2話
「レイア」
あれ。お兄様の声がする。
「レイア」
「お兄様……。なぜこちらにいらっしゃいますの」
私はたしか生徒会主催のお茶会に出席していたはず。
けれど視界の先にあったのは見慣れた自室の光景だった。
「レイアが倒れたと連絡があった時は肝を冷やしたよ。レイアの部屋までオリヴァーが運んでくれた」
運んでくださったと聞いて思わず心の声が出てしまう。
「お……重かったでしょうか」
「その様子ではもう大丈夫かな」
私の額にお兄様の大きな手が触れ、髪を優しく梳いた。
私よりも色彩が濃い金色の髪に碧色の瞳を持つお兄様は私の2歳年上だ。
「はい。お兄様」
「良かった」
「お兄様。ご心配おかけしてすみません。ありがとうございます」
「シオン様、レイア様」
「レイア。ちょっと待っていなさい」
「はい」
メイドのジェニカが呼ぶ声がする。お兄様はおそらく私を気遣ってドアまで行って対応してくれるようだ。
「良いよ。入って」
「……オリヴァー様!?」
お兄様は基本的には私の部屋に入らないし勝手に他人を私の部屋に招き入れることもしない。だからお兄様が誰かに入室を許す声に驚いてドアの方を見るとそこにはオリヴァー様がいた。
オリヴァー様は天蓋付きのベッドにいる私が視界に入る前に視界に飛び込んできたであろう部屋の様子に息を呑んだようだった。
オリヴァー様は呟くように言った。
「なかなか個性的な部屋だな」
見られた――。
私はオリヴァー様の黒髪黒眼を素敵に思うあまり、自室のコーディネートを黒で統一していた。
よくある令嬢の部屋と言えば、白や繊細で優雅な雰囲気の木目を活かした家具や装飾が多い。
一方私の部屋は繊細ではあるけれど、どちらかと言えば重厚な漆黒の家具や小物類が多い。
令嬢の部屋としては変わった趣向である自覚はあったけれど、家族以外が部屋に入ることもそうそうないので良いかと思っていた。
オリヴァー様の気持ちがさらに引いてしまったらと思うとお兄様を恨みたくなる。いや恨まないけれど、睨むぐらいは。
「レイア。なんて表情をしているのかい。これはチャンスでは?」
私は鉄面皮と言われるだけあって他の人には睨んでいても無表情と思われていることが多い。けれど、家族やオリヴァー様には分かってしまうらしい。
「チャンス?」
「そう。この部屋がレイアの気持ちを物語っている。後は伝えるだけだよ」
「お兄様。何と言えば伝わるでしょうか」
「それはレイアの言葉でなくてはね。家族にはレイアが目覚めたと伝えておくから」
小声での会話を終えるとお兄様はウインクをしてからメイドを連れて退室してしまった。
オリヴァー様は紳士らしくドアを開けたままベッドから距離がある位置で立ち止まった。
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます。このような状態での応対どうかお許しください」
「いや、大事無くて良かったが、無理はしない方が良い。話は後日」
私を気遣い立ち去ろうとするオリヴァー様に急いで声を掛けた。
「待ってください! ……あの。この部屋、驚かれましたか?」
「そうだな……まぁ、多少は驚いたが重厚なデザインと落ち着いた色合いが合っていて良いのでは」
「そう思われますか!?」
「ああ」
オリヴァー様は聡明さを現したような漆黒の瞳をこちらに向けた。
はぁ。オリヴァー様という存在とこの部屋、合う……。
じゃない。今だ! 今伝えるのよ、私!
