修道女の魚と謎〜失恋とお魚ハンバーグ〜
川の音が響いてた。何とも爽やかで心地よい音だ。葉の擦れる音や小鳥の鳴き声とも調和し、自然の音楽は素晴らしい。
修道女・テラは村の川に来ていた。村の北部にあり、人気はあまりない場所だが、自然豊で空気も心地よい場所だった。
テラは変わり者の修道女だが、遊びに来たわけではない。仕事だ。川で魚を釣り、修道院の食糧にする目的があった。
修道院は基本的自給自足生活だ。食事も質素で健康的だ。おかげで修道女達の平均寿命は七十歳。一般的には四十歳ぐらいが寿命だった時代では、かなり長寿といえる。
テラは二十歳だった。まだまだ寿命や長寿とは関係のない年代だが、とにかくマイペースな性格。この修道院に来たのも信仰心があったというよりは、嫁ぎ遅れたから。
テラは男爵令嬢であり、身分は高かったが、なぜか昔から結婚に興味がなく、庭で走り回るのが好きだった。庭師と混じって土いじりをしている時が一番楽しい。野生令嬢という妙なあだ名もつけられるぐらいだった。
そんなテラは庭仕事だけでなく、魚釣りも得意。修道院では魚料理も多く出されていたし、自ら進んで釣りの仕事をやっていた。
「やった! 釣れたわ!」
さっそく大きな魚も釣れて大満足だ。今日や明日の食事は、ムニエルか魚ハンバーグも良いかも。釣れたばかりの魚を見ているだけで幸せ。もっとも白い修道着姿で釣りをする姿は、野生令嬢というあだ名がついていた事も納得できる。
さっそく釣れた魚を持ち帰り、修道院の調理場でおろしにしていた。その包丁さばきも見事だ。修道院で長く生活しているうちに、こんな風に魚をおろすのも上手になった。男爵の父が今のテアを見たら腰を抜かすかもしれない。
「わあ、テラ! 今日はいっぱい魚が釣れたのね!」
そこの同じ修道のアメリーがやってきた。アメリーもテアと同年代の修道女で親しい。誰とでも親しくなれる気さくなタイプ。変わり者で野生なテアとは正反対なタイプだが、不思議と馬があう。
「ねえ、聞いた? デボラのやつ、男遊びが激しいんだって」
アメリーはは村人の噂話を始めていた。特に欠点がないように見えるアメリーだが、噂好きなのが玉に瑕。年取ったら立派なゴシップ製造機になる事だろう。
「デボラって村の貧困街に住んでいる女よね?」
「そう。カミラの旦那さんとも関係があったんだって。いやねぇ」
噂話をしているアメリーはニコニコ笑っていた。確かカミラは金持ちの奥さんで、最近夫の浮気がバレていたが。
「しかもデボラの家って嫌がらせされているみたい。今日貧困街へ行ったユリアーナとかが話してた」
修道女は、村人と密に交流していた。村人の噂はすぐに耳に入ってくるが、テラはあまり気分が良くない。
噂の的になっていたデボラとは、よく川で会っていた。彼女も釣りが上手く、顔見知り。おそらく噂は本当なのだろうが、嫌がらせはやりすぎだ。一体誰がデボラの家に嫌がらせをしているのだろうか。
翌日、テラはデボラの家に向かっていた。貧困地区は古くて小さな家が立と並び、路上で寝ているものもいた。テラはそれだけであまり良く気分もしないが、ここでもデボラは槍玉に挙げられているようだった。
「デボラってすごい浮気性なんだって」
「いやだー、うちの旦那にちょっかいかけられたら」
そんな噂話も耳に入り、テラの眉間に皺がよっていた。この辺りの人々も信仰心があり、礼拝堂でもよく会うが、こんな噂をしているなんて……。
それに川で会うデボラは無邪気に釣りを楽しんでいた。根っからの悪人ではない。噂の内容が本当だとしても、無闇に責めるのが正しいかどうか分からない。
「確かにこれは酷い状態ね」
デボラの家につくと、落書きがされているのに気づく。元々古い家だったが、卑猥な言葉やイラストがあり、良い景観ではない。
「ねえ、あんた。この家に落書きしている犯人知らない?」
テラは路上で寝転んでいた子供に聞いてみた。お礼に修道院で作った菓子をあげると食いつき、ペラペラと勝手に話し始めた。
「この犯人デボラ自身だよ」
「え、本人がやってるの?」
つまり自作自演だ。信じられない。自作自演をする理由って何?
とにかくデボラの家に入った。どうせ鍵もつけていない。ここは本人から直接事情を聞くのが良いだろう。
デボラの家は案の定散らかっていた。ゴミの埋もれるように寝転んでいて、実に不健康そうだった。
「なんだ、野生の修道女のテラじゃん」
「野生の修道女って何よ」
「みんなそう言ってる。あんな大きな魚を一人で釣るなんてねー」
こんな呼び方をされていたのは不本意だったが、このまま放って置けない。何も食べていないというので、食事も作ってあげた。といってもろくな食材がないので、一旦修道院に戻り、昨日の残り物のお魚ハンバーグと黒パンを持って行った。
お魚ハンバーグは複数の魚をミンチし、パン粉をつけて焼いたもの。シンプルな料理だ。薬草も使い臭みも抜いているので、食べやすい。皿の周りに修道院でとれた薬草を散らし、デボラに食べさせた。
「おお、これはうまい」
死んだような目をしていたデボラだったが、お魚ハンバーグを食べていると生命力が戻ってきたよう。確かに魚は健康に良く、病気の時に食べても悪くない。それにセージやタイムなどの薬草も消化を助ける事だろう。薬草の匂いもデボラを元気づけているようだった。
「おいしいよ。何だかいい香りの料理だな」
「ありがとう。でも何で自作自演なんてしてたのよ?」
ここでデボラは泣き始めてしまった。噂の内容は本当だったそう。カミラの夫と不倫をしていた。
「でも、あの男、アルバンは裏切った。私をゴミのように捨てた」
「悪い男ね」
正直、修道院で生活しているテラはよくわからない。恋愛もご法度だし、神父や修道士との交流は意外とあまりない。むしろ村人との方が密なぐらいだった。
泣いているデボラを見ていると少し羨ましくはなって来たが、これは口にしない方が良いだろう。
「こうして自作自演すれば、カミラに疑いが向かって復讐もできるんじゃないかと考えたんだ」
「浅知恵ねー。村の人は誰もそんな事言ってなかったわ。村ではカミラに同情的だったよ」
愚かなデボラ。でもこんな風に恋をし、心を痛めている姿は、修道女達には無い生命力がある。恋とは生命力と言い換えられるのかも。
「まあ、今度一緒に釣りにでも行きましょう。川で大きめ魚釣ったら、気が紛れるかもよ」
「う、うん」
「さあ、家の落書きも消すわよ。泣いてる暇なんてないわ!」
食後はデボラと一緒に家の掃除もした。まだまだデボラの涙は止まらなかったが、一緒に釣りに行く日を楽しみに待っていよう。今はデボラの為に祈り、待っている事しかできないが。
「お魚ハンバーグ美味しかった。またちょうだい」
「調子いいわね! 今度作り方教えてあげるから、魚釣って調理しましょう」
「まあ、それも悪くないな」
「魚をあげるより、魚の釣り方を教える方がずっといいでしょう?」
「そうか、そうだね……」
ようやくデボラも笑顔を見せていた。今はこれで充分かもしれない。テラも笑いながら、頷いていた。