親心?
茶色い大きな扉には、『薬師長室』と記された金色のプレートがかかっている。
入口にある紫のラナンキュラスは、宮廷薬師の使う書類にも描かれているシンボルだった。
(白のラナンキュラスは純潔、紫の場合は何だったか?)
以前、誰かに聞いた花言葉。あれは何だったか?
グランジェークは、扉をノックしつつそんなことを考えていた。
──どうぞ。
中から返事がして、グランジェークは扉を開けて中へ入る。
窓辺にある書き机には書類が山積みになっていて、三体のロボットメイドがせっせとそれを仕分けしていた。
「終わったのかい?」
手元の書類にサインをし、顔を上げたルウェストは尋ねる。
グランジェークは遠慮なく椅子に座り、彼の方を見て「ええ」とだけ言った。
ルウェストはペンを置き、グランジェークの斜め前に座る。
ロボットメイドたちは主人に退出を命じられ、素早く部屋から出て行った。
二人きりになると、グランジェークは王女のことを報告する。
「王女は北の修道院へ送られることになりました。出発は十日後です」
「そうか。シュゼットには何て話すの?」
「王女は心を病んで、療養のために修道院へ……ということにします。シュゼは気にするでしょうから」
「それがいいだろうね」
ここでグランジェークは、ローブの内ポケットから青白い粉が入った瓶を取り出し、テーブルの上に置く。
それを受け取ったルウェストは、中身が減っているのを一瞥して確認し、それをまたグランジェークに差し出した。
「処分してくれ。何も残らないように」
グランジェークは黙って瓶を受け取ると、その手の上で一瞬にしてそれを焼き尽くした。
これで何もかも終わった。
そんな空気が流れたとき、グランジェークが尋ねる。
「なぜ協力してくれたんですか?」
宮廷薬師は、基本的に善良な者が多い。ルウェストが王女への報復に協力してくれるとは意外だった、とグランジェークの目は言っていた。
ルウェストはあははと明るく笑って答える。
「私はどちらかと言うと魔法使い側なんだよ。弟子に手を出されて怒ってもいたし、副産物とはいえできたものを使ってみたかったという好奇心も、ね?」
好奇心、というのは想像通りだった。
だが、薬草採取に向かったまま弟子の結婚式にも遅れて参加しなかったような男が、弟子に手を出されて怒っていたというのは意外だった。
「なぜシュゼの後見人を?」
以前から気になっていたことだった。
魔法薬の研究にしか興味のないルウェストが、面倒な手続きがある後見人を引き受けたのはなぜだったのか?
ルウェストは相変わらず笑っていたが、少しだけ瞳に翳りを見せる。
「何となく、だよ」
「何となく?」
「あぁ、たまたま後見人をやってもいいかなって思ったから」
納得のいかないというような顔をするグランジェークに、ルウェストは苦笑いになる。
「もう二十年以上前のことだけれど……、私には妻子がいたんだ」
天才薬師として早くから名をはせていたルウェストは、かつて幼馴染の女性と結婚していた。婚約話はたくさんあったが、結局ルウェストについていける女性がその人しかいなかったので、「周囲に強引にまとめられての結婚だった」と彼は笑う。
自由気ままなルウェストと、しっかり者の妻。
だが幸せな暮らしは長く続かなかった。
「もうすぐ子が生まれるっていうときに、私はいつも通り採取に向かったんだ。ちょうど今頃の季節だったかな、千年花が咲くような気がしたんだ」
気ままなルウェストを妻が止めることはなく、いつものように笑って見送ってくれた。
「彼女は僕の性分を理解した上で結婚した稀有な女性だったから、怒ったり泣いたりしなかった。ただ、『仕方ないわね』って笑ってた」
それが、最後に交わした言葉になるとは二人とも思っていなかった。
「採取から帰ってきたら、もう妻は亡くなっていてね。子どもも一緒に。生命反応がない体を医局に運んだのは、後にも先にもあれ一度だけだったなぁ……。僕は薬師だし、出産がどれほど危険なものかって知っていたはずなんだ。でも、理解してはいなかった。想像もできていなかったって知ったよ」
「薬師を、辞めようとは思わなかったのか?」
きっと後悔したはずだ。
自分が家にいれば、妻子を助けられたかもしれないと。
(シュゼットがもしも目を覚まさなかったら、俺は何もかも放り投げて後を追うかもしれない)
むしろ、そうじゃない未来が想像できないとグランジェークは思った。
