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第1話 あなたに逢いたくて 第1章【挿絵有】


挿絵(By みてみん)



 事件事故、災害等が発生した場合、司法当局は極力、犠牲者や被害者の遺体を一般の目から隠すのが通例である。それは報道機関に対しても同様であるが、40年ほど前の地方の警察署では規制が緩い所もあった。


 これはそんな「昭和な」時代の話。


 その女性の遺体は、小田信子おだのぶこの目の前2メートルのところにある。


 ここはS県のB警察署の車庫の中。


信子は全国紙のS県のS支局に配属されたばかりの新米記者だ。現在いまは取材現場で多くの女性が記者として活躍しているが、信子が記者になった頃は女性記者の数はまだまだ少なく、取材相手も女性記者とわかると急に見下したような態度をとる人もあった。しかし、信子が配属されたS支局では「取材の基本は警察取材。女だからさせないということはない」として、男性記者と同じように扱ってくれたので、信子も「頑張らなくちゃ」と張り切っている。


 信子がS支局に赴任して3日目。まだ警察署や裁判所、自治体などへのあいさつ回りもほとんど済んでいなかったが、女性の変死事案がS県内で発生した。


信子は警察キャップのベテラン記者、浜田公平(はまだこうへい)の運転するS支社の取材車に同乗して現場に向かった。

「ノブちゃん、君にとっては初めての事件取材だ。それもひょっとしたら殺人事件になるかもしれない。警察担当の記者は事件をたくさん経験することで育てられるんだ。だから君は運がいいよ」

「はい、ちょっと緊張していますが、頑張ります」


信子は一人っ子で公務員の両親に大切に育てられた。中途半端なことは嫌いで、何事にも全力で取り組まないと済まない性格であるが、加減が分からず猪突猛進してしまうのが弱点。容姿は中肉中背で丸顔、化粧っけはなく、丸眼鏡がチャームポイントと言えなくもない。


信子は浜田の話の中で気になる点があった。


「あのー浜田さん、ちょっといいですか」

「ああ、何だい」

「生意気だと思われると困るんですが、私のニックネーム『ノブちゃん』はあまり好きじゃないんですけど」

「そうか・・・」

「すみません。手あかのついたドアノブみたいで」

「いいと思ったんだけどな」

「苗字でいいですよ」

「苗字ではよそよそしいなあ、じゃあ僕がいいのを考えてみるからね、ノブちゃん」

「浜田さん、いま!」

「あっ!ごめんごめん、わざとじゃないからね、ごめん」

そこで2人とも大笑いして、この件はうやむやになった。

 

それでいまでも「ノブちゃん」である。


女性変死事案の現場に向かう取材車の中で、浜田はこれまでに分かっていることを信子にレクチャーした。


 現場はS県の県庁所在地から車で3時間ほど行った過疎の町B町のリアス式海岸を望む山道である。きょう午前8時半ごろ、道路わきの空き地にきのうから同じ車が停車しているのを不審に思った通勤途中の農協職員が乗用車の近くの崖下15メートルのところに人が転落しているのを発見し警察に通報。


 現場に駆け付けた警察官も女性の遺体があるのを確認し、収容作業が進められた。車に残された免許証から、遺体はS県から400キロほど離れたK県にあるK銀行の行員、吉岡由希恵よしおかゆきえ37歳とみられることがわかったが、遺体の状態が悪く、外見から身元は断定できなかった。


 当初、不慮の事故と思われたが、警察がK銀行に確認したところ、吉岡は10日ぐらい前から無断欠勤中で、職場でも「真面目で無断欠勤など考えられない吉岡さんに何かあったのでは?」と心配になり探していたとのこと。現場に残されていたレンタカーは吉岡がK県から300キロほど離れたⅯ県で借りたもので、なぜ遺体発見現場のS県とも、職場のあるK県とも離れたⅯ県で借りたのか行動に不審な点もあることから、県警では「事件の可能性もある」として現地に応援のチームを派遣した。警察の動きを察知した報道機関でも大騒ぎとなり、各社が取材班を現地に派遣した。


 女性の遺体の収容作業は崖が険しいこともあって難航した。当初の予定よりかなり時間がかかり、検視が行われる警察署の車庫に遺体が着いたのは、夕方だった。私たちが警察署についたときには、すでに検視が始まっていた。警察官10人ほどが遺体を取り囲み、担当者が遺体の状況を丹念に調べて記録していく。私たちは30メートルほど離れた車庫の外から検視の様子を眺めていたが、しばらくすると浜田が「ちょっとここで待っていて」と言って警察署の中に入っていった。


 5分ほどして帰ってきた浜田は私に

「ノブちゃん、検視の近くまで行っていいよ」と言った。

「怒られるんじゃないですか?」

「大丈夫。向こうも仕事、こっちも仕事。そっと行けば分かってくれるよ。さあ、ノブちゃん、なるべく近くに行って検視の様子をしっかり見ておいで」と言った。

 

信子はカメラの入った取材バッグを握りしめ、恐る恐る一歩ずつ車庫に近づいていった。遺体まで5メートルまで近づいたが、検視中の警察官はだれも信子に気づいていないようだった。さらに近づく。そして2メートルのところまで近づき、警察官の肩越しに検視の様子を覗き込んだ。


 遺体はビニールシートの上に置かれていた。


 着衣はすべて外され、腰の付近と顔の付近にはタオルが置かれていた。身長は170センチ近くあり、女性にしては大柄なことに驚いた。死後5日ぐらいたっており、8月の暑い夏の屋外に放置されていた遺体とあって、体内ではガスが発生して遺体は膨張していた。信子が極度に緊張していたこともあるだろうが、まるでマネキン人形のようで、遺体が目の前にあるという現実感は薄かった。


信子が見た範囲内では、切り傷など事件に関係するような傷は見当たらなかった。タオルで隠されていて、よくは見えなかったが、首の付近にも絞められたようなあとは無いようだった。

 さすがに何人かの警察官は信子に気づいて、警察官ではない女性が覗き込んでいることに驚いたようだったが、咎められるようなことはなかった。

 遺体は顔が隠されていたが、近くには女性が使用していたウイッグが・・・!

 それはウイッグではなかった。腐敗が進み女性の頭髪がごっそり抜け落ちていたのだった。


「検視は終わり。移動させるよ」

 担当の警察官がみんなにわかるように宣言し、周りにいた警察官がビニールシートごと遺体を持ち上げ警察署に運んで行った。

 その時、ちらりと遺体の顔が見えた。真夏の暑い時期だったので腐敗が進んだのだろうか、顔の皮膚は赤茶けた色に変わり、眼窩は朽ちた眼球が落ちて、ぽっかり穴が開いた状態となっていた。


 そして、遺体を包んだビニールシートの底には、無数のうじ虫がうごめいていた。


                              (つづく)


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