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第9話 国士の秘密 第8章

時が経つのは早い。


1週間が、あっという間に過ぎ、浜田は海外取材を終え帰国した。


○○新聞s支局では、信子が浜田の帰りを今か今かと待っていた。


「お帰りなさい浜田さん。無事に帰って来れて良かった」


「ただいま。・・・ノブちゃん、今回の取材、正直言って大変だったよ」


「えーっ、ベテランの浜田さんでも・・・」


「おい、おい、いい加減、僕のことを『ベテラン』って呼ぶのやめてよ。記者にとって大事なのは年数じゃなくて感性だから」


「ごめんなさい。でも 何があったんですか?」



ここから浜田の長い話が始まった・・・


浜田は現地に着いてまず、『被害者の会』の事務局が置かれているAの自宅に行った。あらかじめ手配していた通訳の中国人の男子大学生も同行した。


今回取材した現地の人のうち何人かは本人の希望もあって、安全のため匿名になっている。


Aは35歳ぐらいの女性で、浜田は意外と若いことにびっくりしたが、取材の趣旨を説明しようとすると、Aは、開口一番


『日本人のあなたに話すこと何もありません。日本に帰りなさい』


と言い放った。


Aの突然の宣言に、浜田が

『事前に打ち合わせた時には、取材OKでしたよね』

と言うと


『そんなことは言っていません。あなたの勘違いでしょう』

と、取りつく島もない状態だった。


仕方がないので、浜田は、改めて取材の目的を説明し、迷惑がかからないように、プライバシーの保護に努めることなどを話して、再度訪れることを告げて引揚げた。


この話を聞いて、信子は

「最初からつまづいて大変でしたね。それで2日目も行ったんでしょう?」


「もちろん行ったさ」



2日目も全く1日目と同じでAからは『話すことはない』という答えが返ってきた。

しかし、少し雑談ができたので、『被害者の会』のことが分かった。


西田議員が戦時中、率いていた総督府の別動隊「実行班」によって殺害された現地の住民は、被害者の会が把握しているのが35家族143人で、このうち被害者の会に入っているのが、およそ半分の18家族80人だということだった。


「浜田さん、半分しか被害者の会に入っていないんですか?」 

信子が聞いた。  


「そうなんだよ。Aさんに聞いたら、『あの国』の政府は、住民が政府主導でない、住民主導の団体やグループを作ることを極端に嫌っていて、嫌がらせを受けたり周囲から変な目で見られることもあるので、『被害者の会』に誘っても、躊躇する人も多いと話していた。でも、それ以外の取材についてはいくら説得してもダメだった」


「浜田さん、取材O KだったはずのAさんが態度を変えたのは何があったんでしょうか?」


「僕も今回の取材はダメだったかな・・・と諦めかけたんだけど・・・」



浜田は、これが最後と思って3日目に訪問した。すると、浜田に同行している通訳の大学生がトイレで席を外した時、Aが素早く浜田に1枚のメモを手渡した。メモには日本語で


『今日午後4時に下記の場所で会いましょう。通訳はいりません。一人で来てください』と書いてあった。


指定された場所に行ってみると、豪華な邸宅の前でAさんが待っていた。

Aは、にこやかな笑顔で

『浜田さん、こんなところまですみません』

と、日本語で話した。浜田が

『日本語お上手ですね』

と言うと


『貿易商をしていた父と結婚した母は日本人だったんです。だから日本語分かります。

浜田さん、今日まで3日間ごめんなさい。あの大学生の通訳は、私たちが話したことを政府機関に密告する恐れがったので、あのような態度を取らざるをえませんでした』


と言ってAは3日間、浜田に対してとった態度を詫びた。


浜田も『あの国』の特殊な事情に対する認識が足りず、対応が甘かったと反省した。


その話を聞いた信子は浜田に

「そうだったんですか・・・大変でしたね・・・でもこれで、取材はOKに?」


「そう!あとはスムーズに行ったよ」



Aが指定した場所の邸宅は、以前住んでいた家で、ここでAの父親、2人の兄、それに姉2人の合わせて5人が西田が率いる『実行班』に殺害された。いずれ日本刀、軍刀でひと突きだった。


Aと母親は親戚の家に行っていて助かった。戦争が終わって母親が呼びかけて『被害者の会』を立ち上げたが、去年母親が亡くなりAが引き継いだ。


A は「あの事件以来、私は怖くて邸宅の中に入ることができません。同じような思いをしている人たちが大勢います」と訴えていた。


その後の取材は、例の男子大学生の通訳をキャンセルし、Aが通訳を手伝うことになり他の被害者遺族から、それぞれ貴重な話を聞くことができた。


そして、最後にAが

『もう一人、ぜひ取材してほしい人がいる』

と言ってBを紹介してくれた。


Bは59歳の女性で、地域の有力者だった夫と夫の両親それに子ども2人の合わせて5人を『実行班』に殺された。


Bによると、戦争が終わって、「実行班』のメンバーのうち、首謀者の西田とメンバー2人が逮捕された。ところがメンバー2人は殺人罪で処刑されたのに、西田は釈放され、帰国してしまったのだ。


これに怒ったBが政府の回答を求めて

何度も訴えたが、反応は無かった。そこでBは自分の親戚の政府幹部に内々で聞いてみた。


すると幹部は「ここだけの話」として、こう言った。


「西田のしたことは、確かに重罪である。

しかし、西田は我々の教育を受けて、今後我々の国のために働くと約束した。西田は我が国のこれからの対外政策にとって、重要な人材であり、その活動を妨げる行為は慎まなければならない」


「浜田さん、これはすごい証言ですね・・・でも出せるんですか?」


「Bさんは、あの時には涙を飲んで政府に従ったが、どうしても西田が許せない気持ちは変わらない。親戚の政府幹部も失脚しているし、必要なら証言すると言ってくれているんだ」


「それは心強い!」 


「ノブちゃん、今回、取材に協力してくれたAさんが面白いことを言っていたんで紹介するね。彼女はこう言ったんだ。」





『浜田さん、三顧の礼って知ってます?』


『ええ、三国志の中に出てくる有名なエピソードですよね』


『私は浜田さんが2回目で諦めていたら協力はしなかったと思います。3回目に来られた時、この人は信用できると思いました・・・三顧の礼です』


 

(続く)

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