暴発
ひっそりと静まり返ったレンガ作りの白の塔。肌寒い廊下を、ローブ姿の男が2人歩いている。
ほの暗い目をして無言で歩くグランジェークを見て、リンクスは困ったことになったと息をつく。
「フィオリー・アーノットがかつては魔力持ちだったなんて、いい加減きちんと名簿をそろえておかなくてはいけませんね」
この国で、魔力持ちは優遇される。
早くから魔法師団の庇護下に置かれる者も多く、そうでなくても親の期待を一身に受けて教育を施される者がほとんどだ。
だが、精神崩壊して魔力がなくなってしまえば、国がその者たちを管理することはない。
もう用済みだ、とばかりにあっさりと放逐されるのだ。
リンクスが部下に調べさせた結果、フィオリーのことを知る祖母の存在が辺境の街で見つかった。
「フィオリーは親に過剰な期待をかけられた結果、九歳で精神崩壊。そのとき、魔法師団から数名の魔法使いが派遣され、暴風で吹き飛んだ家の跡から瀕死の少女を救出。──ご記憶は?」
遠慮がちにそう尋ねたのは、グランジェークが覚えていないだろうとわかっていたからだ。念のため、と聞いたものの、やはり答えは「覚えていない」だった。
「そうですよね。グラン様はあの頃とにかく任務の数が多かったですから……」
「だが、精神崩壊で魔力を失ったなら、大けがを負っているはずだ。フィオリーはなぜ見た目に傷がない?」
魔力を失う直前まで経験しているグランジェークは、普通の回復薬でその傷が治らないことを知っていた。だからこそ、フィオリーが普通の男爵令嬢として暮らしてこられたことに違和感があった。
「星の雫ですよ。十一年前、フィオリーが運び込まれたとき、ウィングナー・クラーク殿がご存命でしたから」
「シュゼットの祖父、か」
宮廷薬師だったシュゼットの祖父は、運び込まれてきたフィオリーを見て哀れに思った。本来であれば、すでに魔力器官が壊れていて魔力がなくなってしまった彼女に貴重な薬は使えない。
けれど、シュゼットの祖父は孫娘とそう変わらぬ年齢の女の子に同情し、自分の保有していた星の雫を使って彼女を治療した。
「そもそも、生きて運ばれてくる時点でキセキですからね。自分の持っていた薬を使うのはルール違反ではありませんし」
目の前で苦しんでいる少女に同情する気持ちはわかる、とリンクスは言った。
「私なら躊躇いますが、そこはシュゼットさんのおじいさまですよね」
リンクスは「お人好しの血筋だ」と感想を述べた。
フィオリーはその後、両親から離れて辺境に移住し、十五歳のときに文官になるために
再び王都に戻ってくる。
祖母には、「王都でどうしても会いたい人がいる」と言っていたらしい。
「──俺か」
「はい。そのようです」
グランジェークにとっては、ただの任務の一つだった。記憶に残ってもいない。
けれど、意識朦朧とする中でもフィオリーは「自分を助けてくれた魔法使い様」のことをずっと覚えていた。
そして、文官の試験に合格し、宮廷薬師のいる調合室に配属になった彼女は、ある日ずっと会いたかった憧れの人に再会することになる。
「覚えていませんか?正門のところで、いきなり腕を掴んできた女の子のこと」
今よりも髪が短く、肩より少し上で切りそろえた茶色の髪に、見習いのダークグレーの制服を着たかわいらしい女の子。
正門の辺りを歩いていたグランジェークを見て、いきなり駆け寄ってきたと思ったら腕を掴んできたのだ。
『あぁっ……!やっと会えた……!』
『誰だ、君は』
グランジェークはその手を振り払い、蔑みの目を向ける。
あまりの威圧感に驚いたフィオリーは、その場で震えて沈黙した。
リンクスはあの頃のことを思い出し、ため息交じりに言った。
「時期が悪すぎました。あのときばかりは、グラン様も笑顔で対応なんてできませんでしたから」
父が亡くなり、わずかひと月。
グランジェークが最も荒んでいた時期だった。
笑顔で取り繕うこともなく、声をかけてくる女性たちに対して冷酷に拒絶していた。フィオリーのことも、すり寄ってくる女性の一人だと思っていた。
「俺のせいでシュゼットは……」
「いや、逆恨みですよ。こっちは仕事で助けただけなのに、勝手に一目惚れされても」
「うっ……!」
「あ、すみません。グラン様もそうですよね」
思わぬ角度から上官にダメージを与えてしまい、リンクスは即座に謝罪する。そして、慌ててフォローを続けた。
「誰だって、いきなり腕を掴まれたら嫌ですって。グラン様だけじゃないですよ」
リンクスの言うことはもっともだが、グランジェークの表情は晴れない。
