回顧①
──ごめんね、グランジェーク。
母に関する記憶は、そのたった一言だけ。
俺が魔法師団に入ってすぐのことだったから、十二歳くらいだったか?いつの頃の思い出かもはっきりとはわからないが、ひどく冷たい声音でそう言われたのを覚えている。
ごめんねと言いながらも、悪いとは思っていないような眼差し。
三歳から離れ離れで暮らし、ようやく会えたと思ったら向こうは俺のことなんて何とも思っていなくて、傷ついた心に見て見ぬふりをして俺は「なかったこと」にした。
──すまないな、グラン。
父は、ことあるごとに俺に謝っていた。
カーライル侯爵家は、父の代で二十代目という歴史の長い貴族家だ。
領地を守り、民の暮らしを守る。そんな貴族としての務めは代官に任せた父は、宮廷魔法使いとして任務についていた。
親戚からは、「名家の当主がいつまで魔法使いなんてやっているんだ」とよく言われていた。
俺の両親は、魔法師団で出会ったらしい。
母は伯爵家の四女で、魔法師団の文官だったという。
二人は職場で出会い、その当時の貴族としては珍しい恋愛結婚をした。
どこにでもいる、仲睦まじい夫婦。だが、結婚してまもなく一人の男児を授かったことで、すべてが崩れ始めた。
──この子には、類稀なる魔力がある。才能がある。
俺は三歳のときに受けた魔力判定で、測定器を破壊するほどの魔力を保有することが判明した。その二日後には、魔法師団の庇護下で専門の教師をつけて学ぶ環境が整えられた。
けれど、俺はその教師たちにことごとく懐かなかった。溢れる魔力が制御できず、自分に取り入ろうとする大人たちを見て暴れまくった。
──このままでは、この子は将来困ることになる。
──どこかで隔離して、魔力制御を覚えさせなければ……。
父は魔法師団の許可を得て、俺と共にソルデアという辺境に移住した。そこで、限られた者たちだけで、魔法使いの英才教育を人知れず行うことに決めたのだ。
母は、俺の強すぎる魔力にあてられ体調を崩していたので、家族は王都とソルデアで離れて暮らすことに決まった。
──すまない、グラン。またすぐに会えるよ。魔力が安定すればまた会えるから。
父はそう言って、俺に謝った。
だが、俺はそれから九年もの間、一度も母に会うことはできなかった。
そして、十二歳でようやく再会したとき、すでに母は別の男の妻になっていたことを知った。
──ごめんね、グランジェーク。
離れて暮らすうちに、母は執事だった男と恋仲になっていたらしい。
俺と母が再会する数年前にそれを知った父は、泣いて謝る母を責めることはなく、離婚届を書き、二人が暮らしに困らないように金と土地まで渡したというからお人好しがすぎる。
俺のせいだ。
俺が生まれてきたから、家族が壊れた。
すべてを知ったとき、とてつもない虚無感を抱いた。
──すまないな、グラン。
なぜ父が謝るのか?
すべて俺のせいなのに。
どうせなら、どこかに棄ててくれればよかったのだ。自分で消える勇気もないくせに、こんな息子を見捨ててくれない父を少し恨んだ。
「俺さえいなければ」と言った俺に、父は言った。
──グランが生まれなくても、私たちはいずれこうなったさ。
苦笑いする父だったが、その瞳の奥には物悲しさを宿していた。
父は、一人息子の俺を愛していたのだろう。けれど、そこには常に、どうしようもない虚しさや諦めも共存していたのだと思う。
俺は何のために生まれてきたのだろう?
すべてを焼き尽くす炎を出せたところで、結局何が残る?
魔力制御は覚えたものの、精神の不安定さは続いていた。
──すまないな、グラン。
少し眉尻を下げ、謝る父の顔。
謝られるたびに、俺は「父のためにも立派にならなくては」と焦りを募らせる。
家族を壊した俺にできることは、父のために、父が誇れるような立派な魔法使いになることだけだった。
王都に戻ったとき、自分の容姿が人に好まれることを知り、使えるものは何でも使ってやると最高の作り笑いも覚えた。
父に、素晴らしい息子を持ててよかったと思ってほしかった。
座学に実践、人が嫌がるような任務にも早くから率先して手を挙げ、俺はどんどん昇格していった。十四歳で父の階級を追い越し、十八歳では最年少で幹部候補に名を連ね、その後も順調に昇格して「次期魔法師団長」とまで言われるようになった。
だが、順調な日々は突然終わった。
父が任務中に亡くなったのだ。
国内でスパイ活動をしていた組織と戦いが発生し、父は偶然その場に居合わせ、国を守るために応戦した。
圧倒的に不利な状況下で、父は仲間を逃がし、救命活動に当たっていた医師たちを逃がし、自分は最後まで戦った。
──すまないな、グラン。
俺が駆けつけたときにはすでに手遅れで、血に濡れた手で俺の手を掴むと静かに息を引き取った。
やはり最後まで、父は俺に謝っていた。
俺は間に合わなかった。
もう何もかもがどうでもよくて、でも染みついた生活を変えることもできず、俺は毎日ただひたすらに任務を遂行した。
この世界は、誰が死のうが生きようが、変わらず時は流れていく。
だったら、俺だっていなくてもいいのでは?
