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ラウンド1:エピクロス・ラウンド

(スタジオ:オープニングの熱気も冷めやらぬ中、あすかが明るくラウンドの開始を告げる。)


あすか:「さあ、皆さん!歴史バトルロワイヤル、いよいよ本戦開始です!

最初のラウンドは、古代ギリシャの賢人、エピクロスさんにスポットライトを当てましょう!」


(エピクロスが穏やかに頷く。他のゲストは興味深そうに、あるいは少し探るような目つきでエピクロスを見ている。)


あすか:「エピクロスさん、先ほども少し触れましたが、あなたの『快楽主義』という言葉…これがもう、一人歩きしちゃってる代表格ですよね!

現代で『エピキュリアン』なんて言うと、なんかこう…高級レストランで舌鼓を打ったり、希少なワインを嗜んだり、五感を満たす贅沢をとことん追求する美食家、享楽家みたいなイメージ、ありません?


(あすか、少しおどけたように続ける。)


あすか:「テレビのグルメ番組なんか見てても、『まさにエピキュリアンな逸品!』なんて紹介されたりして。まるで、エピクロスさん自身が、毎晩パーティーを開いて、山海の珍味に囲まれて『人生、楽しんだもん勝ちっしょ!』って言ってたみたいに思われてるフシがあるんですが…正直、これ、どう思われます?」


エピクロス:「(静かにため息をつき、少し困ったような、しかし毅然とした表情で)…やれやれ。あすかさん、あなたの仰るようなイメージが流布していることは、残念ながら認めざるを得ませんな。しかし、それはわたくしの哲学とは、似ても似つかぬ代物です。

断言しますが、わたくしが最高の善とした『快楽ヘードネー』とは、そのような刹那的で、感覚を過剰に刺激するようなものではありません。」


あすか:「と、言いますと?快楽は快楽でも、種類が違うってことですか?」


エピクロス:「その通りです。わたくしが真の快楽、人生の目的たる幸福エウダイモニアと考えたのは、まず第一に『心の平静アタラクシア』、すなわち、いかなる精神的な苦痛や動揺、恐怖からも解放された状態です。そして第二に『身体的な苦痛のなさ(アポニア)』。病や飢え、渇きといった、肉体的な苦しみがない状態。この二つが満たされて初めて、人は真の快楽、すなわち幸福を享受できるのです。」


あすか:「心の平静と、体の苦痛がないこと…。なんだか、私たちがイメージする『快楽』とはだいぶ違いますね。もっとこう、ドキドキワクワクするようなものかと…。」


エピクロス:「人々がしばしば追い求める、強い刺激を伴う快楽…例えば、飽食や過度の飲酒、名声や権力欲を満たすことなどは、一見、魅力的かもしれません。しかし、それらは多くの場合、一時的な興奮しかもたらさず、後にはむしろ、より大きな苦痛や不安、渇望を引き起こす原因となりがちです。飽食は健康を害し、過度の飲酒は理性を曇らせる。名声や権力は、嫉妬や失うことへの恐怖を伴う。そのようなものは、真の快楽とは呼べません。」


(ここで、隣に座るニーチェが、フンと鼻を鳴らすのが聞こえる。)


エピクロス:「(ニーチェを一瞥するが、構わず続ける)むしろ、わたくしが重視したのは、『静的な快楽』です。それは、何かを得て興奮する状態ではなく、苦痛や不足がないという、満たされた安定した状態そのものなのです。例えば、喉が渇いている時の苦痛がない状態。激しい嵐の後、凪いだ海のような心の状態。それこそが、持続可能で、人間にとって最も自然な快楽なのです。」


あすか:「なるほど…。ドキドキよりも、穏やかさが大事、と。じゃあ、具体的にはどういう生活を推奨されたんですか?」


エピクロス:「生活は質素であるべきです。必要以上の富や贅沢は、かえって心の平静を乱しますからな。食事は、豪華である必要はなく、空腹を満たすパンと水があれば十分。住まいは、雨風をしのげれば良い。そして何より大切なのは、『賢慮フロネーシス』、すなわち分別を持って、何が本当に必要で自然な快楽かを見極め、将来の苦痛を招かないように選択することです。また、死や神々に対する無用な恐怖心を、知識によって取り除くこと。そして…」


(エピクロス、少し表情を和らげる。)


エピクロス:「そして、何にも代えがたい宝、それは『友情フィリア』です。信頼できる友と、知的な対話を交わし、互いを尊重し、支え合うこと。これこそ、人生における最大級の快楽であり、心の平静を保つための、何よりの砦となるのです。わたくしがアテナイ郊外に開いた『ケーポス』は、まさにそのような友人たちとの共同生活の場でした。

…どうです?これが、世間で言うような『享楽主義』に見えますかな?」


あすか:「(感心したように)いえ…全然違いますね!むしろ、すごく…地に足の着いた、穏やかな幸せというか。友情が一番大事っていうのも、なんだか素敵です。ありがとうございます、エピクロスさん。だいぶ誤解が解けた気がします!」


(あすか、他のゲストに視線を移す。)


あすか:「さて!エピクロスさんの真の『快楽主義』、お聞きいただきましたが…他の皆さん、いかがでしょうか?何かご意見、ご感想は?

