市井の退魔師〜武と芸術の一族オレール家〜
「は!」
「ほらほらどうした!?」
「とお!!」
オレール家の訓練所に勇ましい掛け声が絶え間無く響き渡る。
「ほらどうした!? もう一度来い!!」
熱気に包まれ怒号のような声が響く中、一際目立つ存在があった。
「……ま、参りました……」
息も絶え絶えな弟子が膝を付くと
「ほら、大丈夫か?」
体格も態度も実に見事な大男が疲れてへたり込んだ弟子に手を貸し立たせてやる。
「あ、ありがとうございます。師匠」
「うむ。お前は体力が無いな。……もっと身体を鍛えろ!」
「は、はい!!」
師匠であるオレール家当主の兄クラウスにそう言われ、弟子は直立不動の姿勢になる。
「うむ。頑張れよ!!」
クラウスは弟子の背中をドン! と叩き、哀れ弟子は前につんのめり、床に激突してしまった。
「……」
そんな弟子の様子にクラウスは渋面になる。その直後、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
「相変わらずだね。……兄上、もう少し力を加減してあげたら?」
クラウスが笑い声のする方へ視線を向けると、武の家系のオレール家には珍しく華奢で柔和な表情の青年がそこにいた。
「マルクか。……そんな事で我がオレール家の武人は務まらん!」
とクラウスは憤慨する。
「でも……最初から強い人なんかいないでしょ? 彼は半年ほど前に入門したばかりだよね?まだまだこれからじゃない」
と、マルクは苦笑する。
「そんな甘い事を言っていては……」
と、猶も言い募ろうとするが
「兄上の言いたい事も分からないでは無いけどさ。誰も彼もが兄上のようには出来ないんだよ」
「……」
そう言われては何も言い返せない。
「はい、どうぞ。今日は兄上の好きなコーヒーだよ。」
ニコニコとマルクは兄にコーヒーを淹れたカップを差し出す。
「おう! 有り難い」
クラウスは大酒飲みでお茶の類は殆ど口にしないのだが、コーヒーは嗜好にあったらしい。出せば必ずおかわりまで要求してくる。
「うん、良い香りだ」
クラウスはコーヒーの香りを楽しんだ後、カップに口をつける。
「うん、美味い。相変わらず淹れるのが上手いな、マルク」
「お気に召したのなら何よりだね」
マルクはニコニコと答え、自分もお気に入りの茶葉で淹れた紅茶に口をつける。
「さて、兄上」
ティータイムでまったりした後、マルクは兄に切り出す。
「ここ最近、このセーガダール付近で化け物が頻繁に目撃されているのは聞いているよね?」
「ああ」
クラウスは頷く。10日ほど前にクラウスはセーガダールの騎士団や冒険者ギルドから相談を受け、警備を強化したばかりである。
「そのせいで、商人や旅芸人なんかが説明に足を向けられないんだ。これは由々しき事態だよ!」
マルクは真剣な表情で訴える。
「…………」
それを見てクラウスは複雑な表情になる。
このオレール家の当主は弟のマルク・オレールの方である。
以前は兄が当主を務めていたのだが、とある理由で弟に家督を譲ったのだ。
クラウスが治めていた頃のセーガダールはひたすら武芸が盛んな、無骨な地であった。
しかし弟が当主に就任してから、芸術をこよなく愛する当主によって商人や芸人などを誘致し、これまでのセーガダールとは打って変わって雅で風流で豊かな地として名を上げたのだ。
なので、商人や芸人は現在のセーガダールを支える生命線と言っても過言ではない。元々、内陸に位置し、土地も肥沃とは言えないセーガダールでは商人の往来が途絶えるのは正しく死活問題なのである。
クラウスは考え込む。
正直、弟が推し進めてきた風流なセーガダールには思うところは多々ある。
しかし、自分には決して出来なかったこの地を豊かに発展させるという偉業をやってのけたのは、間違いなくこのオレール家に似つかわしくない風流な弟なのだ。
そして、クラウス自身もそれなりの期間雅で風流な空気に触れていたためか、こんなセーガダールも悪くないと思い始めているのも、また事実だ。
そしてクラウスは決断する。
「よし分かった。俺がその化け物を一掃しよう。マルク、騎士団とギルドへの根回しは任せるぞ」
「ありがとう、兄上」
弟の心底嬉しそうな表情を見て、クラウスは一層気を引き締める。