目覚めたら…
「ん……?」
ぼんやりと白んだ視界。
アイボリーの天井が見え、自分が仰向けで眠っていることに気づく。
「シュゼ、目が覚めたか?」
いつかと同じ光景。
医局で眠る私のそばにいたのは、安堵した顔のグランジェーク様だった。
「私……?」
ゆっくりと上半身を起こすと、彼はそれを優しい手つきで手伝ってくれる。
何もかもがデジャブみたいで、一瞬だけれど、私は長い夢を見ていたのかと思ってしまった。
「あの後、頭痛がすると言って気を失ったんだ。マルリカに診てもらったら、ただ眠っているだけだから今のところは心配ないと」
グランジェーク様によれば、あれから三時間ほど経っているという。また何日も経っていなくてよかった……!
私はグラスに注いでもらった水を自分で飲んだ後、一心地着いてから現在の状況を尋ねた。
「あの、フィオリーは?」
「魔法師団の監視付きで”白の塔”にいる。貴族令嬢を一般用の牢に投獄できないから」
白の塔は、何かしら問題のある人物や疑いがある人物を監視するために作られた塔だ。外の情報はすべて断ち切られ、牢よりはマシだが事実上の投獄に近いものだと聞く。
フィオリーは魔力がないから暴れる心配はないものの、随分と混乱していてずっと独り言を呟いているそうだ。
「アウレアには、リンクスからすべて話した。シュゼットが倒れたのは過労ではなく、魔法薬を盛られてのことだった。それを聞いたら、記録帳のことをすぐに話してくれたらしい」
「驚いたでしょうね、アウレア」
フィオリーが私に魔法薬を飲ませ、私はそのせいでグランジェーク様との思い出を失った。説明を聞いたアウレアはかなり動揺していたらしいが、それでも自分に起こった出来事をきちんと話してくれたそうだ。
「アウレアが言うには、伯爵邸に手紙と記録帳が届いたらしい。手紙には差出人は書かれていなかったが、『あなたを応援しています』というメッセージがあって、それで『フィオリーが自分のためにシュゼットの記録帳を盗んだのでは?』と思ったそうだ」
当然、アウレアはフィオリーが善意から過ちを犯したと思った。
それでこっそり記録帳を返却しようとして、見つかったときには黙っていてくれと頼んだのだ。
アウレアは、フィオリーのことを大切な友人だと思っていた。私と同じように。
アウレアは、フィオリーに巻き込まれただけの被害者だ。私は申し訳なく感じた。
「フィオリーは、罪をアウレアにかぶせるつもりだったんですよね?」
私がそう問えば、グランジェーク様「どうだろうな」と答える。
今、フィオリーはまともに話ができる状態ではないらしい。尋問もできないから、彼女の真意はわからない。
話せたとして、きちんと本当のことを白状するとは限らないんだけれど……。
ここで私は、フィオリーが泣きながら叫んでいた言葉を思い出す。
──私だって特別になりたかった。グランジェーク様の特別に。
──どうして私じゃないの……?
いつからだろう?
いつから、フィオリーはグランジェーク様を想っていたんだろうか?
そんな雰囲気も素ぶりもまったくなくて、私は何も知らなかった。
逆恨みだってわかってはいるけれど、一体彼女はどんな気持ちで私とグランジェーク様を見つめていたんだろう?
どうしようもないことだけれど、思いがけない片想いに気持ちが暗くなる。
「すまない」
「え……?」
なぜグランジェーク様が謝るのか。
私はいつのまにか下を向いていた顔をパッと上げ、グランジェーク様を見る。
「俺がフィオリーの気持ちに気づいていたら、こんなことにならなかったかもしれない」
「そんな……!いくら何でもそれは無理ですよ」
接点なんてほとんどないのに、気づけという方が無理だと思う。自分を責めるグランジェーク様を見ていると胸が痛くて、私は彼の手をぎゅっと握り締める。
「グランジェーク様も被害者です。仕方がなかったんですよ……!」
お願いだから、悲しい顔をしないで欲しい。
けれどそこまで考えて、彼もまた同じ気持ちなのだと気づいた。
私が落ち込んでいると、グランジェーク様も悲しいんだ。
無言のまま、手を握り合った状態で時間だけが過ぎていく。
たとえばこの先も、きっとまたグランジェーク様に憧れる人は現れるだろう。妻である私に敵意が向けられることも、きっとある。
でも、私はグランジェーク様から離れようなんて思わない。離れたくない。
それだけははっきりとわかった。
「俺は、君を手放せない」
「……はい」
「できることなら二十四時間一緒にいたいし、ずっと笑顔を見ていたい」
「……はい」
「毎日毎分毎秒かわいいシュゼをずっと抱き締めていられたら、もういつでも死んでいいと思うのだが、俺がいなくなってほかの男が君の隣に座るかと思うとそれは許せない」
「……はい?」
だんだんとおかしな方向に話が向かっている。
私は困惑し、目を瞬かせた。
彼は真剣な顔で、さらに言葉を重ねる。
「俺はシュゼを愛している。世界で一番大事だ。これ以上どう伝えればこの気持ちは伝わるんだ?」
「知ってます、伝わってます!」
大真面目に告白され、私は一瞬で顔が真っ赤になった。
握られた手は、指先まで熱い。
けれど、その手は突然にパッと離された。
「グランジェーク様?」
何かあったのか、と戸惑っていると、彼は少し淋しげに微笑む。
「せめて俺にできることをさせてくれ。君の記憶は俺が取り戻す」
「取り戻すって……」
一体何をするつもりなのか?
質問しようとしたそのとき、ふいに唇が重なって私は驚きで目を瞠る。
「っ!」
さらりと流れる青銀髪が視界を染める。
柔らかな唇の感触に、私はどこか懐かしいと思った。
キスが終わると、グランジェーク様は静かに告げる。
「いってくる」
私の髪を撫でた後で、彼はくるりと背を向け、そのまま颯爽とローブを揺らして部屋を出ていった。





