平穏
『お客様が いらっしゃい ました』
「お客様?」
朝食を食べて着替えた頃、邸に訪問者がやってきた。
一体誰だろう?
まさかまた母が来たのでは、と一瞬だけ不安がよぎるも、あっさり客人が部屋まで案内されてきたのでそれはないとわかる。
「おはよう」
「アウレア?おはよう、一体どうしたの?」
金髪をくるくる巻いたアウレアが、宮廷薬師のローブ姿で現れた。
そういえば、アウレアは今日から謹慎が明けるから出勤だったっけ。フィオリーに利用されただけの彼女への疑いはすぐに晴れ、今後は監視もなく日常に戻れるとグランジェーク様から聞いていた。
表向きは体調不良ということにしてあったので、ルウェスト薬師長と私以外に、アウレアの謹慎を知る者はいない。
アウレアはいつも通りの態度で私の部屋に入ってくると、ソファーに腰を下ろす。
「別に、あなたが暇を持て余してるかなって思ってきただけよ」
「へぇ」
「ほら、私の顔を見てないから元気が出ないんじゃないかなって。庶民くさいあなたに、うちのシェフが作ったおいしい料理を恵んであげようと余りものを持ってきたのよ!」
なるほど。
私のことを心配して、お料理や菓子を差し入れに来てくれたのか。アウレアだって、きっと落ち込んでいるのに。
私は正面の椅子に座り、アウレアにお礼を言った。
「ありがとう。心配してくれて」
「はぁ?心配なんてしていないわ!」
「ふふっ、そうなんだ?」
「そうよ!ちょっと申し訳なかったくらいに思ってるだけで、私は悪くないんだし、あなただって勝手に元気になるだろうから心配なんて無駄なことしないわよ!」
素直じゃないアウレアは、むきになって否定していた。
『ケンカ ですか? 加勢は 必要ですか?』
主人に似て好戦的なロボットメイドが、扉の隙間からこちらを見つめてそう尋ねる。
私は慌ててそれを制し、控えているように言った。
お願いだから、私の友だちを攻撃しないで。
私がおろおろしている前で、アウレアは優雅に紅茶を口にしていた。
今日、これから調合室へ行っても、もうフィオリーはいない。
彼女は、家の事情で仕事を辞めたことになっている。
新しい事務官は来週には派遣されるそうで、そのあたりの段取りもすべて魔法師団がリンクスさんの指示で行ってくれた。
しんと静まり返った部屋で、しばらくの沈黙の後でアウレアがぽつりと話し始める。
「──まったく気づかなかったわ。フィオリーのこと」
あんなに一緒にいたのに。
私もアウレアも、フィオリーの本音に気づかなかった。
「私はいつも遠慮がちで気弱なあの子を、自分が助けてあげている気になってた。でも、よけいなお節介だったんでしょうね。強引にあちこち連れまわしていたから、それが嫌だったのかも」
「アウレア……」
フィオリーの気持ちは、フィオリーにしかわからない。
けれど、私たちが彼女に対して持っていた親愛の情を、彼女は持っていなかったのだろうなというのはわかる。
グランジェーク様によると、フィオリーは時期を見て修道院へと送られ、そこで農作業や奉仕活動を行って一生を過ごすことになるらしい。
私が厳罰を求めればその願いは叶うと言われたけれど、とてもそんな気分にはなれず、裁判官の判断に任せることにした。
落ち込む私に対し、アウレアは顔を上げてきっぱりと宣言する。
「私は落ち込んでなんかあげないわ。私にはプライドがあるのよ。名家の伯爵家の娘として、暗い顔で人前に出るなんて許されないもの」
「アウレア」
「私の結婚まであと三か月しかないし?フィオリーのことなんてもう忘れたって顔で、世界一幸せな花嫁になってやるわ。私は、私を大事にしてくれない人のことなんてこっちから切り捨ててやるの」
アウレアは強かった。
私はかすかに笑みを浮かべ、「そうだね」と言って頷く。
アウレアの宣言は強がりだってわかっているけれど、これが彼女なりの前に進む方法なんだって思ったら、私も暗い顔はできないなと思った。