…おっと、マルクスさん、何か言いたそうですね?」


マルクス:「(待ってましたとばかりに、身を乗り出して)エピクロス先生、あなたの仰る『心の平静』や『質素な生活』、そして『友情』の価値、それ自体を否定するつもりはありません。しかし!それはあまりにも個人的で、内面的な解決に終始しすぎてはいませんか?あなたが『園』で友人たちと穏やかに暮らせたのは、その生活を支える社会構造、つまり、奴隷労働やその他の不平等が存在したからではないのですか?」


エピクロス:「(少し眉をひそめ)マルクス君、君の言う社会構造の問題は認識しているつもりだ。しかし、個々人が心の平静を得る努力を放棄して、社会全体の変革という、実現するかどうかも分からぬ、そして多くの場合、さらなる混乱と苦痛を伴う闘争に身を投じることが、果たして賢明と言えるだろうか?まずは、自らが足るを知り、内なる平和を確立することこそ、現実的な幸福への道ではないかね?」


マルクス:「(語気を強めて)それは欺瞞です、先生!個人の内なる平和など、搾取と抑圧に基づく社会構造が存在する限り、砂上の楼閣に過ぎない!

飢えに苦しむ労働者、過酷な労働に喘ぐ人々に向かって、『心の持ちようだ、質素に暮らせ』と説くのは、あまりにも無責任であり、支配階級のイデオロギーを補強するだけではないですか!

あなたの言う『苦痛のなさ(アポニア)』は、多くの人々の『苦痛』の上に成り立っている可能性から、目を背けている!」


(マルクスの言葉に、ニーチェが面白そうに口を挟む。)


ニーチェ:「(嘲るような笑みを浮かべて)フン…マルクス君の言うことも一理あるかもしれんが、そもそも、エピクロス君、君の目指す『幸福』そのものが、あまりにも矮小ではないかね?苦痛がないこと?心の平静?それはまるで、満足して反芻はんすうしている家畜の幸福だ!

人間が生きるということは、もっと…苦悩し、闘争し、乗り越え、創造することにあるのではないのか!?危険を避け、波風立てずに、ただ穏やかに、安楽に…そんなものは、私が最も軽蔑する『末人(letzteMensch)』の生き方そのものだ!

君の言う『快楽』には、生の躍動も、高みを目指す意志も、微塵も感じられん!」


エピクロス:「(冷静に、しかし強い意志を込めて)ニーチェ君、君の言う『生の躍動』とやらが、しばしば人間を狂気や破滅に導いてきたことを、歴史は証明しているのではないかね?

苦悩や闘争に価値を見出すのは君の自由だが、それを万人に強要するのは、それこそ傲慢というものでは?なぜ、穏やかで、持続可能な幸福を軽蔑する必要がある?

多くの人々が求めているのは、君の言うような超克ではなく、日々のささやかな安らぎなのだよ。それを『家畜の幸福』と断じるのは、あまりにも酷ではないかね?」


(ここで、今まで黙っていたマキャヴェッリが、冷ややかに口を開く。)


マキャヴェッリ:「(エピクロスとニーチェを交互に見て)お二人とも、議論が少々、観念的すぎませんか?

エピクロス先生、あなたの言う『心の平静』は、確かに魅力的でしょう。しかし、そのような状態は、そもそも国家が安定し、外敵の脅威がなく、内乱の心配もない、という極めて恵まれた条件下でしか成り立たないのでは?

政治の現実というものは、もっと流動的で、危険に満ちている。君主や為政者が、時に汚い手を使ってでも国家の安定を維持しなければ、あなたのような『園』での穏やかな生活など、瞬く間に吹き飛んでしまう。政治的な闘争から目を背け、個人の内面に閉じこもるのは、ある種の特権であり、無責任とも言えませんか?」


エピクロス:「(少し困惑したように)マキャヴェッリ殿、あなたの言う政治の現実の厳しさは理解します。しかし、その政治闘争そのものが、人々の心をかき乱し、恐怖と不信を生み出し、結果として、誰もが心の平静を得られない世の中を作り出しているとは考えられませんか?

わたくしは、政治から距離を置くことで、少なくとも自分自身と友人たちの幸福を守ろうとしたのです。それが、なぜ無責任と言われねばならないのか…。」


あすか:「(議論が白熱する中、割って入る)わーっ!エピクロスさん、いきなり三方向から集中砲火ですね!でも、皆さん、それぞれご自身の哲学に基づいて、鋭いご指摘…。

エピクロスさんの『穏やかな幸福』、それを支える社会、その価値自体、そしてそれを可能にする政治的安定…うーん、一つの『誤解』から、こんなにも議論が広がるとは!」


あすか:「エピクロスさん、最後に、今の皆さんからのご批判に対して、何か一言、反論や補足はありますか?」


エピクロス:「(少し考え込み、静かに答える)…皆さんのご指摘は、それぞれ一理あります。わたくしの哲学が、万能の解決策でないことも認めましょう。しかし、忘れないでいただきたい。過剰な富や権力、社会的な成功を追い求めるあまり、多くの人々が、かえって精神的な苦痛や不安に苛まれているのも、また事実です。

わたくしが示したのは、そのような外部の喧騒に惑わされず、自分自身の内なる声に耳を傾け、足るを知り、身近な人々との繋がりの中に、ささやかでも確かな幸福を見出す道です。それは、どんな時代、どんな社会体制、どんな政治状況にあっても、個人が追求しうる、普遍的な知恵だと、わたくしは今でも信じております。

…それ以上でも、それ以下でもありません。」


あすか:「(深く頷き)内なる声に耳を傾け、足るを知る…普遍的な知恵、ですか。エピクロスさん、ありがとうございました。最初のラウンドから、非常に示唆に富む、そして白熱した議論となりました!」


あすか:「さあ、エピクロスさんの『快楽主義』の真意、少しは見えてきたでしょうか?

続いてのラウンドでは、あの『君主論』の著者、マキャヴェッリさんの誤解に迫ります!どうぞ、お楽しみに!」

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 エピクロスの唱える『快楽主義』は中庸や今流行りのスローライフへの憧れといったところでしょうか。  他の三者が唱えることが現実への対応であるとするならば彼のそれはそれが目指すべき目的というものでしょう…
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