修道女のパスタと謎〜辺境伯爵とスペルト小麦の香草パスタ〜
修道女達の食事は基本的に質素だ。パンにスープ、あとはサラダを食べる事が多い。魚料理も多いが、肉はあまり食べない。
断食節や祈祷会がある時は何も食べない。欲を持つことは修道院ではタブー。食欲もそうだが、おかげで修道女達の平均寿命が長く、健康的だった。
ノーラもその一人。平均寿命が四十から四十五の時代、五十五歳まで生きていた。まだまだ長寿な修道女達もいるので、負けてはいられないが。
今日は調理場で昼ごはんを作っていた。いつも質素な修道院の食卓だが、今日は特別。果実が豊作で修道女達も収穫に駆り出され、疲れ切っているものが多いと言う。司祭から「元気になれる昼ごはんを」と要望され、数人の修道女と共に調理していた。
いつもは質素な食事だが、今日はパスタ。スペルト小麦を手打ちして作ったパスタは、それだけで香り高い。スペルト小麦は消化によく、この修道院でもよく使っている食材だった。
「ふう、いい感じに茹で上がったわ。次は香草で味付けね」
バジル、パセリなども香草を使い、バターでパスタを炒めていくと完成だ。修道女達の喜ぶ顔を想像するとノーラも自然と笑顔になる。
「あ、アメリー。その小麦粉は捨ててね」
調理場の若い修道女に注意した。スペルト小麦ではなく、普通の小麦粉だったが、問題があった。
「え、何でですか? まだまだ使えそうですよ」
「古い小麦粉なのよ。見えないけど、ダニとか入ってるかもしれないから捨てて」
「本当ですか?」
「ええ。昔、古い小麦粉でパンを焼いたら、全身ぶつぶつができて高熱も出たの。医者によると、古い小麦粉が原因だろうって」
「ひゃー、怖い。凶器じゃないですか。みんな、古い小麦粉は危険ですよ! 今すぐ捨ててください!」
アメリーは他の修道女達にも拡散しに行った。噂好きのちょっと頼りない若い子だと思っていたが見直す。素直な性格なのだろう。
一方、ノーラは冷静で損得勘定が回る。この修道女の中ではベテランだが、若手に注意すると、誤解を受ける事も多かった。
ベテランになっていくのも中々大変だと思っていたある日。
修道院の売店で店番をしていたら、伯爵のブラッドリーがやってきた。この村の隣街に住み、辺境伯爵とも呼ばれていた。
年齢はノーラより少し年上だが、杖をついていた。髪は真っ白。今の平均寿命と比べればだいぶ長生きだが、いつも体調が悪そうだった。後ろについている従者も困り顔。
「ノーラかい。何か健康に良さそうな菓子やワインはないかね?」
ブラッドリーは健康への執着もあり、修道女達の平均寿命に目をつけているようだった。こうして売店に現れては、探るような目を向けてくる。
蒼い目や綺麗な鼻すじ。若い頃は美男子だったろうと思われるが、子供もなく、奥さんには先立たれているという。こんな風に修道院の売店に来るのは、寂しさを埋める為かもしれない。高貴な身分の者は、こんな所には来ない。たまに修道院の菓子目当てで変わり者もいたが、次第に来なくなった。継続的に来るのは、ブラッドリーだけだった。
「このハーブ入りのクッキーはどうですか? シナモンなどのスパイスも入れてますので、元気がでます」
「うーん、何かピンとこない」
ブラッドリーは他の商品にもケチをつけていた。要するに文句を言いたいだけ。ノーラにとっては、とても面倒な客だった。
「あ、でも小麦粉料理はスペルト小麦をとった方がいいかも」
「スペルト小麦?」
「ええ。普通の小麦粉より消化吸収がいいんです」
ブラッドリーはスペルト小麦に食いついてきた。
「実はうちの修道女達はスペルト小麦が主食です」
「何だ、それは。はやく言いたまえ。私は初めて耳にしたぞ」
「もしかしたら長寿の秘訣はスペルト小麦かもしれませんね。もし良かったら、スペルト小麦のパスタのレシピも渡します」
「頼む!」
ここでブラッドリーは笑顔を見せていたが、従者はノーラを睨みつけていた。なぜ?
後日、再びブラッドリーは修道院の売店へやってきた。
前と違い、明らかに健康的になっていたのも驚いたが、従者が別人に変わっていた。今は筋肉モリモリの強そうな男。前は幽霊のように存在感がない男だったが。
「あの男はクビにしたよ」
「一体なぜです?」
ブラッドリーによると、スペルト小麦のパスタを主食にするようになってから、明らかに健康的になったという。ブラッドリーが食したスペルト小麦は修道院が特別に分けたものでもあり、今まで食べていた普通の小麦粉に不信感も持った。
メイド達に調査をさせると、古い小麦粉を使っていた事が発覚。前の従者が買い付けた小麦粉を使っていたそうだが……。
「古い小麦粉なんてダメですよ。本当に体調が悪くなるわ。ダニとか小さな虫が入っているらしいから。危険よ」
ノーラはそう話しながら、ぞっとしてきた。おそらく前の従者が故意に古い小麦粉を使っていたのだろう。おそらくブラッドリーを傷つける為に。殺意もあったのかもしれない。以前、あの従者がノーラを睨んでいた理由も分かってしまった。
「だから、あの従者はクビにしたさ。借金もあり、私のお金も盗んでいた。バレるのを恐れていたそうだ」
「そんな。伯爵様、大変だったでしょう」
ブラッドリーの心労を想像すると、ノーラは心が痛い。身近な人に裏切られるのは悲しいはずだ。
修道院で崇拝している神様も、十字架の刑を受ける前、弟子に裏切られた。その事も思い出し、何とも痛ましい。
「でも、そのおかげで健康になったしな。スペルト小麦のパスタは美味しい。何か問題あるかい?」
ブラッドリーは笑顔だった。もう何も気にしていないようで、ノーラはホッとする。
ちょっと面倒ではあるが、大事な客の一人だ。やはり、客には笑顔で健康でいてもらいたいものだ。
「よし、今日はこのスパイス入りのクッキー、マカロン、薔薇ジャムを買おう」
「ありがとうございます。薔薇ジャムは新製品なんですよ!」
「それは楽しみだ」
再び笑顔のブラッドリーを見て、ノーラも同じような表情を作っていた。
修道院ではベテランとして、大変な事もあるだろう。嫌な事だってあるかもしれないが、乗り越えられそうだ。
「伯爵様、いつもありがとうございます。また是非お越しくださいね。新しい菓子やジャムも出ますから」
「ああ。楽しみにしているよ」
ブラッドリーを見送り、再び接客の仕事に精を出していた。