復讐
王城の一角にある、美しい花々が咲き乱れる白亜の宮殿。
近衛騎士らが守る王女の私室の前に、紫色のローブを纏ったグランジェークが現れた。
「ステシア王女殿下と面会を」
その手にあるのは、面会許可証。
それを見た近衛騎士は、即座に大きな扉を開いて入室を許す。
私室の中にいたのは、深い蒼色のドレスを着たステシア王女ただ一人。
王女の部屋にふさわしい豪華な調度品や絵画があっても、ここは監獄だなとグランジェークは思った。
「どうぞ。魔法師団長様が直々にいらっしゃるなんて、驚きました」
「…………」
テーブルにはティーセットが並んでいて、大ぶりの白百合が飾られている。「驚いた」というわりには、客人を完璧にもてなす準備がされていた。
グランジェークは促された通りに席に着く。
メイドたちは、温かい紅茶をいれるとすぐに下がっていった。
本来なら、王女と二人きりになることは許されない。
だが、今日だけは王の許可が下りていた。
王女も、その意味は理解していた。自分は、父に見限られたのだと。
「シュゼットさんはお元気?」
紅茶にミルクを入れた王女は、ティースプーンでそれを混ぜる。
グランジェークは飲み物にも菓子にも手を付けることなく、彼女の問いかけに返事をした。
「おかげさまでとても元気にしています」
「そう」
二人の間に沈黙が居座り、しばらくの間どちらも何も話さずにいた。
ステシア王女は紅茶を一口飲むと、寂しげな笑みを浮かべて口を開く。
「私、初めてだったの」
グランジェークはかすかに眉根を寄せる。
「誰かに『不幸になって欲しい』って思ったのは」
「……」
それがシュゼットのことだと、グランジェークは気づく。
魔法薬の混入を指示したのは王女だとわかってはいたものの、なぜその相手がシュゼットだったのか?
グランジェークはそれを知りたいと思ってここまで来たが、王女の口から語られたのはとても身勝手な理由だった。
(不幸になって欲しいだと?シュゼが何をしたというんだ)
魔法薬は、必ずしも安全ではない。
記憶の一部を奪われるだけでなく、命が危うい可能性すらあったのだ。グランジェークは、己の中に怒りがふつふつと湧きあがるのを必死で堪えた。
王女はそんなグランジェークの様子に気づいているはずで、けれど特に気にする様子もなく淡々と続ける。
「恋をして、幸せな時期もあったわ。毎日毎日、今日は彼に会えるかしらと考えて、声を聞くと心が満たされて……。彼といると本当に幸せだった。──でも、それは全部あやまちだったの」
政略結婚からは逃げられない。
王命には逆らえない。
わかりきっていたはずなのに、いざ別れの日が訪れると胸が引き裂かれそうに苦しかった。
「孤児院に慰問するとね、『生まれてくる子どもに罪はない』って神父様がおっしゃるの。でも、ならばなぜ私は王族に生まれたというだけで未来を決められてしまうの?愛する人と手を取り合うという道が、どうして生まれながらにしてないの?私は何も罪なんて犯していないのに、ままならない現実が悲しくて仕方なかったわ」
王女はテーブルにある白百合を見ながら、悔しげな表情を浮かべる。
「兄からはいつも『王族らしく』と厳しく叱責され、その通りに努力してきた。民衆に愛される王女として、どんなにつらいときも笑顔で振る舞った。──たった1人でよかったのに。王女ではなく私を見てくれる人。マーヴィンがいてくれたらそれでよかったのに……!」
思い悩んでいたとき、園遊会でシュゼットに出会った。
宮廷薬師ならば、この苦しみから救ってくれるかもしれない。最初は純粋に助けを求めただけだったと彼女は話す。
「ルウェスト薬師長は、『忘れることで幸せになれるなら』と依頼を受けてくれたの。シュゼットさんにもマーヴィンとのことを聞いてもらって、そのときは心が軽くなったわ」
けれどある日、知ってしまった。
宮廷薬師として勤める彼女が、グランジェークの恋人だということを。もうすぐ結婚することを。
「私がどれほど望んでも手に入らないものを持っていることが、うらやましくて堪らなかった……!憎いと思ったの」
己の醜い感情を正当化する王女に対し、グランジェークは思わず言い放った。
「そんなこと、俺の妻には関係ない」
魔法薬を少しでも飲みやすくするため、シュゼットは休日を使って亡者の森へ赴いた。味のことは調合師に任せておけばいいのに、王女のために何かできることはないかと思って。
「シュゼは純粋にあなたを心配していた」
怒りを孕んだ声でそう言われ、王女はちらりとグランジェークを見た。
しかしその表情にあったのは、反省ではなく開き直りだった。
「だって、どうしようもなかったんですもの」
いつものように、慈愛に満ちた理想の王女ではない、ただのステシアとしての言葉だった。
まるで、こうするより他に方法はなかったとでも言うような態度で彼女は言う。
「魔法薬がもうすぐ完成するって聞いた日、あの子に出会ってしまった。フィオリーは、あなたとシュゼットさんが楽しげに笑う姿を無表情で見つめていたの」
ステシアは直感した。