「ありがとう。アウレアが友だちになってくれて本当によかった」
「なっ!?」
いっぱい傷ついたけれど、私は一人じゃない。
グランジェーク様も、アウレアも、薬師長にマルリカさんだって、私のことを心配してくれる人はたくさんいる。
アウレアがこうして来てくれてよかった。
にこにこと笑って彼女を見ると、その顔がすぐに真っ赤になっていった。
「何言ってるのよ!いつ友だちになったのよ!?」
「え、違うの?」
「違わないわよ!!私がいつ違うって言ったのよ!」
今日もアウレアはアウレアだった。
私がくすくすと笑っていると、彼女はバッと勢いよく立ち上がる。
「もう行くわ!しばらく休んだから研究が滞ってるのよ!」
鼻荒く玄関へと向かうアウレア。
私は慌ててその後を追い、お見送りをした。
「じゃ、また明日ね」
「ええ、また明日」
待っていた護衛が、馬車の扉を開ける。
乗り込んだアウレアは、窓から私を一瞥すると無言で前を向く。
花が咲き乱れる庭を馬車が通り抜け、その姿はすぐに見えなくなった。
外は明るい光が降り注いでいて、今日もいい天気だなぁと私は目を細めながら空を見上げる。
するとそのとき、突然背後にふわりと風が巻き起こる。
「ただいま」
「グランジェーク様……!?」
後ろからぎゅうっと抱き着かれ、私は驚きで声を上げる。
「馬車、置いてきちゃった。早くシュゼに会いたくて」
転移魔法でご帰宅のグランジェーク様は、笑ってそう告げる。耳元で囁かれたその声があまりに甘くて、胸がどきりとした。
「おかえりなさい」
「ただいま。ゆっくりできた?」
私は彼の腕の中でくるりと向きを変え、その顔を見上げて笑顔で話す。
「アウレアが顔を見せに来てくれたんです。今はその見送りに」
「うん、知ってた。気配がしたから」
腕輪をつけていないのに気配がするって一体……?
勘?勘なの?
それとも五感が発達しているの?
「「…………」」
にこにこと微笑むグランジェーク様は、とても機嫌がよかった。
よくわからないけれど私も嬉しくて、自然に笑みが零れる。
「あの、私これから裏の薬草園でミントを摘もうと思ってたんです」
「え、体は大丈夫なの?」
ううっ、何とかそこはがんばります。
ただの筋肉痛だから、ちょっとくらいは平気なはず。
あははと笑ってごまかす私。
グランジェーク様は、仕方ないなという風に笑って言った。
「俺も一緒に行くよ」
「いえ、帰ってきたばかりなのにそれは」
「シュゼと一緒にいたいんだ。……ダメ?」
そんな一緒にいないと淋しい、みたいな。
私の反応を窺うような声音に「ダメ」だなんて言えなかった。
「じゃ、行こうか」
するりと右手を繋がれ、彼は邸の裏側に向かって歩き始める。
ところが、一歩目ですでに私の内ももとふくらはぎがズキンと痛んだ。
「っ!!」
「シュゼ!?」
前かがみになり、顔を顰める私。
歩けるのは歩けるけれど、亀みたいなゆっくりペースでないと……!
「すみません、脚が」
やはり邸に戻りましょう。
そう言うよりまえに、いきなり体が持ち上げられた。
「これなら歩かずに行ける」
「えっ、でもこれでは」
私を抱っこしたまま歩いていくグランジェーク様は、長い脚でさくさくと進んでいく。確かにこの状態の方が速いけれど、私にも羞恥心というものがありまして……!
「やっぱり自分で歩きます……!」
「無理しないで。俺はシュゼの足になりたい」
「何言ってるんですかぁぁぁ!!」
おろおろする私。
とても楽しげなグランジェーク様。
薬草園に到着しても、彼は一向に私を下ろしてはくれなかった。
黄色いフェンネルの花が咲いていて、その向こうには白百合が美しく咲いている。
「降りないとミントを摘めませんよ?」
「うん、そうだね。ロボットメイドに頼もうか」
「え?じゃあ私がここに来た意味は?」
無駄に運ばせてしまったことになりますが?
