かっこよかったあの人はどこへ?
「じゃあ、私もいったん仕事に戻るわ。異常があったらそこの通信機で知らせてちょうだい」
マルリカさんは、そう告げると部屋を去っていった。
ぽつんと一人きりになると、どっと疲労感に襲われる。
「なんで忘れちゃったんだろう?」
ソファーのひじ掛けにぐてっと上半身を預け、独り言を呟く。
宮廷薬師は、魔法薬への耐性が強いはずなのにな。
洗脳状態や混乱状態を防ぐための加護を毎年きちんと教会で受けているし、毒耐性だって見習い期間にきちんと基準値をクリアしている。
──本当、シュゼットは何をさせてもダメね。
はるか昔の記憶、どうせならきれいさっぱり忘れたかった母の声が聞こえたような気がした。
私が生まれた子爵家は、特に語るような歴史もなく、かといって貧しいわけでもなく、いたって平凡な一家だった。
でも、物心ついたときから、両親の愛情は二つ下の弟にだけ向けられていた。
私はそんな両親に愛して欲しくて、がんばったねって褒めてもらいたくて、一生懸命勉強した。
小さな頃は、がんばれば両親が自分を愛してくれるって、可愛がってくれるって思っていたのだ。
結局は、両親は私のことを可愛がってくれることなんてなくて、見かねた祖父が私を引き取ってくれた。
七歳のときだった。
──シュゼット、薬草は人を助けてくれるんだ。知識は体を、心を救うんだよ。
宮廷薬師だった祖父が私を引き取ったのは、娘をあんな風に育ててしまった罪滅ぼしみたいな気持ちだったと思う。
親に愛されない可哀そうな孫、そう思っていたと常々感じていた。
ただ、私は私で「こんな広い家に一人で住んでいるおじいちゃんって可哀そう」だなんて、引き取られたばかりの頃は思っていたんだけれど……。
祖父に色々と教わる日々は楽しくて、私が宮廷薬師を志すのは当然の流れだった。
亡くなる寸前まで庭の薬草を気にしていた祖父は、十六歳になった私が宮廷薬師の試験に合格し、晴れてローブを纏った姿を見てひと月後に亡くなった。
グランジェーク様に初めて会ったのも、確かその時期だ。
遠くからでも目立つ長身に美しい青銀髪。偉大な魔法使い・グランジェーク様はどんな危険な任務もさらりとこなし、凶悪なドラゴンさえも討伐し、その名を知らぬ者などいない。
──今日は新人諸君にとって初めての遠征だ。魔法使いと薬師は互いに協力し合うように。
遠征の際にそうみんなの前で言った彼は、凛々しくてとてもかっこよくて。
直属の部下ではない私たち調合室のメンバーは、「あんなに素敵な人がいるなんて」って、きゃあきゃあ騒いでいた。
その他大勢、私はそのポジションだった。
それからもお姿を見かけることはあっても、会話するなんてことはなくて。
ただただ「かっこいいなぁ」って思う憧れの存在だった。
「どう考えても、付き合う要素がないのよね」
過去を振り返れば振り返るほど、遠くから見ていただけの私がどうしてグランジェーク様と恋人になれるのか?それこそ、惚れ薬でも飲ませたんじゃないかっていうくらいの奇跡だ。
う~んと唸り声を上げて思い出そうとする。
グランジェーク様との接点……、グランジェーク様との接点……。
食堂で斜め後ろに座ることができた、廊下ですれ違ったときに挨拶することができた、師と一緒に歩いているときにその声を聴くことができた。
思い出せるのはその程度のことで、会話をした記憶すらない。
グランジェーク様と目が合ったことってあったっけ?
向こうが私の存在を認識するような機会はまったくないような?
「ん?」
ここでふと、轟轟と音を立てて燃える炎が脳裏によぎる。
あれは何だっけ?火事?
いや、違う。何かが燃えていて……。
騎士や魔法使いが怯えて逃げる光景を思い出す。
あれは、二年と少し前のことだ。
「っ!!」
思い出そうとしていたら、突然ズキッと頭が痛む。
私は両手で頭を抱え、ソファーで体を丸めて縮こまった。
「ううっ」
ダメだ。これ以上無理に思い出そうとしちゃいけない。
グランジェーク様は私と二年付き合っていたと言ったから、もしかしてそれと関係がある?
彼のことを思い出そうとすればするほど、頭痛が増していく。
これ以上は危険だわ。
私は思い出すのをやめて、大きく深呼吸をしてから窓を開けた。
「ふぅ……」
次第に頭痛は収まり、落ち着いて夜空を眺めることができた。
そういえば、ゆっくり星空を眺めるなんて久しぶりだ。記憶喪失なんかにならなければ、こうして休むこともなかったんだなと思うと、ちょっと複雑な心境ではある。
「グランジェーク様が、私を好き?そんなバカな」
何気なく口にする。
やはり違和感がものすごくて、まだ夢を見ているのかと思うくらいだった。