けれど、ルウェストはグランジェークの質問に薄く笑って首を振る。
「辞めないよ。そんなことしたら、私は三人殺したことになる。償い方なんてわからないから、ただできることをして生きてる」
妻子を亡くしても魔法薬の研究を続ける彼に、同情する者、非難する者、反応は様々だったという。
ただしそれも一時のもので、三年も経てばルウェストが結婚していたことを思い出す者もほとんどいなくなった。
「葬儀が終わってから妻の日記を見つけてね。そこには子どもの名前が書いてあったんだ。『どうせルウェストは名前なんて考えていないんだから、私が考えておかなきゃ』って」
生まれる前に亡くなった子どもに戸籍は作れないが、墓には妻と子の名を二人分彫った。
「千年花が植えてあるリスランの丘に墓を作ったんだ。『リリアーデ』『シュゼット』って二人分の名前を入れて。──シュゼットのことは、本当に偶然だった。よくある名前だしね?後見人がいないって事務官に言われて、たまたま目にした名前が娘と同じだっただけ。ほんの気まぐれだったよ」
いいよ、と軽い返事で引き受けた。
シュゼットは祖父を亡くし、両親に拒絶され傷ついていたが、そんなそぶりを見せずに仕事に打ち込んでいた。
その姿が自分と重なり、彼女もまた生きるのが下手なんだろうと思っていた。
「でも、弟子として一緒に過ごすうちに、次第に妻みたいなことを言い出すんだから面白くてね」
何も大事なことを説明しないルウェストに、多くの薬師が呆れて「ついていけない」と弟子を辞める者も多かった。
でも、シュゼットは師匠の言葉足らずにイライラしたり、本気で怒ったりせず、いつも「仕方ないですね」と笑っていた。
「娘のように思っているということか?」
グランジェークは尋ねる。
「どうかな?わからないよ。娘いないし」
「……」
明るくそう言われ、グランジェークは沈黙する。
(結婚式に間に合わなかったのは、もしかすると見たくなかったんじゃないか?)
本人に自覚があるかどうかはさておき、ルウェストがシュゼットのことを弟子の一人以上に情を持っているのは確かだと彼は思った。
王女への復讐に加担したのも、ルウェスト自身が大事な娘を傷つけられて怒っているからではないか、とも思った。
そんな風に想像していると、ルウェストは思い出したかのように言う。
「君と結婚するって報告を受けたときは、ホッとしたんだ。『あぁ、この子は私みたいな男を選ばなかった』って」
シュゼットのことを好きすぎるグランジェークなら、悪い結果にはならないだろう。ルウェストは何となくそう思い、二人の結婚を祝福した。
「君は随分としつこいし、根暗だし、かっこつけだし、でも優秀な魔法使いだ。何よりシュゼットを深く愛しているから、いい男だよ」
「誉め言葉として受け取っておきます」
「本当に褒めてるんだよ?すごいなって」
じとりとした目で睨むも、ルウェストは笑顔のままグランジェークを見る。
これ以上何か言っても無駄だ。そう判断したグランジェークは、会話を切り上げて席を立った。
「シュゼが待っているので帰ります」
「そうか」
グランジェークは扉に向かい、そのドアノブに手をかける。
「……」
「どうしたの?」
扉を開けずに何か考え込んでいる背中に、ルウェストが不思議そうに声をかけた。
軽く振り返ったグランジェークは、小首を傾げるルウェストに向かって言った。
「シュゼの記憶が完全に戻ったら、もう一度結婚式をしたいと思っています」
「へぇ~」
「そのときは、あなたの邸で行いますから。シュゼの花嫁姿と、それを奪っていく男を見せつけたいので」
「はははは、面白いことを言うねグランジェークは」
椅子に座ったまま、長い脚を組んだルウェストは勝ち誇ったような顔で告げる。
「貴族だからって邸が片付いていると思うなよ?私はここ数年、物を踏まずに邸の中を歩けたことはない」
「片付けろ」
「ロボットメイドもいないし、使用人もいないし、実験中に爆風で割れた窓もそのままだ」
「どうやって生活してるんだ!?」
グランジェークは目元を引き攣らせ、これは早急にシュゼに伝えなくてはと思った。
そして大きく息をつくと、ガチャリと扉を開く。
ルウェストはその様子を見て楽しげに笑い、手を振って見送った。
「もし結婚式をするのなら、紫のラナンキュラスを邸にたくさん飾るよ。君たちに”幸福”が訪れるように」
次話で完結となります(°▽°)