緩やかに死に向かう。そんな精神状態で一年が経った。
俺は二十三歳になっていて、魔法使いとしての能力を評価された結果、最年少で魔法師団長になった。
そんなときだった。
『薬師のシュゼット・クラークです』
銀の採掘場の拡張を目的とした遠征で、俺はシュゼットに出会った。
珍しい薬草の群生地が近いということで、魔法使いに同行した宮廷薬師たちの中に彼女はいた。
長い黒髪を一つに結い、慣れない遠征でも一生懸命明るく振る舞う。未来に何の憂いもないような澄んだ瞳。仲間と笑い合い、師の後をついて歩いては真剣に質問をする。
弟子の鑑、そんな彼女を見たとき、最初は「あまり近づきたくないな」とすら思った。
昔は俺も、あんな風に父の後ろをついて歩いていたのかもしれない、そんなことを思わせる存在だったから。
なるべく近づかず、何か話をすることがあっても、「魔法師団長」として社交的な笑みを向け、会話は必要最低限だけ。俺はシュゼットに対し、そんな風に接していた。
ところが、遠征に出て三日後、事件が起きた。
隣国との国境にある鉱山は、向こうの国にとっても喉から手が出るほどに欲しいものだ。採掘場の拡大をよく思わない者たちに襲撃を受け、部下が一部ケガを負った。
採取していた薬師も数人、軽傷を負っていた。
俺は単身で敵を追いつめ、容赦なく捕縛していく。始末してもいいかと思っていたが、隣国との関係性を吐かせるまでは殺すなとリンクスらに言われたから、仕方なくそうしていた。
彼らのうち、リーダー格の男を追い詰めたとき、異変は起きた。
──ご立派な魔法使い様にはわからねぇだろうな。俺たちにも子どもがいて、ここを奪わなきゃ暮らしていけねーんだ。
追い詰められた人間が、家族の話で同情を誘うのはよくある手だ。
俺は無言で彼に近づき、その意識を奪おうとする。
しかし、殺されると思った男は言った。
──化け物。おまえは人間じゃない。
気づいたら、辺り一面が火の海だった。
精神崩壊状態。とっくに限界に近かった俺は、とうとう壊れてしまった。
当然、その男はもう跡形もなくなっていて、生きているのは俺だけだ。
轟轟と音を立てて燃え盛る炎に、「化け物はきちんと俺が片づけないと」と思う。自嘲めいた笑みを浮かべながら、俺は燃え上がる炎の中で自分自身が滅びるのを待った。
これでいい。
……本当に?
死の間際、なぜかふとそんな疑問が浮かんだ。
今さらなんだと言うのか?やり残したことなどないのに。
急に意識を取り戻した俺は、全身が火に包まれる痛みや苦しみを初めて感じた。
「がっ……!」
熱い。痛い。
膝をつき倒れ込むと、辺りを覆っていた炎が一気に収束化し始める。
魔力器官が壊れ始めた兆候だった。
炎が消え、焼け野原にたった一人。
耐火耐水のはずの衣服が溶けた状態で皮膚に張り付き、視力と聴力が無事であることが奇跡だ。だが、もうすぐ自分は死ぬとわかる。
俺は地面に仰向けで倒れた状態で、ぼんやりと青い空を眺めていた。
森を焼き尽くしても、空は青い。
当たり前のことなのに、やけにそれが美しく感じて見入っていた。
──大丈夫ですか!?しっかりしてください!
緊迫した、女性の声。
視線をわずかに動かすと、そこには俺の傍らに膝をついて声をかけるシュゼットがいた。
──これはさすがに……!
──アウレア、ちょっと荷物持ってて!
シュゼットは荷物を漁り、小瓶を取り出す。
水色の液体が入ったそれは、魔法薬のようだった。
俺にそれを使おうとしたシュゼットに対し、もう一人の薬師が躊躇して言った。
──それ、形見の薬って言ってなかった!?こんな黒焦げの知らない人に使うつもり?
──でも、これなら助けられるわ。
膝の上に俺の頭を乗せたシュゼットは、懸命に話しかける。
──これ飲めますか?口開けられます?
俺はそれを拒絶した。
「……いら、ない」
絞り出した声は、奇跡的に彼女に届いた。
「もういい。……もう、何者にも、なれない」
たとえこのケガが治ったところで、魔力器官はボロボロだ。今までのように魔法は使えない。
もう、俺の存在価値はない。
だがシュゼットは、俺が死ぬことを許さなかった。
──私はあなたが何者でなくても治したい。
彼女は迷いなく言った。
──生きて。
俺は戸惑っていた。何者でなくてもいいなんて、誰も言ってくれなかった。
物心ついたときから特別であり異質であった俺は、このとき生まれて初めて、ただの患者として平等に扱われた。
役割を求められず、ただ助けられる弱い存在になれた。
──えええええ!フタが開かない!
──はぁ!何やってんのよ!?早く、こじ開けなさいよ!
二人のやりとりが、遠ざかる意識の中で聞こえてくる。
──すみません、これ借ります!
衣服の残骸から、何かを引きちぎる音。そして、何かがぶつかる音がして、次の瞬間には彼女が持っていた瓶のフタが割れていた。
「っ!」
口の中に強引に突っ込まれた苦い薬。
咽せ返るほどの刺激臭は、毒かと思うような液体だった。
ごくんっ、と喉が鳴る音がして、俺の体に魔法薬が入っていく。
痛みがすぐに引いていき、意識がさらにぼんやりとし始めた。
シュゼットは、俺の様子を見て安堵したように微笑む。
あぁ、そうか。俺が見ようとしなかっただけで、世の中にはきれいなものがたくさんあるのかもしれない。そんなことを思いながら、目を閉じた。
──こっちです!要救助者一名、すぐに医師のもとへ運んでください!
シュゼットがどこかに向かって叫んでいる。
バタバタと足音がして、男たちがそれに応えていた。
俺はどうやら助かるらしい。
目が覚めたら、彼女に会いたい。彼女のそばにいたい。
もう指一本動かせない俺は、そのまま意識を手放した。





