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修道女の食卓と謎  作者: 地野千塩


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修道女のパンと謎〜パンとそれぞれのスプレット〜

 修道女・ミアはベテランだった。もう半世紀以上もこの田舎の修道院にいる。


 年齢は七十五歳。この修道院でも一番の長寿。他の修道女・マルゴットも長寿だが、ミアがトップだった。


「さて、今日は聖餐式用のパンを作るかね」


 背は曲がっていたが、ミアの足腰はしっかりしていた。修道着から見える素肌は歳のわりにきめ細かく、シミも少ない。目元も黒区、まだまだ若い。


 朝早く起き、厨房では一人、パンを捏ねていた。スペルト小麦を使った黒いパンだ。


 このパンは食事用ではない。礼拝用だ。修道院の礼拝では聖餐式(せいさんしき)という儀式があった。葡萄酒を神の血、パンを神の肉に見立てて頂く。そうする事で神の十字架での犠牲を想い、礼拝する事ができる。


 ミアはそも聖餐式のパン係をずっとやっていた。作るパンも一つ。それを小さく分け合うので、一個で十分なのだ。


 そうは言っても長年聖餐式のパンを焼いていたので、すっかり腕前が上達していた。


 元々ミアは隣国の貴族の娘。戦争で全てを失い、十代で修道院に入った。当然、結婚、子供もいない。職業もない。ただの修道女として一生を終える予定だが、こうして聖餐式のパンを焼いているだけで幸せだ。


 焼きながら神の事も考える。その十字架の犠牲などを考えれば、一生を修道女として過ごした事を誇りにすら思う。金、名誉、美容、健康なども全部小さく見えてくる。自分は幸せ者だとミアは思う。


「わあ、いい匂い! パンを焼いてるんです?」


 そこに若い修道女のアメリーが入ってきた。噂好きで騒がしいが、根は素直。ミアも好ましく思っている修道女だった。


「ええ。聖餐式のパンは私の担当ですからね」

「ミアおばあちゃんのパンって美味しいんだよね。不思議、聖餐式で食べるパンっていつもより美味しく感じる。ワインもそう」

「そうか、なら嬉しいよ」


 たぶん、自分が褒められたわけではないが、嬉しくなってきた。アメリーの素直さに感化されたのかもしれない。


「ところで、村のパン屋の噂知ってる? 特に娘のソフィアの」


 アメリーは噂話をしてきた。この修道院は周辺の村人と密に交流がある。アメリーも噂をよく知っているようだが、玉に瑕だ。この噂好きは、色々と勿体ないが。


「パン屋の娘ってソフィアかい?」

「ええ」


 それでもアメリーの噂を聞いてしまう。もうパンは出来たので、朝食をとっている食堂で聞いた。今日の食事は豆のスープと白パン。パンは豆、チーズ、木の実、レバーなどの色々なスプレッドをつけて楽しめる。ミアは毎回どのスプレッドをつけるか迷い、ちょっと後悔する日もあるぐらいだった。散々迷いながら、木の実のスプレッドに決めた。


 このスプレッドを白パンにつけながら、噂話を聞く。


「何か最近顔を見ないんですよ。ソフィア、どうしたんだろう。接客も上手かったのに、パンも大好きだったんだよ」

「そうか……」


 アメリーの話を聞きながら、ソフィアの事が気がかりだった。同じパン作りの関係者じゃないか。そう思うと余計に他人事ではない。


 もっともソフィアとはかなり年齢が離れていたが……。


 翌日、病院への慰問の帰りにパン屋を寄ってみる事にした。


 パン屋は雑穀やライ麦などの硬くて黒いパンが中心に売られていた。人気なようで、棚はスカスカな所もあったが、今はソフィアの事だ。おかみさんにソフィアの事を聞いてみた。


「ああ、ソフィアはね……」


 おかみさんによると、ソフィアは引きこもっているらしい。


「一体何で?」


 ミアは驚く。ソフィアは快活そうな娘だった。引きこもりとは一番縁がなさそう。おかみさんもソフィアが病んでいる事に困っている雰囲気だった。


「ソフィアと話できません?」

「わからないけど、修道女さんとなら……」


 おかみさんに許可を貰い、パン屋の二階へ。ここが住居スペースになっているようで、ソフィアの部屋もあった。


「ソフィア。修道女のミアですよ。何か困った事はないです?」


 ミアの声が響く。老婆らしい優しい声だった。それに感化されたか不明だが、扉が開いた。


 健康面ではソフィアは問題なさそうだったが、目は真っ赤。おそらく泣いていたのだろう。部屋に入って詳しく話を聞く事にした。


 意外な事にソフィアの部屋はぬいぐるみが多く、少女趣味だった。見た目は快活な看板娘だが、中身はもっと繊細かもしれない。


「私も修道女になりたいぐらい」

「えー?」


 それは意外だ。わざわざ修道院になりたがる女は、ミアの考えでは珍しった。


「なんでそう思うの?」

「実は……」


 ソフィアは結婚が決まった。それは喜ばしい事だが、相手は貴族でプレッシャーもすごいらしい。パン屋で働いていたら一目惚れされたそうだが。


「お相手はいい人です。でも、もうパン屋できないのが寂しくって。こんなに愛してるパンにもう関われないのかなって」

「そう……」


 老婆のミアには話しやすかったのだろう。ソフィアは泣きながら本音を語っていた。


「本当に結婚していいのかなって。いっそ修道女になった方が……」


 ソフィアが修道女になったら嬉しいが、そんな後ろ向きの理由で来ても後悔するだろう。実際、修道院の生活が合わず、逃げ出した者も少なくない。


 それに……。


「パンなんてどこでも焼けるわよ?」


 実際、ミナも修道院でパンを焼いている。なぜかそうなった。パン屋だけがその仕事ではないのだ。


「そうか、そういう関わり方もあるんだね」

「ええ。旦那様の為のパンを焼くのも、立派なパン屋よ」

「そうか、そうだね……」

「私も修道院のパン屋さんかもしれないわねぇ。聖餐式の時にいつも焼いているの」


 泣いていたソフィアだが、だんだんと元気になってきたようだ。涙も止まり、落ち着いてきた。


 そう、パン屋だけがその道ではないのだろう。それぞれ色々な関わり方がある。パン自体、どんな物にも合い、それぞれのスプレッドが楽しめる。それぐらいの懐の広さがあるものだし。


 ソフィアが結婚しても、パンとの縁は切れないだろう。どの道を選んでも、答えは変わらないのかもしれない。


「うん、私、逃げない。ちゃんと結婚しようと思う」

「ソフィアがそれで幸せなら応援するわ」

「うん、ミア、ありがとう。何か大切な事に気づけたかもしれない」


 ミアの方こそソフィアにお礼を言いたい気分だった。


 ミア自身も、修道女として生きてきた事に迷いがなかったわけではない。結婚や子供がいる同世代の女を見ながら、本当に良かったのか自問自答した事は少なくないが、今はソフィアを見ながら、それぞれの生き方も尊重できそうだ。自分の人生もそうだ。今は何の後悔もなく、誇れるものだと思う。


「ええ、私もありがとう。ソフィアの人生を応援するわ。祈りましょう」


 ソフィアの為に祈りを捧げ、心から彼女の幸福を願っていた。


 こうして修道院に帰ったミアは、夕食のパンを楽しんだ。どのスプレッドをつけるか迷うが、今は何を選んでも正解だと思う。

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