目を瞬かせる私を見て、彼は苦笑する。
「俺がシュゼと来たかったから。散歩だよ」
「散歩?」
私はまったく歩いていないのに、これは散歩したことになるのだろうか?
でもグランジェーク様が幸せそうに笑うから、もうそれでいいかと思ってしまった。
「さて、俺のシュゼがご所望のミントは……」
「あそこですね」
私は薬草園の一部を指さす。
「あれ?百合がちょっとなくなってる?」
ミントの隣にあった百合が、一部だけなくなっている。不思議に思っていると、グランジェーク様が返事をくれた。
「ちょっと持っていったんだ」
「魔法師団に?観賞用なら、あちらの花粉が少ない品種の方がお勧めでしたよ?」
「そうか、では次があればそっちを持っていくよ」
職場に花を持っていくなんて、意外な一面もあるんだなぁ。
「「…………」」
何だろう。
この笑顔は“魔法師団長様”の笑顔な気がする。
「グランジェーク様?」
「ん?」
「何か隠してます?」
そう尋ねると、グランジェーク様は苦笑いになった。
「困ったなぁ」
お仕事のことかな?
だとしたら、私は深く聞かない方がいいのだろう。
「シュゼ、ミントを何に使うの?」
わかりやすく話を逸らされた。
でも、私はそれに乗って返事をする。
「ミントティーにしようと思って。それに薬草ドリンクも今日はまだ作っていないので、試作を続けてみようかと」
薬草ドリンクは相変わらず味がひどいままで、まだまだ改良が必要だった。
グランジェーク様は「そうか」と言うと、いつの間にかそばに来ていたロボットメイドに薬草を摘むように指示をする。
ぽかぽか陽気の薬草園はとても心地よく、平穏な日々っていいなぁと実感した。
「シュゼ」
「はい?」
名前を呼ばれ、グランジェーク様の方を見る。
その瞬間に軽く唇が重なり、驚いた私は目を見開いて動きを止めた。
「不意打ちは……、ちょっと」
顔を赤くする私を見つめ、グランジェーク様はにこりと微笑む。
「可愛い。永遠に見ていられる」
呆れるほどに愛が重い。
けれど、これもまた幸せだと思ってしまうのだから私もけっこう重症だわ。
完全に記憶が戻ったら、この人はどれほど喜んでくれるだろうか?
できればずっと、こんな風に笑顔でいられる日々が続いてほしい。
「記憶を失くしたのにまた好きになるなんて……」
ぽつりと漏れた本音。
グランジェーク様は一瞬だけ目を瞠り、そしてぎゅうっと私を強く抱き締めた。
「シュゼ!愛してる!!」
「わぁぁぁぁぁ!!」
「君のためなら生きられる!」
「えええ!?」
元・クールでかっこいい憧れの魔法師団長様は、今日もとにかく愛が重い。
私は困り顔になりつつも、この腕の中でしか感じられない幸せがあるのだと思い、どこまでも一緒にいようと決めた。
ご覧いただきありがとうございました!
「結婚式の前日に、忘れられた不憫なイケメンの話が書きたい」という一心でここまで書きました。
ふらふら~っと書き始めたわりに、気づけば約15万字。びっくり。
メンタル弱い系ヒーローは初めて書いたので
お好みは分かれるかと思いますが
私にとってはポンコツ可愛いグラン様でした(^ ^)
これにて完結です。
今後は、「皇帝陛下のお世話係」の続きを書く予定です。(5月7日に書籍2巻とマンガ版1巻が発売です)
2巻は船遊びをする3人が表紙です♪
そのあとは、新作は秋くらいでしょうか…( ´ ▽ ` )ノ
ふらっと短編とか書くかもしれませんが
どうか引き続き、お付き合いいただけると嬉しいです。
これからもどうか応援よろしくお願いいたします!