今、こんな状態でフィオリーに会うのは避けたかったが、グランジェークがどうしても聞きたいことがあるというのだから渋々ついてくるしかなかった。
(何事も起こりませんように)
フィオリーがいる1階の部屋に到着すると、見張りの兵が扉を開ける。
小さなベッドに書き机のあるシンプルな部屋で、フィオリーは手かせをつけた状態でベッドに座っていた。長い髪はパサついていて、ろくに食事をとっていないように見える。
キィと鳴る扉の音にも反応せず、ぼんやりと虚ろな目をしていた。
「フィオリー・アーノット。聞きたいことがある」
「…………何でしょう?」
ゆっくりと首をこちらに向けたフィオリーは、生気のない顔だった。何もかもどうでもいい、そんな投げやりな雰囲気に見える。
「どうやって魔法のことを知った?シュゼットにあえてあの魔法薬を飲ませたんだろう?──俺を、忘れさせるために」
マーヴィンを尋問した結果、彼がステシア王女と長く恋人関係にあったことを聞いた。いずれ終わる恋、それはわかっていたものの、いざ本当に別れがくると心身に不調をきたすほど追い詰められたという。王女も、彼も。
マーヴィンは、王女のことを思いやり、あえて冷たく「終わったのだ」という態度を取った。
その結果、彼を忘れたいという一心で王女は調合室へ魔法薬を依頼した。
(マーヴィンは魔法薬のことを知らなかった)
彼は、王女が調合室に出入りしていることは知っていたが、ルウェスト薬師長に何を頼んでいるかまでは把握していなかった。
「君に指示した人間がいるはずだ。それは誰だ?」
証拠はないが、王女もこの事件に拘わっているはずだ。グランジェークはそう考えていた。
「素直に白状した方がいいですよ。魔法使いってそんなに優しくないんで」
リンクスがそう言って、暗に拷問をほのめかす。
でも、そんな冷淡な言葉にもフィオリーが怯えたり驚いたりすることはなかった。
「ふふっ、おかわいそうなグランジェーク様」
「何?」
「シュゼットさんも薄情ですよね。結婚の約束をしていたのに簡単に忘れちゃうなんて」
バカにするような言葉に、グランジェークは苛立った。
「魔法薬のせいだ。シュゼは優秀な薬師だからな」
反論すると、フィオリーはさらに笑いを浮かべて言い返す。
「かわいそう。自分ばっかり好きで、シュゼットさんには愛されていない。本当に哀れですね。私と一緒だわ」
薄っすら涙を浮かべるその目は、未だにグランジェークへの想いを残しているように見えた。
「ふふふ……。なんてかわいそうなのかしら」
「やめろ」
「本当に好きなら忘れない、あの方はそうおっしゃいました。それは本当だった」
恋焦がれるような、縋るような表情に変わるフィオリー。
それは並々ならぬ執着を感じさせ、一緒にいたリンクスの方がゾッとするような気味の悪さを感じた。
「私は、忘れられなかった……」
「どういう意味だ?」
「私も飲んだんですよ。でも私はあなたを覚えています。だって本当にグランジェーク様のことが好きだから……!シュゼットさんはあなたを忘れた!好きじゃなかったから!!」
あはははと声を上げて笑うフィオリーは、とっくに正気を失っていた。笑いながら「私ならずっと好きでいるのに」「本当にグランジェーク様を好きなのは私だけ」と繰り返す。
「おまえなんかがシュゼを語るな。シュゼは俺を……」
拳を握り締め、ぎりっと歯を食いしばるグランジェーク。
今すぐ燃やしてやりたい、と殺意を覚えるも必死で堪えていた。
「大丈夫ですよ?シュゼットさんはお人好しですから、グランジェーク様がかわいそうになればなるほど一緒にいてくれます。決して同じ気持ちを返してはくれませんけれど」
さすがにこれ以上はまずい。そう思ったリンクスが二人の間に割って入ろうとしたときだった。
「リンクス、この女を連れて離れろ」
「えっ?」
「まだ殺すわけにはいかない」
顔を顰めるグランジェークは、距離を取ってそう告げる。
しかしその瞬間、周囲に熱い空気が勢いよく放出され、身構えたリンクスの目の前で吹きとばされたフィオリーが壁に激突した。
「がはっ……!」
ドンという音と共に、彼女は人形のようにだらりと四肢を投げ出して床に落下する。
「グラン様!」
「……早く行け」
よろめき、壁に左手をつくグランジェークの姿を見て、リンクスは叫んだ。
「マルリカ医師を呼んできます!」
意識のないフィオリーを乱暴に担ぐと、彼は扉の方へと走る。
辺りの温度が急激に上がるのを肌で感じ、吹き荒れる熱風を魔法で弾いたリンクスは、一度も振り返ることなく白の塔の出口を目指した。
あと5話です