「貴方の色だから」
「私の色?」
「ええ」
もちろん、黒色が好きだからオリヴァー様を慕っている訳ではない。けれどそんな無粋な話をしなくてもオリヴァー様には伝わったようだ。
オリヴァー様は少し目を見開くとじっと私を見つめた。
恥ずかしくて眼を逸らしてしまいそう。でも、私がそうするより先にオリヴァー様の瞳が苦し気に逸らされた。
ドン引きされたかもしれない。やはりお兄様を恨むしか……。
「私にはそのように思ってもらう資格がない」
「何故そのような事を仰るのですか」
「今回のレイアの体調不良の件だが……」
「お待ちください。よろしければそちらの椅子にお掛けください」
「ああ……ありがとう」
私は最もオリヴァー様に似合うであろうお気に入りの漆黒の椅子を勧めた。
その様子はオリヴァー様が座るのを待っていたかのようで、満足感が凄くてうっかり今日の予定は全て済んだかのような気持ちになりかけていたけれど、オリヴァー様の声が私の意識を現実に引き戻してくれた。
「すまない。君の不調に気付くことができなかった」
「オリヴァー様に落ち度はありません。私も倒れる寸前まで気付きませんでしたし。もっと前に気付かれていたら、機を逃して貴方への想いを伝えられなかったかもしれません」
「ありがとう。でも、それだけではない」
全然心当たりがない。私は無意識に首を傾げていたようで、オリヴァー様が話を続けた。
「今回の茶会は欠席していた生徒会庶務のジェイド・エデルスは知っているか」
「はい」
ジェイド・エデルス様は私と同じ学年で、生徒会庶務。優しい雰囲気の金髪緑眼の青年だ。
「あの、エデルス様に何か問題が?」
「君のことを私に曲解して伝えていたようだ。ジェイドは優秀だ。以前はそんなことはなかった。言い訳になるが……だからこそ見抜けなかった」
「エデルス様は何と仰ったのですか」
「君は私との婚約を望んでいないと」
「違います!」
絶対に誤解されたくない思いが先走ってオリヴァー様の言葉に被せるように叫んでしまった。
オリヴァー様は笑って頷いた。
「ああ。君のおかげで今は分かっているつもりだ。けれど、以前はこちらの一方的な想いを押し付けてしまったのではないかと思っていたのだ」
私たちの婚約は公爵家であるライオネル家からの申し入れを侯爵家であるヴァルラント家がお受けするという形で成された。
けれどそれは貴族間の婚姻に於いて珍しいことではない。
それに政略結婚に誠実さや愛が無いとは限らない。時間をかけて絆を育むことは夫婦の一つの理想像とされている。
そもそも何ら問題はないことだけれど、その申し入れは政略の側面だけでは無く純粋な恋心故もあったとオリヴァー様は言った。
「ふ」
「ふ?」
いけない。嬉しくて変な声がでるところだった。
誤魔化しつつ気になるところを尋ねてみる。
「あの、何時私を見初めてくださったかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「友翔会を覚えているか?」
「ええ」
友翔会とは13歳から始まる学園生活やそれ以降の社交の場に出る前の同世代の交流と発表の場で、男女別に組み分けした同世代が意見を出し合い、主に保護者や上下学年の生徒向けに小規模のイベントを行う。
基本的に男女一緒に行動するわけではないのでこの時はオリヴァー様と直接会う機会は無かったはず。
親からすれば、婚約前のお相手を見定める場でもあるが、表向きは緩い社交の場だ。
「そこで鉄面皮のまま積極的にイベントに参加する君を見たのがきっかけでいつか婚約者を求めるのなら君にと思った」
「ぶはっ」
「大丈夫か」
「はい」
私は咽てしまったことを誤魔化すため少々大げさに胸をはった。
「私の方が先ですね」
「先とは?」
オリヴァー様は私の話に合わせて先を促した。
実は以前はオリヴァー様もまた鉄面皮と言われていたことがあった。
その頃の私は自分の表情が周囲の人より乏しいことに気付き、悩んでいた。
そんな中でオリヴァー様のことを聞いた。
私はオリヴァー様に対して密かに親近感を持って、1年に1度5歳から12歳までの上位貴族の子が王城に招かれる『朝霧のお茶会』で話すのを楽しみにしていた。
『朝霧のお茶会』は上位貴族の絆を育む社交の練習の場。各家庭の判断にもよるけれど、初めての『朝霧のお茶会』は対象者が学園入学予定の者で、参加は一度の友翔会より早く出席し始める場合が多い。
