市井の退魔師〜大商家ディネル家〜
「姉様〜、待ってよ〜!」
「あははっ! ここまでおいで!!」
白と金の装飾が眩い広大かつ豪奢な、そしてこれまた見事な庭園を有する屋敷に子どもの賑やかな声が響き渡る。
広大な庭で追いかけっこを繰り広げているのは、この家の次女と3女である。
「あらあら。ネージュにパピー、元気ね」
クスクスと笑い声が聞こえた。次女ネージュリアと3女パピリーナは揃ってビタリと止まり、声のした方を見る。
「母様!」
「お帰りになっていたの?」
ネージュリアとパピリーナは母に駆け寄る。
「ええ。たった今帰って来たところよ」
娘たちの熱烈な出迎えを受け、二人の母親イェンリー・リヴァレス・ディネルは優しく娘二人を抱き止める。
「「お帰りなさい、母様!!」」
「ただいま、ネージュ、パピー」
「お帰り、イェンリー」
「ただいま、イアン」
熱烈な出迎えの後、娘二人と一緒に屋敷に入ったイェンリーは夫に帰宅を告げに、そのまま執務室に足を向けた。娘たちには夫への帰宅の挨拶を済ませたら一緒にお茶を飲もうと、先に居間に向かわせた。
「リヴァレスはどうだった?」
ディネル家の若当主イアン・ディネルは気遣わしげに妻の実家の様子を尋ねる。
「ええ、相変わらずよ。クリスは立派にリヴァレス家の当主だわ」
そう言ってイェンリーは微笑う。
リヴァレスはイェンリーの実家である。両親は既に他界し、今は弟のクリスがリヴァレス家を継いでいる。
今回、イェンリーが里帰りしたのは両親の命日だったからだ。 とある理由から別段命日のお参りをする必要は無いのだが、形式上すっぽかす訳にもいかない。
夫もこの機会に思う存分羽根を伸ばしてくるといい、と快く行かせてくれたのでお言葉に甘えた次第であった。
「でも……やっぱりジェスは来なかったわ」
イェンリーは残念そうに呟く。
「まあ……。あいつにしてみれば、足を向け辛いだろうしなぁ」
現在ラシャールの森に住んでいるジェス・ウェイドは訳あって幼い頃、リヴァレス家に預けられていた。その為、イェンリー,クリスとは姉弟同然に育ったのだ。しかしとある事件が起こり、責任を感じたジェスはラシャールの森に移り住み、そのまま一時期疎遠になってしまったのだ。
「あれはあの子のせいなんかじゃ無いわ」
イェンリーは溜め息を吐く。
「まあな。しかし、クリスにとってはそう簡単に割り切れないんだろう」
「現実は、ままならないものね……」
イェンリーはまた一つ溜め息を吐く。
「母様〜、お茶のご用意出来てるよ〜! 早く早く〜!!」
夫の執務室を後にしたイェンリーは、娘たちが待つ居間に急ぐ。
「あらあら。じゃあ、急がなきゃね」
パピリーナに急かされ、イェンリーは足早に居間に用意されたお茶の席へ向かう。
「あらあら。上手にご用意出来たわね」
イェンリーは微笑ってお茶の用意を頑張っただろうネージュリアとパピリーナを褒める。
「えへへ。姉様とご用意頑張った! フロルとピノにも忘れず声を掛けたよ!」
「偉いわ、パピー」
イェンリーはパピリーナの頭を撫でてやる。
「じゃ、始めましょうか」
そう言ってイェンリーは子どもたちのグラスにジュースを注いでやる。そして自分でお茶を淹れようとした時、
「母様。私が淹れてあげる」
ネージュリアはそう言うと、思ったより手際良くお茶を淹れ、イェンリーのカップに注ぎ入れた。
「まあ、ネージュ。上手に淹れたわね」
イェンリーは驚いて目を丸くする。
「えへへ。母様を吃驚させたくて、母様がリヴァレスに行ってる間にマリーに淹れ方を教えて貰ったの!」
「まあ、そうだったの」
娘の気持ちが嬉しくて、イェンリーはネージュリアの頭を撫でる。
因みにマリーというのは、主に子どもたちの世話をする侍女である。
「ねえ母様。リン兄様たちはいつ帰って来られるの?」
これまで大人しくジュースとお菓子を食べていた末っ子のピーノがポツリと呟く。
「あらあら、兄様たちがいなくて寂しくなっちゃったの?」
イェンリーが優しく尋ねると、ピーノはコクンと頷く。
「リン兄様もジェイ兄様もいないから、男の子はビノ一人なんだもん……」
ピーノはそう言って俯くと、隣で美味しそうにお菓子を頬張っていた4女のフロレシアまで泣きそうな顔になる。
「……」
これには何と答えてあげればいいのか……イェンリーだけでなく、事情をある程度知っているネージュリアとパピリーナも悩んでしまう。
一言で言って、長男リンガと次男ジェイ、ジェイの双子の姉シアは修行の為、この家を出ているのだ。
リンガとシアは退魔師になる為に自家ではない退魔師の家で修行を積んでおり、ジェイは医師になるべくエモリア・バルムに師事している。
なので、年に数度しか戻って来る事は出来ないのだが、まだまだ幼いフロレシアとピーノには理解出来ないらしい。時折こうやって思い出したように、ここにいない兄二人と姉を恋しがるのだ。
イェンリーと事情を知る姉二人はどうしたものかと思考を巡らせながら、今ここにいない兄姉を恋しがる子ども・弟妹を必死に宥めるのだった。