。君の言う『高み』とやらは、しっかりとした土台があって初めて目指せるものではないのかね?」


あすか:「(議論の熱気に圧倒され気味)うわー!マキャヴェッリさん、またしても集中砲火!

でも、エピクロス先生とは違う角度からの鋭いツッコミが…!人間の内面、社会の構造、そして人間の目指すべき理想…それぞれの視点から見ると、マキャヴェッリさんの『現実主義』も、また違った側面が見えてきますね!」


(あすか、マキャヴェッリに向き直る。)


あすか:「マキャヴェッリさん、最後に一言、皆さんのご意見に答えるとしたら、いかがでしょう?特に、あなたが本当に理想としていたのは、強力な君主制だったのか、それとも共和制だったのか…そのあたりも含めて。」


マキャヴェッリ:「(少し間を置き、落ち着いた口調で)…儂が『君主論』で述べたのは、あくまで混乱期における緊急避難的な方策だ。

平時においては、儂自身は、市民が自由闊達に議論し、法に基づいて自らを統治する共和制こそが、最も安定し、かつ偉大な国家を生み出すと考えている。それは『ローマ史論ディスコルシ』で詳述した通りだ。

しかし、現実には、国が腐敗し、市民が自由を享受する能力を失えば、一時的に強力な指導者が必要になる局面もある。

儂は、状況に応じて、最適な処方箋を提示したに過ぎん。理想と現実のギャップ…それを埋めるのが、政治というものの本質であり、困難さなのだ。

儂が悪徳の教師などではないことは、歴史が、そして祖国イタリアの行く末が、いずれ証明してくれるだろう。…そう信じたいものだな。」


あすか:「共和制への思い…そして祖国への憂い。マキャヴェッリさん、あなたの人間的な一面が垣間見えた気がします。ありがとうございました!『マキャヴェリズム』という言葉だけでは分からない、深いお話でした!」


(あすか、次のラウンドへの期待感を煽る。)


あすか:「さあ、政治の現実という、これまたヘヴィなテーマを掘り下げましたが…続いては、社会と経済の根底に迫ります!あの『資本論』の著者、カール・マルクスさんのラウンドです!これまた、とんでもない議論が巻き起こりそう…!どうぞ、お見逃しなく!」

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 マキャベリのそれは要するに抑止力の必要性というところですね。  相手に対する優位性を示せば余裕を持って寛容をなすことも可能になるわけですし。  ただ問題となるのが他者への信用。  抑止力の行使も恒常…
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