この子も叶わぬ恋に焦がれている、と。
「優しい王女の顔で声をかけたわ。私にはあなたの気持ちがよくわかる、って」
そこからは簡単だった。
フィオリーに近づき、シュゼットに魔法薬を飲ませるよう誘導した。「本当に好きだったら忘れないわ」と言い、「シュゼットを試さないか」と唆した。
「本当に実行してくれるなんて……。可哀そうな子」
フィオリーが最後まで口を割らなかったのは、彼女もまた王女に対して同情し、仲間意識があったのではないかとグランジェークは思った。
王女は俯き、息をつく。
「あなたが想像していた通りでしょう?もうお父様にも話は伝わっている、ということでいいかしら?」
何もかもどうでもいい。
どうせ自分は、隣国へ嫁ぐのだから。そんな心の声が透けて見える。
「マーヴィンは……」
グランジェークがその名を上げると、かすかに王女は反応する。
「マーヴィンは貴女の幸せを願っていた」
「嘘よ」
「本当だ。突き放したのは、貴女に自分を忘れて欲しかったからだと言っていた。酷い男に騙されたと、憎むことで貴女の恋心が消えてくれれば、嫁ぐときに前を向けるだろうと」
やり方は間違っていたのかもしれない。
けれど、マーヴィンはグランジェークが尋問した際もずっと王女のことを気にかけていた。
「今さらそんなこと言われても信じないわ。だって私はもう何もかも失ってしまったのよ」
恋人も、王女としての信頼も、幸せになる未来も何もかも残っていない。ステシアはガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。
「もう帰って。いくら魔法師団長でも、物的証拠がなければ私を裁くことなんてできない。ううん、証拠があってもあなたは私に何もできない。あなただって私と同じで、その立場や役目に囚われて生きてきたんだから……!」
王女がそう主張したそのときだった。
突然眩暈に襲われ、ぐらりと上半身が前のめりになる。
「え……?」
視界が揺らぎ、テーブルに右手をついたステシアは沈黙した。
グランジェークはそれを見届けると、スッと立ち上がり踵を返す。
「な……に?」
目を細め、苦しげな表情でグランジェークの背中を見つめるステシア。はぁはぁと呼吸が荒くなっていき、手で胸を押さえた。
扉の前で立ち止まり、軽く振り返ったグランジェークは冷めた目で告げる。
「魔法薬には副産物があった」
「?」
「想い人の記憶を消す効果と、反対にそれを強める効果だそうだ。しかも幻覚というおまけ付きで、とても薬にはならないらしい」
一体何を言っているのか、とステシアはグランジェークを睨む。だがすぐに、原因を察する。
「この花……」
テーブルにある白百合には、細かい花粉がついている。
気にも留めなかったが、今朝からずっとその香りが部屋に漂っていたことに気づいた。
「あなたの隣国行きはなくなった」
グランジェークがすべてを王に報告すると、王は「そんな娘を同盟の証として隣国へやることはできない」と為政者として正しい判断をした。
(謝罪が魔法師団長へのものであって、シュゼに対するものでないことは不満だが……。この際そこは目を瞑ろう)
ステシア王女は、健康上の理由によって婚約解消。代わりに、隣国の第二王女がこの国の王太子の皇后としてこちらに来ることが急遽決まった。
すでに皇妃のいる王太子も、政治上の理由ならば仕方がないとあっさり受け入れた。妹がしでかしたことの責任の一端は自分にもある、彼はそう言ってグランジェークに詫びた。
「よかったですね。これからあなたは、北部にある修道院で一生暮らします。もう決して会うことのできない想い人への恋情を、魔法薬で膨れ上がらせたまま生涯を終えるのです」
王女は目を瞠り、絶望に息を呑む。
グランジェークは冷酷な目で彼女を見下ろし、かすかに微笑みながら告げる。
「悪いが、俺は理性的な男じゃない。俺も、彼も、怒っているんだ」
「待っ……!」
涙目で手を伸ばす王女をそのままに、グランジェークは部屋を出た。
王族を極刑に処す法はない。
リンクスは「報復するのならいくらでも動きます」と言っていたが、ただ死なせるだけでは気が済まないとグランジェークは思っていた。
──まぁ、いずれどこかで使い途があるかもしれませんしね。
笑いながらそんなことを言うリンクスを見て、グランジェークは「なぜ魔法使いにはまともな奴がいないんだ」と思ったが、考えても仕方がないので考えないことにした。
廊下を歩くグランジェークは、直接手を下せないことを残念に思いながらも、協力者の元へ向かった。「終わりました」と報告するために。
(シュゼには何て話そう)
外へ出ると、眩しいほどの光が降り注いでいる。
シュゼは今頃、ロボットメイドに世話を焼かれながらおとなしくしているだろうか。
(どうやってごまかそうか)
できれば、彼女の心にしこりを残さないような作り話を。
グランジェークにとってはささやかな復讐ではあるが、シュゼットが知れば傷つくと思う。
彼にとってはそれだけが気がかりだった。