次回の参加者の中にオリヴァー様の名を見つけて運良くお話できないかと期待していた。
実際に会ってみると遠目に見聞きしていたオリヴァー様の様子とは全然違っていた。
お茶会当日。天気も良くオリヴァー様と話す機会にも恵まれた。
噂に聞いていたオリヴァー様とは違い穏やかに笑い時にはジョークすら言うその様子は公爵家嫡男という立場が無くてもきっと憧れの的になっていたと思う。
楽しく過ごしていたが年下の令嬢が少しはしゃいだ時に紅茶が掛かってしまい、控室で染み抜きをしてから戻る時にたまたま一人でいたオリヴァー様を見かけた。
不意にオリヴァー様の肩先にてんとう虫が止まった。
オリヴァー様はてんとう虫に指先をそっと差し出した。
けれどその表情は先程お茶の席でお話した時とは別人のような、無表情だった。
しばらく休んだてんとう虫は仲間の元へか飛び立った。
きっとこの時のオリヴァー様が本来のオリヴァー様だと思った。
オリヴァー様は私に気付くと微笑み、優雅に手を差し出した。
「一緒に戻りましょう」
「はい」
オリヴァー様は公爵家の跡取りとして自分を変えていた。変わることを厭わないその姿に私は恋をした。
だからこの後来た婚約の申し込みをお受けした。
「だったらやはり私の方が先だ。君が思っているより先に私は君に会っている」
何だか子供の意地の張り合いみたいな言い方に内心で爆笑しながらも真剣に問うてみる。
先程のこともちゃんと時期を確認すれば良いのだけれど、このやり取りが楽しい。
「それは何時ですか」
オリヴァー様は口元に指先をあてた。
「だが、その時の話は今はまだ秘密だ」
「何故ですか」
「5年後。2人だけの時に話すよ」
その頃、一般的には貴族社会の婚約者同士は結婚している。
「それはつまり……。狡いです」
「狡くても、欲しい未来なんだ」
オリヴァー様。私達はお互いに片思いだと思っていたのですね。
そう言ってみようとしたけれど、胸がいっぱいで声が出なかった。
オリヴァー様は椅子から立ち上がると、ベッドの上で身を起こしている私の傍まで来て片膝をつき右手を胸にあてた。
「レイア・ヴァルラント。もし君が許すのなら、私の心は生涯君と共にいよう。愛している」
「はい。私も……」
沢山の言葉で返したいのに、やっぱり胸がいっぱいで言葉にならない。
オリヴァー様がそんな私をそっと抱きしめた。
「私も愛しています」
掠れた小さな声でもちゃんと届いたらしく、私を抱きしめる力が少し強くなった。
しばらくして夕刻を告げる時計の音が優しく響いた。
「そうだ。生徒会の皆から君に伝えたいことがあると」
「何ですか」
それは生徒会メンバーからの謝罪だった。
2人が上手くいくようにと、題して『レイアの眼うるうる作戦』を行ったと白状。
もしかしてそのせいで体調不良を起こしたのではと謝罪と心配をしているとのことだった。
「ああ……それで」
やたら目が染みたことと、サムズアップする生徒会の面々を思い出す。
「眩暈は関係ないと思います。お医者様も大丈夫だと仰っていたと兄から聞いております」
「それは良かった」
オリヴァー様は私の瞼の横にそっと触れ髪を優しく払うと顔色を確認したようだった。
「しかしこれ以上長居はしない方が良さそうだ。まだあまり顔色が良くない」
「お気遣いありがとうございます。もしよろしければ生徒会の皆様にも私は大丈夫とお伝えください」
「ああ。では、また会おう」
「はい」
◇◇◇
オリヴァー様退室後、私は先程のことが夢ではないか心配になり頬を抓ったり眉毛を引っ張ったりしていた。
そこにノックの音が聞こえた。
「お兄様?」
「確かに医者は休めば大丈夫だと言っていたけれど、レイアにはまだ言っていなかっただろう」
「お兄様。聞いていたのですか」
わわ。恥ずかしい。
「生徒会の謝罪の辺りから」
「……本当ですね?」
「もちろん」
お兄様は爽やかそうに微笑みを浮かべている。
「話を戻すけど、レイアのことだから何か考えがあるのだろう?」
「お兄様にお願いがございます」
お兄様は悪戯をする少年のような表情をした。私の心情が表情に出ていたらきっとお兄様と似たような表情だったのだろう。
幼い頃2人でした悪戯の計画を話すように私はお兄様にこそこそと話し出した。